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【対談】宣伝美術×劇作家×演出で語る『エリカによろしく』(後編)

イエデイヌ企画3年ぶりの新作として2023年10月に初演を迎えた『エリカによろしく』。2024年10月18日(金)~20日(日)三鷹・SCOOLでの再演に向け、8月31日(土)に、宣伝美術を担当したグラフィックデザイナーの大石知足氏と共に、イエデイヌ企画代表/演出・福井歩と作・魚田まさやが対談を実施。チラシ制作に至る経緯やビジュアルに込められた上演への想い、そして各人の創作活動の裏側に迫る。

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手書きににじみ出る“自分の色”

――皆さんそれぞれが異なる表現媒体で創作活動を行っていますが、普段はどのようにインプットをされているのでしょうか?

福井:大石さんは、デザインを行う上で尊敬されている方や影響を受けている方はいらっしゃいますか? 

大石:宇野亜喜良さんのように今でも手描きを大事にされている方の影響を受けていると思います。デザイナーは、イラストレーターだけで全てを完結させるデジタル寄りのタイプと、アナログな手描きをスキャンしてデジタルと組み合わせるタイプの二種類に大別できると思います。僕は後者のタイプで、手描きにこだわりを持っています。その理由には、単純に絵を描くのが好きということに加え、「どこかに自分の色を残したい」という想いがあります。デジタルには誰しもが同じような表現ができる利点もありますが、個性という面ではマイナスなように感じていて…。自分の手を動かして絵を描くことでこそオリジナリティはにじみ出てくると思っているので、今はそこを突き詰めたい時期のように思います。

福井:お話しを聞いて、アナログで描くことで、ご自身の身体感覚を表現として落とし込まれている、という印象を持ちました。
お仕事として、きれいに整えることは行っていると思うんですけど、そこに収まらない、つくり手のエネルギーのようなものが、手描きだとあらわれやすいんですかね?

大石:お芝居も同じだと思いますが、手描きには良くも悪くも癖が必ず出ると思っています。その人にしか出せない経験値が生み出す“出汁”のようなモノを大事にしたいと思っています。近年ではクラウドソーシングで誰でも簡単に格安で仕事が頼めるようになりましたが、せっかく僕に仕事を依頼してくれた方に対しては、僕にしか出せない味わいを大切にした作品をお届けしたいと感じています。まあ、何年か経ったら変わっているかも知れませんが、しばらくは手描きにこだわっていこうかなと思っています。

リアルから取りこぼされるモノ

劇作家・魚田まさや

――魚田さんは、戯曲を書くにあたりどのようなインプットをされていますか? 

魚田:電車やカフェで盗み聞きした気になる言葉をスマホにメモしています。あと僕は普段、保育園で働いているのですが、子供はすごい。発言全てがパンチラインです。昨日も、2歳児に「野菜食べよう」という言ったら「ちょっと、いまメールがいっぱいきてて、いそがしいわぁ」って断られて(笑)。そういった日常に転がっている人間のおかしみの出汁みたいな言葉を日々携帯のメモに集めています。

大石:きっとテレワークしているお父さんに「遊んで」って言ったらそういう返答をされたのでしょうね(笑)。

魚田:そうだと思います。すごく残念そうな表情で言われて笑いました。インプットの話を続けると、いろんな映画からいろんな影響を受けてます。書き方に悩んでいた時、気に入った映画のテキストを聞き取ってひたすら書き写したり。でも映画の良い脚本と演劇の良い戯曲は、ドラマの作りというか考え方が前提から違うんですよね。考えれば当たり前のことなんですが。でもだからこそ、「映像の都合を演劇の台本に持ち込んだら埋めようのない面白いズレが生じるかも」みたいなことを考えるようになったのかもしれないです。『エリカによろしく』も、時空が急に飛んだり、ト書に「海が砕けている」や「水平線に沿って少し曲がっている」と書かれているなど、舞台上ではそのままを表象しにくい戯曲になっています。

『エリカによろしく』(撮影:瀬崎元嵩)

魚田:あと訳がわからなくなったら常に立ち戻る漫画があって。これなんですけど。(panpanya『足摺り水族館』を取り出す)描写がすごく独特で。静物や「訳のわからないもの」は偏執的な描き込みで表現される一方、見慣れたもの、動くものはものすごくラフに描かれてるんです。その漫画のルールが気持ちいいというか。

