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初演と再演『エリカによろしく』の違いー創作メンバーによる対談(後編)

イエデイヌ企画3年ぶりの新作として2023年10月に初演を迎えた『エリカによろしく』。2024年10月18日(金)~20日(日)三鷹・SCOOLでの再演に先駆け、8月24日(土)にイエデイヌ企画代表/演出・福井歩と作・魚田まさや、俳優の重山知儀、平山瑠璃との対談を実施。イエデイヌ企画としても初となる再演の試みに向けた、各人の意図や想いを紐解いていく。

>前編、プロフィールはこちら

※上演・ストーリーのネタバレを含みます。ご注意ください。


”生きている作家”と演出家の共作

魚田:今回話したかったのが、“生きている作家”との共作についてです。比較するのもおこがましいですが、例えば福井さんが『桜の園』を上演するとなった時に、チェーホフ本人が「じゃあ、ちょっと(戯曲を)変えさせてください」とは言ってこないじゃないですか。ペーター・ハントケの小説を戯曲化した『左ききの女』(2019年上演)も然り、 “遠い存在”の作家の戯曲を扱ってきた一方で、本作ではリアルタイムに作家と連絡を取り合いながら創作を進めるなかで、福井さんにどのような感触があったのかお聞きしたいです。

福井:『エリカによろしく』は私の依頼から始まっているとはいえ、戯曲がほぼ完成してから稽古に入っているから、作家が身近な存在かどうかで、あまり違いはないかなぁ…。演出を考える時は、目の前の戯曲が全てで、劇作家の存在は一旦切り離すようにしていて、作家とやり取り可能かどうかは、重要じゃないというか…。
ただその一方で、劇作家の要望には最大限応えたいとも思っています。その点、魚田さんは『エリカによろしく』という非常にタイプの戯曲を書いてくださったので、演出としてはそれをベストな形で上演したい、しなければ、という心持ちですね。

魚田:ありがとうございます。作家としても、書いた言葉に対して非常に信頼して演出を付けてもらえる安心感があります。その一方で、全部をちゃんとやってくれる演出家だからこそ「変なことはできない」という責任感も感じてます。
また、今回の改稿は上演に干渉しすぎているのではとも心配で…。初演で「素晴らしい戯曲だった」と言ってもらっているにも関わらず、その戯曲を改稿するという行為は、作家のエゴというか、“演出や演者に自分の権威を示す行為”なのではとも感じています。僕としては紋切型になっているキャラクター表現や対話をより良いものにしたいという気持ちでやっていますが、福井さんは改稿に対してどのように受け止めたのかな、と。昨日、ジブリの『コクリコ坂から』のドキュメンタリ―を観て、監督の宮崎吾郎にどんどん干渉していってしまう脚本の宮﨑駿の姿が辛くて、自分もこんなことしているのかなって気持ちになっちゃった(笑)。

福井:むしろ「演出の要素を戯曲に取り入れてくれるんだ!」と思ったかなぁ。劇作と演出が別の人間なんで、魚田さん(作家)が書いたことを私(演出)がやらないという選択肢もあるわけじゃないですか。ということは、魚田さんが改稿の際に、演出を戯曲に取り込まない、という選択肢も全然あるわけで。だから演出を戯曲に取り込んでくれたのは単純に嬉しかったです。
反面、今まで戯曲を「遠い言葉、異なる言葉」として扱ってきたので、自分の演出が戯曲に反映されることで、別角度から自分の演出を疑うことが発生しています。基本的に、戯曲に書いてあることはやりますが、忠実にそのままやるのも違うというか、何かに対して闘いを挑んでいるような、葛藤を抱えながら戯曲に向き合っていますね。ただ、これは好きな状態で、「面白いなぁ」って思っています。
それに信頼している人物が、稽古場に直接介入するのではなく、ちょっと離れた場所から見守ってくれている、稽古場でないところで話を聞いてくれるのは、すごく心強いですね。

ループのギミックと、初演への反骨精神

――実際に稽古をされているなかで、初演との違いは感じますか?

