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東海道NOW&THEN 10 「小田原」
大磯から小田原まで4里。約15.7km。
大磯からは、海岸に並行して国道1号線を歩く。左を見れば海が見えるはずとの期待は外れる。国道沿いの建物に遮られて見えない。ときどき交差点があって海の方を見るが、それでも見えない。すぐそこに海があるのだが西湘バイパスが邪魔をして、その向こうにちらりとだけ。小田原近くになって、やっと海を見ることができた。
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酒匂川を越えると小田原。広重は川の渡しを描いている。酒匂川に橋を架けることを幕府が許さず、旅人はだれもが渡しに頼らざるを得なかったという。この絵には蓮台、駕籠、肩車などさまざまな渡しが描かれている。酒匂川を越えて宿場と小田原城、その向こうに「天下の嶮」箱根の山が描かれている。
酒匂川の岸に立つと、あれ?と思うことがひとつ。それは富士山がよく見えるのに、広重はこの絵に富士を描いてない。平塚では、高麗山の後ろに隠れてしまうほど小さいのに富士を描いていた。それに比べると、ここではくっきり綺麗に見ることができるのに描いてない。芸術家のひらめきでしょうか…、凡人の私には謎です。
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小田原宿は東海道に沿って9つの町があり「通り町」と呼ばれていたそうだ。江戸口見附を入って最初の新宿町(しんしくちょう)を左に折れ、緩やかな坂道を上り右に折れると「よろっちょう」の石標。正しくは「万町(よろずちょう)」。蒲鉾屋が並び、昔は小田原名物の提灯屋もあったそうだ。さらに高梨町、宮前町、本町、中宿町、欄干橋町、筋違橋町、山角町と続き板橋口(上方見附)へ至る。欄干橋町には「外郎(ういろう)家」がある。外郎といえば現在では羊羹に似た和菓子を思い浮かべるが、咳やのどの薬「透頂香(とうちんこう)」も外郎家で売られていて、これも外郎の名で知られていた。二代目市川團十郎が咳で苦しんだとき、この外郎を服用し助けられた。それで歌舞伎十八番中の『外郎売り』の口上に「お江戸をたって二十里上方、相州小田原(中略)、欄干橋虎屋藤右衛門」と謳われている。この長い口上は外郎の効能を言い立て、後半は早口言葉が次から次へと出てくる。歌舞伎だけでなく、今ではアナウンサーや役者たちの発声・滑舌のトレーニングに読まれ続けている。
板橋口(上方見附)を出ると、いよいよ東海道の最難関、箱根路へと向かう。