大石:うん、独特だな。絵のタッチも見たことない感じですね

魚田:込み入った絵柄ですがストーリーには常に明るさや軽さがあるんです。たとえば夏休みの自由研究で自動販売機を調べたら、中で動物が管理していたことを知り、“動物のいらない自動販売機”を作ろうとする、みたいな。リアルとフィクションの通路の作り方が見事で、劇作に煮詰まった時は、良く読み返していますね。

大石:『エリカによろしく』以外の作品でも、時空の行き来するような、観客に「あれ?」と思わせるような書き方を意識されてきたのでしょうか? 

魚田:そうですね、直近ですと、鉄橋に真剣に恋をしている女性が、恋するに至った顛末を語る作品(すみだ川ラジオ倶楽部 川を流れる七不思議編)とか。異界というか、“リアルから取りこぼされるもの”としてのフィクションを目指して、いかにアクセルを踏んでいけるかをいつも試しているかもしれません。

大石:やりすぎると完全なSFだけれども、絶妙に「そっち(フィクション)に行くのか?」というところで止めつつ、「リアルでありながらどうしても気になってしまう」というような微妙な違和感としてフィクションを作品に落とし込むのがお得意なのだな、と。

魚田:SFもファンタジーもフィクショナルな要素を世界観として安定させないと成立しないのですが、安定それ自体からこぼれ落ちるものが世界にはいっぱいあると思っています。そうしたものをこそ表現できる物語の方法があるはずで、その話し方をずっと探しているような気もします。

――福井さんも映画がお好きですが、インスピレーションを受けた作品などはありますか?

福井:「ここの作品のここがいいから、自分の上演でもやろう」という批評的な目線ではなく、自分の中で面白そうと感じた映画をみているだけっちゃだけなんですけど…。ただ、どういうのが好きかな、と考えた時に、夜の街をひたすら歩くとか、人が移動しているのを見るのが好きなんですよね。ドラマとして強い動きがなくとも「なんかみれてしまうシーン」は、自分でもつくりたいなぁって思っています。
初演の『エリカによろしく』で3年ぶりに演劇をやった時は、大白小蟹さんの漫画「海の底から」(『うみべのストーブ 大白小蟹短編集』収録)に非常に励まされていました。学生時代に小説を書いていて、就職とともに書かなくなってしまった人が主人公なんですけど、彼女なりの生活の位置づけというか、創作の折り合いのつけ方に、すごく励まされました。その人を支えている“生活の時間”は、『エリカによろしく』でも、大事につくっている部分かもしれません。

大石:福井さんは演劇一本でやっていこうと思われたこともあったのでしょうか? 

福井:大学一年生の時に、ことごとくアルバイトが決まらなかったこともあり、自分は安定した収入がないと不安になるタイプだなと自覚しました(笑)。その一方で「演劇をしないで生きていくのはキツい」という感覚もあって。会社にしろ家族にしろ、ある組織に所属していると、その組織の一員としての振る舞いを多かれ少なかれ求められるじゃないですか。それらの全部が悪いわけではもちろんないけど、窮屈さを感じることもあったので、そうならない場所が欲しいなぁと思って、それが自分にとっては演劇でした。一般企業に就職してからも、これまで大学で取り組んできた、週1~2回に3時間ほどの稽古で半年かけて一作品を上演するスタイルでイエデイヌ企画を続けています。他の演劇団体とと比べると拘束期間は長くなる部分はあるんですけど、演劇を続けていく方法のひとつとしてはありかな、と思っています。

動線から考える演劇

演出・福井歩

魚田:大石さんのラフのように、福井さんの演出は何から作り方から始めるのでしょうか?

福井:まずは戯曲を読んでパワーポイントで動線を作っています。稽古場ではそれをもとに動いてもらって、細かな動きを決めていますね。稽古場で動いてもらうことで立ち上がってきたものの方が重要なので、家で一人で考えた動線は、違うと思えば即捨てます。
先に動線を決めるのは、「人の心なんて見えない」と思っていることに加えて、演劇でストレートな感情表現をみることに興味がないんですよね。だからイエデイヌ企画においては、役に共感することを求めていないし、むしろやりたくないと思っています。

魚田:例えば切ないシーンだと、俳優と役者の距離を空けていても、自動的にちょっと切ない演技に寄っていくことはあると思うのですが、それは拒絶しないのですか? 