福井:初演の時より、役としてというより、平山君本人からの質問が増えているような気がしますね。

平山:これは俳優が気にすることではないのかもしれませんが…。再演にあたって、初見ならではの売りでもあった戯曲上のループのギミックが機能しない懸念がありました。もちろん今回の再演が初見のお客様も大勢いますが、2回目以降の方たちにとっても、何回観ても楽しめる面白さを担保できているのか、俳優としてワクワクしつつ心配していますね(笑)。「初演よりも面白くできるのか?」と、過去の自分に対して反骨精神を持って稽古をしていると、再演の戯曲の絶妙な変更点に敏感になっている節はあります。

福井:確かに、私も初演後の対談で散々演出の事を喋ってしまっているので、ものすごくネタバレした状態で「さあ、どうしようか?」みたいには思ってて(笑)。一般的に、再演はコスパが良いと思うんですけど、初演と同じことをやってもつまらない。もちろん、初演と同じ演出もあるんですけど、そういうシーンには常に疑いの目を向けているので、想像以上に疲れますね。また、再演にあたり “考えが深まったところ”を演出としてどう扱うのかも課題としてあって。無理やり形にするのはただの演出のエゴなようでベストではないし、だからといって形として変えないと、今度は初演からの変化が見えにくくなってしまう。その葛藤のなかで、初演との差異を提示することが、再演の義務だとも思っています。同じことをやってても、「何か違う」というものが、なきゃいけない。

『エリカによろしく』(撮影:瀬崎元嵩)

福井:その「何か違う」ものをみつけようと、『エリカによろしく』を読み返して、この作品はわかりやすい事件をきっかけとせずに、物語が進んでいく推進力があるのが面白いな、と思って。例えば、飛行機が墜落したとか、『左ききの女』みたいに夫婦の別れのシーンから始まるわけじゃない。じゃあこの作品の事件は何かというと、ループするという"構成上の仕掛け"だなと。でもそれは観客にとっての事件であって、登場人物にとっては事件ではない。この出来事の位相が観客と登場人物の間でずれているのが、とても興味深く感じました。

魚田:前提として、「観客の中で起こることが全て」という考えはブレないように書いていました。例えば登場人物に感情移入して、その先の感情を味わう鑑賞の仕方もあるけれども、その楽しみ方がメインだと登場人物の間で起こる劇的な出来事に対して「登場人物たちはこう思っているに違いない」と思わせるつくりにしないといけなくなる。でもそれは間接的というか、圭一と仁の関係性で言えば、「圭一は仁に対して100%の不信感を抱きながらも好きである」という矛盾した感情をはっきり見えるものとして打ち出さないと見世物にならないというような気がしており…。そうなると、先ほどの銭湯で髪を洗うシーンやただ何となく一緒に歩いているみたいな出来事は、夾雑物として代謝しなければならなくなってしまう。その行きつく先は"同性愛カップル"の表象になってしまいかねなくて。だけど「ふたりでいる」ということにはカップルとか同性愛という言葉に収まらないもっと色々な場面があるはずで、そのものの質感をなるべく表象したいと思っていました。

『エリカによろしく』(撮影:瀬崎元嵩)

魚田:その上で、異なる位相で事件が起こる話についてですが…。それは『エリカによろしく』の執筆が『左ききの女』の台本を読み返すところから始まっていたことが大きく影響しているように思います。『左ききの女』はすごく映画っぽい読み味の戯曲というか、カメラのレンズ越しに出来事が描写されているなぁと感じたんです。舞台上で起こっている出来事はとても性的だったり、色々な人間の感情がきちんとあったりするのだけれど、冷静な、非生物的な視線を挟んである種叙事的に編集された出来事が並んでいる印象でした。その態度は『エリカによろしく』の戯曲にも継承されていて、表現される出来事の中に登場人物の感情はありつつも、それらをある種編集素材のように取り扱うことで、登場人物の感情とは別のところで劇が動くように書いていたと思います。

福井:『左ききの女』を参考にしたと言いつつも、『左ききの女』は別れという事件で始まるのに対し、『エリカによろしく』は出来事の列挙で物語が進行していく推進力が不思議で、その違いが面白いですね。

魚田:先ほどの平山君の話にも戻るけど、初演を観てくださった方やあらすじを読んでくださった方にとって今回の上演は「これ(ループ)って現実にはなかったことなのか」みたいな驚きは確かに減ってしまうかもしれないけど、表象のズレの面白さは何度見ても変わらないんじゃないかなと思います。

アフタートークゲストと『エリカによろしく』

――再演のアフタートークでは、ゲストにエッセイストの古賀及子さんとライターの小沼理さんをお呼びしていますが、どういった経緯があったのでしょうか?

