イオンのある郊外に育ったのに

イオンのある郊外で育った私。経済的にも地理的にも環境的にも比較的恵まれており、自由奔放に育った。塾にも通わせてもらい、私立にも行かせてもらった。小中高大と順調に人生のレールを進んでいた。
しかし、社会人にならないといけない、就職しないといけない、いわゆる子供から大人へ覚悟を決めて成長しないといけないステップで躓いた。大人になれなかった。今も大人になれていない。大人の姿をした中身は子供のままの自分。自分にとって都合の悪いことからは目を背け、現実逃避をする毎日。

恵まれた環境で育ったはずなのに、今は生きづらさを感じる。何故なのか。とにかく仕事ができない。生きるにはお金が必要で、仕事をしないといけない。仕事という概念がなくなればいいのに…と願う日々。(本当になくなったら、資本主義社会は崩壊するためそんなことは起きてほしくはないとは思うのだが)
振り返ると、中高時代の部活、大学時代のバイトやインターンも上手くいったとは言えなかった。何かしら役割を与えて、集団のメンバーと協力して成果を出す必要のある物事が苦手なのだろうと思う。そもそも前提として、理解力や説明力が不足しているため、残念ながら仕事が円滑に進むということは少ないのだが…
仕事で悩む私はプライベートもうまくいかない。心は塞ぎ込み、何をやっても、楽しくない。頭の片隅に常に仕事の存在があり、日曜日はせっかくの休日だというのに、「明日は仕事か…」と一日中、サザエ症候群になっている。

そんな私がようやく重い腰を上げてエッセイを書くため、noteを始めた。「イオンのある郊外で育ったのに…」という名前でnoteを始めた。この名前はなんだという方も多いと思うので、一応このタイトルに込めた想いを書く。まず首都圏近郊で何不自由なく育ったはずなのに、今では仕事もプライベートも上手く行かず、卑屈でネガティヴになってしまった自分の考えを書きたいと思ったため、「郊外で育ったのに…」というニュアンスは含めたかった。そして、郊外についてより具体性を求めたかったため、郊外の象徴であるイオンを名前に付け加えた。イオン、特にイオンモールは人々の多幸感が集まる場所だから、個人的に好きなんですよね…

エッセイを書きたい理由は大きく分けて3つ。
1つ目はネガティブを払拭するための作業として始めたかったから。前述の通り、ネガティブ思考に陥りがちな私。ネガティブを克服するための方法を模索していた時に、オードリー若林氏のある名言に出会った。「ネガティブを潰すのはポジティブではない、没頭だ。」確かにおっしゃる通りだと思った。何かに熱中していればどうしようもない悩みは気にならないし、漠然とした不安を覚えることはないのだ。面白いテレビ番組を見ている時、映画を見ている時、ゲームをしている時、確かにそのものだけに没頭しているため、悩みのことなど何も気にしていない。没頭する作業として、note、エッセイを書きたいと思う。
2つ目はシンプルに友達がいないので、打ち明ける相手もいない。何か話したいと思うことがあっても、共有できる相手がいない。その時、思ったことは意外と記憶に残らない。それが勿体無いと思い、今までスマホのメモ帳に、その時に思った考えや感情を残していた。過去のメモ帳を供養させるためにも、noteに投稿したいと思った。それとワガママではあるが、自分の発信した内容で誰かに認められたら、評価されたら、この上なく嬉しいと思う。そう、いいねが欲しいなぁとは思う。現実世界ではなかなか評価されることは少ないので、せめてnoteの世界ではいいねがもらえると、自己承認欲求も満たされるだろう。
3つ目は芸能人のエッセイに憧れを抱いている。オードリー若林氏、ハライチの岩井氏、ふかわりょう氏のエッセイを読み、エッセイを書きたいと思ってしまった。お話が上手い芸人さん、もちろん文章の運び方も上手で、エピソードトークに、自分の独特な考えが付け加えられており、本当に面白かった。話し下手な私もまずは文章を書くことを通じて、簡単なエピソードトーク、オチをつけるといった会話の基本的な部分を習得したいなと思ってしまった。
ということで、ダラダラと駄文を書き連ねましたが、noteを始めます!推敲とかしないので、読みづらい点が多々あると思いますが、よろしくお願いします。


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