【無量光院跡】考察

無量光院跡。
岩手県・平泉にある庭園跡。

庭園好きが興じていくとこまでいってしまったな、と思う庭園。

なぜなら。

名前にある通り、「跡」だから。
無量光院ではなく無量光院「跡」。
建物とかは無い。
ましてや、庭園という庭園もない。
ただ広い土地に大きな池と建物の基礎が残るのみ。
何も知らない人からするとマジで何も感じない景色。
ただの県道沿いの景色。
余裕でスルーされてしまう。

しかし。
庭園好きは、車を停めてしっかりと立ち寄らなければいけない場所。
決して車窓からの眺めで終わらせて良い場所ではない。

簡単に解説。
無量光院は、平安時代末期、奥州藤原氏の三代目、藤原秀衡ふじわらのひでひらが作った浄土庭園。
京都・宇治の平等院鳳凰堂を模し、しかもそれを凌ぐ規模だったことから、浄土庭園の最高傑作だったと言われている。
度重なる火災で焼失、今日は前述の通り、大きな池と建物の礎石が残るのみとなっている。

さて。
残念ながら、無くなってしまった無量光院「跡」の楽しみ方。
考察。
目の前の景色を、ひとつずつ浄土庭園のルールに当てはめていく。

あそこに阿弥陀堂あみだどうの基礎があるということは、こっちがこの世であっちがあの世を表してるんじゃない?
(浄土庭園では、阿弥陀堂がある島は死後の世界・極楽浄土を表している)
ということは、方角的にはこっちが西か?
(浄土は太陽の没する西側にあるという「西方浄土」の考え方により、阿弥陀堂は池の西側に建てられる)
阿弥陀堂の背後にはちゃんと山もある。
(浄土の後ろには山)
ここには橋があったんじゃない?(この世とあの世は橋で繋がれる)
などなど。

そんな風に想像していると。
さっきまで見ていたなんでもない景色が、みるみるうちに当時の煌びやかな景色に変わってくる。
目の前に、鮮明に浄土庭園の最高傑作の姿が浮かび上がってくる。

庭園「跡」は時に、現存する庭園よりも輝かしく写る。
見る側の想像力しだいである。

ドラマや映画の考察もほどぼどに、庭園の考察も広まってくれたらおもしろいなと思う。

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