福井:小沼さんはSNSでたまたま新刊『共感と距離感の練習』(柏書房)の宣伝をお見掛けして、「タイトルが良いな」と思ったところから興味を抱きました。それで、まだ発売前だったんですけど、新刊の「はじめに」はnoteで読めたんです。それだけでもすごく興味深くて。またセクシャルマイノリティの人物たちが出てくる『エリカによろしく』を上演するにあたって、参考の一つとして小沼さんの日記本『1日が長いと感じられる日が、時々でもあるといい』(タバブックス)を読ませていただいたんですが、「すごく慎重に言葉を選んで書かれている方だな」という印象があり、迷うことや決め切れないことを肯定するというか、ご自身の葛藤も含めて正確に考えを記述されているのがとても良いなと感銘を受けて、今回、アフタートークのゲストをお願いさせていただきました。

魚田:僕は福井さんに教えてもらってから、小沼さんの著作やWebを拝見して、自分だったら少し考えて「難しい問題だなぁ」みたいな言葉でまとめて仕事に行ってしまいそうなものごとに対して、一歩ずつでもしっかりと言葉を残されていること、その言葉たちがどれも本人の真心から出た言葉だと不思議と信じられることが本当にすごいと感じました。お会いできるのが楽しみです。

福井:古賀さんは魚田さんからゲストのご提案がありましたね。

魚田:エッセイストとして本格的に活動される前だと思いますが、古賀さんがはてなブログで日記を書かれていた時期があったんですよね。その頃僕は皿洗いから劇作まで、日々の全てに確信が持てない“灰色の時代”を過ごしていて、古賀さんの生活が毎日つづられる、そのリズムを通して、自分の日々も毎日ちゃんとあるということを確かめていたというか……古賀さんの目を借りて自分の生活の輪郭を捉えていたような時期があったんです。
ブログはもう見ることはできないのですが、その時そこで出会った言葉は今でも心の深いところに残っています。
『エリカによろしく』を書くにあたっても、「おまえら、まだ生きていたのか」という回がすごく力になっていて。新宿三丁目で偶然昔の知り合いを見かけるんだけど、それが元カレで、自分を振って付き合い始めた次の彼女と、その間に産まれた子供と一緒に歩いていた……というとても短い話なのですが、そのエピソード、それに対する「おまえら、まだ生きていたのか」という言葉が本当に鮮やかな光を放っていて、その方向に向かって戯曲を書くことで作品が完成したんです。なので、この作品においてアフタートークでお会いできるのが本当に光栄です。

福井:私は魚田さんから古賀さんのことを教えていただいてから、著作『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』(素粒社)『おくれ毛で風を切れ』(素粒社)を拝読したんですが、古賀さんの文章には、日常のささやかなことを観察しそれによって得られた興奮が書かれているのが面白かったです。
また古賀さんはWebメディア「北欧、暮らしの道具店」で「5秒日記」という連載をされていたんですが、そこで「日記は1日のことをまるまる書こうとせずに5秒のことを200字かけて書くと書きやすい。」と書かれていて。それを読んだ時に、その時間の扱い方、膨らませ方がイエデイヌ企画のやり方にも似ているような気がしました。今まで、アフタートークは演劇関係の方とご一緒することが多かったのですが、また別の角度からお話しが出来そうで楽しみにしています。

(進行/中村みなみ、文/野中知樹)

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再演『エリカによろしく』、チケット発売中!
公演期間:2024/10/18(金)-20(日)
会場:三鷹・SCOOL

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