福井:拒絶はしないです。基本的には距離を取ってもらうけど、俳優が演じる中で、気持ち的に近づくというか、役からの引力を感じるのであれば、近づいてもいいという話をしています。その一方で、俳優と相談することもありますが、基本的には立ち位置や動線などはの動きは演出で決めています。

魚田:動き自体は何を基準に決めているんですか?

福井:こればかりは自分の生理感覚としか言えなくて…。

大石:僕としては先ほどのラフ(前編参照)にもあったように、福井さんの演劇には小道具やセットがほぼ無いからこそ、俳優の動線が轍のように見える印象がありました。俳優の足にインクを乗っけて上演したら、どんな形ができるのか、ちょっと興味ありますね。

――劇場の大きさによって演出に違いはありますか?

福井:小さいスペースだとどうしても長い距離を歩けないという制約はありますね。以前、『イマジナリーピーポー イン トーキョー』(2020年上演)という一晩中東京を歩き回る話を自分で書いたんですけど、いざ演出つけようと思ったら、会場が思ったより狭くて(笑)。それで俳優たちに横揺れで移動を演じてもらったり、焦点の距離や視線をずらすことで空間の広さを演出しました。それは『エリカによろしく』でも同様ですね。

魚田:福井さんは目線と手の動きをすごく精密に演出されている印象があります。福井さんの興味の粗密がそのまま演出の解像度の粗密になっているような、あまり全体のバランスは意識されていないような…(笑)。

福井:手先とか目線とか細かい先端の動きはほかの演劇に比べたら細かくつけているかも知れません。バランスは全体的には取っているつもりなのですが…、多分それが一般とは著しくズレているのかも(笑)。

魚田:自分のリズムを信じているからこそだと思います。

――作・演出を分業する上で、意識していることはありますか?

福井:基本的に私は戯曲を書かないので、“他者の言葉”を扱っていることを強く意識しています。また俳優に対しても、戯曲の言葉があたかも真実のようにしゃべるのではなく“異物”として扱って欲しいと伝えています。『エリカによろしく』はじめ、その姿勢は私の演出のベースだと捉えています。自分自身が戯曲と距離を取って演出することで「自分では思いがけないところまで行かなければならない」と強く感じるため、今作でも魚田さんに戯曲についての質問はほぼせずに演出をしています。

魚田:初演の時は物理的な俳優の動線に関わることは話した気もするけど、それ以外は何もなかったですね。

福井:もちろん魚田さんのやりたかったこともなるべく上演に取り入れようともしますが、一度書かれた文字(戯曲)を全力で信じて上演を作り上げることを意識していますね。

対談を終えて

――そろそろお時間ですが…、本日はお三方でお話ししてみていかがでしたか?

大石:三者三様、皆さん何かしらの癖やフェチズムをお持ちで、それらを各々の表現に落とし込めているのだなと、面白かったですね。

魚田:創作の足場になる「何をどういう構造として捉えるのか」といった考え方が全く異なっており、自分が興味を持たないことに興味を持っている人がいるという事実に、とても嬉しい気持ちになりました。

福井:そうですね、各自のこだわりのポイントが違うからこそ、こういった機会で一緒にクリエーションをする中で、補完し合う――と、言うと、ちょっと違う気もしますけど、自分が気にしなかったところも面白くしていけるように感じました。

――イエデイヌ企画も、立場や考え方の異なる人が集まり、という印象があります。

福井:イエデイヌ企画では、考えを伝えるものの、「それが絶対ではない」という認識が常にあるような気がします。お互いへの信頼はあるけど、信じていないことやわからないことの存在も、前提としてあるというか…。演技の仕方についても、「こういう風にやってください」とオーダーは出しますが、その上で出てくる演技の形は俳優ごとにバラバラで、統一はしていません。「なんでこんなに違うの?」と言われることもありますが、「それでもまとまっているからいいかな」と思っていて。それが良いと言われる方もいらっしゃるので、それは信じていいことかなと思っています。

>前編はこちら

(進行/中村みなみ、文/野中知樹)

再演『エリカによろしく』、チケット発売中!
公演期間:2024/10/18(金)-20(日)
会場:三鷹・SCOOL

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