サエキ
「昼からの来店、僕のお客さんA号棟狙いなんですよ。先輩のお客さんはB号棟狙いなんですよね? 二棟とも決めちゃいましょう!」
入社二年目の佐伯は人懐っこい笑顔をこちらに向けた。
随分成長したな。入社当時、まともに接客もできず涙していた佐伯が懐かしい。
昼
「Bで申込みしようかな」
悩む客。
「決めましょうよ」
奥様は強い口調で背中を押している。こんな時、俺は黙る。放っておけば、最後は決まるのだ。
そうだ。佐伯はどうなった?
パーティションで仕切られた隣の接客テーブルの様子に耳を澄ます。
「佐伯さん。やっぱりAじゃなくてB号棟にします」
ん? B号棟にするとか言ってないか?
そこへ、テーブルをドンっと叩く音とともに、佐伯の絶叫にも似た声が狭い店内に響き渡った。
「決めましょう。Bで! 今なら手数料半額。いや、ゼロにします!」
こうして、B号棟に申込みが入った。俺の客にもその声は聞こえており、「気持ちが冷めた」と一言残して帰っていった。
「おい。どういう接客してんだよ」
震える拳をおさえながら、佐伯を問い詰めた。競争で負けるのは仕方ない。だが、あのクロージングはないじゃないか。
佐伯は売主に申込書をFAXし終えると、鼻先でフンっと笑った。
「なに甘いこと言ってんすか。だからいつまでたっても出世できないんすよ。売主にFAXの到着確認取るんで邪魔しないでください」
そう言って、佐伯はスマートフォンの画面をタップし、嫌がらせのようにスピーカーモードで通話を始めた。
「もしもし。〇×不動産の佐伯です。B号棟の申込書届きました?」
俺の目を見ながら売主と通話を続ける佐伯。こんなに嫌な奴だったとは。
しかし……。
「あー、B号棟、別で申込み入って今日の夜契約なんです。A号棟に振れませんか」
売主の言葉に、佐伯は静かに電話を切り、視線を落とす。そして、ゆっくりと視線を俺に向け、いつもの人懐っこい笑顔を見せた。
「今月、二人ともタコですね。先輩と一緒で嬉しいです」
こういう奴がしぶとく生き残る世界。
衝動的にこの仕事を辞めたくなることがある。だが、明日には忘れている俺も、この世界に向いていると思っている。
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