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文武訓 武訓上



 武に本末あり。
忠孝義勇は、兵法の本なり。
武徳なり。
節制謀略は兵法なり。
節制とは、人数をくばり兵を行る道、是れ所謂、軍法なり。
弓矢剣戟等の兵器の術は、兵法の末なり、武藝なり。
本末共に備わるを宜しとす。
武藝は兵法を本とし。
兵法は、仁義を本とす。
此の三つの品ある事を知りて、其の序を分ち其の軽重を知るべし。
三の者かぬる事を得ずんば、忠孝義理の武徳を励むべし。
武藝を知らざる人も、忠孝義理、勇あれば、戦功を立て武名を得る人多し。
武藝に達すとも、忠義無き臆病人ならば、戦功を立て武名を取る事、堅かるべし。
君子は本を務む。
本立ちて道生るとは、是れなり。
武藝は誠に学ぶべくして捨てるべからずと言えど、必ず武徳を本として務め励ますべし。
軽重本末ある事を知るべし。
又、忠義と剛勇にも本末あり。
程子の曰く、人必有仁義之心。而後有仁義気。仁義の心は本なり、剛勇は仁義の気なり、末なり。
仁義の心あれば、勇気は自ずから出でくるなり。
仁義無くして武勇を好めば、大人は乱を起こし、小人は盗賊となる。


 凡そ、武士となる者は、忠義義理の志無くしては、武勇疎かに節義闕けて、奉公の道立たず。
又、武士の家に生まれ、兵術武藝を知らず、武具を備えず、軍用乏しくては、例え心たけくとも、武勇の務め疎かなるべし。
故に武士の道、内には、忠孝義理を以て本として兵法を知り、外には武藝を習い、武備乏しからざるを以て助けとす。
武士として忠孝義理の道を知らず、兵法武藝に疎く、武備無くんば、武士の業を失えりと云うべし。
武藝は匹夫の勇の働きなり。
其の位に応じて学ぶべし。
大人は、武藝に専一に心を用ゆべからず。
藝に馴染めば道行われず。
武備は兼ねて定め置くべし。
平生無事の時、心を用い、其の分限に応じて、人馬、武具、家人の兵器、馬具、金銀、米銭等まで、兼ねて備え置き、籍に記し、不足無く用意すべし。
出陣の時に臨みては、兼ねて定めし制法に従い、何の用意も無く、何時も即時に打ち立つ様にすべし。
凡そ、事豫則立とは是れなり。
何事も兼ねて用意無くしては、俄かの時につまづく物なり。


 武士たる人は、武藝を知らずんば有るべからず。
弓馬、刀剣、鎗、長刀、鳥銃、拳法なども、其の法を習わずしては、戦いに臨みて功を成し難し。
中について、弓馬を尤も学ぶべし。
弓馬の二は、殊更、学ばずしては、力強しとても、妄りに其の術行われず。
他の武藝はよく習いても、治世にても日用の事なり。
殊に馬は、日々乗る物なれば、よく学ぶべし。


 士たる人は、高きいやしき、弓馬剣戟の法を学ぶべし。
武藝を知らざれば、戦いに臨み敵に対し難し。
されど、大将たる人は、まづ、兵法を習いて、次に武藝を習うべし。
武藝に専らなるべからず。
武藝は、ただ其の大略を習うべし。
武藝は、末なり、兵法は本なり。
有司も兵法を習うべし。
将たる人、武藝のみ知りて兵法を知らざるは、本を捨てて末を取るなり。
小身の士は、武藝を大ようは、あまねく学ぶべし。
弓馬、剣術、鎗、長刀、抜刀、撃剣、拳法、棒、水練など、皆、習い知るべし。
一事も知らざれば、変に応じ難き事あり。
小身の士も、一藝を優れて精く学ぶは、一事になづみて、他藝に通じ難し。
故に一藝に専一なるべからず。
然れども、もし士の子弟など、一藝を以て、身を立てんと思う者は、藝を専らにして精く学ぶべし。
これ人の師となるに足れり。
かようの人、もし、あまねく多藝にしては、一藝に精からず、精からざれば人の師となり難し。


 軍器三十六あり。
弓を上首とす。
武藝十六あり。
射を第一とす。
是れ、兵録に見えたり。
中華の書なり。
日本にても射を重んじて、武士を弓とりと云う。
中華にて、武藝には騎射を重しとし、日本にても、弓馬を武藝の宗とす。
太刀鎗の類は、其の術知らざる人も妄りに戦う人多し。
弓馬は習わざれば、かりにも弓を射馬に騎る事適わず。
然れば、武藝多き内にも、弓馬はことに知らずんば有るべからず。


 もろこしに、武藝十八事あり。
日本にも武藝の数多し。
射騎を先として大将も知るべし。
刀術鎗術も必ず知るべし。
其の外に抜刀の法、刀を擲つ法、眉尖刀の法あり。
又、鎌と棒とを用いるにも法あり。
法を知れば、皆、用をなし敵をうつ。
又、捕縛の法あり、拳あり。
拳は、近年元贇と云う中華人来化して、此の土にて死す。
此の者、此の法を習いしには、あらざれども、此の法、中華に有る事を語る。
聞く人、是れを以て、其の術をはじめて作り出せり。


 兵録に曰く、士をしらぶる法に曰く、用ゆ可らざる者、五あり。
一には、市中に居て遊び戯れて緩やかに育ちたる者、二には、花鎗花刀とて、やり太刀を使うに、花やかに美しきを専らにして、敵に勝つ事を専らにせざる藝は用なし。
三には、年四十を越えて力弱き人、四には、好んで大言をなして偽りを言い、あだごと多く言う人は、實なる働き無し。
五には、面白く膽弱き人は、強き働きなり難し。


 勇怯とは、勇は、健気なり、怯は、拙きなり。
怯とは、臆病なるを云う。
勇卑は、生まれつきたる性により、又、慣わしによる。
生まれつきも、慣わしにより変じて、勇にも怯にも成る。
武士の子は武藝を学び、武勇なる人に交わり、その物語を聞き、昔の戦記を読み、勇を励まし武を嗜むべし。
武士の子も、商人となれば、慣わしとなりて、武道に疎く勇気弱くなる。
慣わしを選び愼しむべし。
小成は天性の如く、習慣は、自然の如し、と聖人ものたまえり。
幼き時より努め学べば、天性生まれつきたる如くなる。
習い慣れたる事は、じねんに努めずして能くなるが如しとなり。
唐大和も、軍には農人は用いれども、商人は武士には用いず。
商人は、其の習い専ら利を計りて、武士に遠ければ也。
農人は、其の心他の求めなく、一筋なれば士に近し。


 生まれつき勇怯あり。
勇に血気の勇あり。
義理の勇あり。
血気の勇は、強きを破り難きを砕く事すぐれたり。
されど気強きのみにて義無ければ、節を守らず頼もしげ無し。
義理の勇は、節義を守りて、大節に臨みて義を変ぜず、頼もし。
例えば、犬にも勇犬あり、義犬あり。
勇犬は向かう所働き強し。
されどもあら野猪出で怒れば、身を引きて逃れる。
義犬は、常の時は、悪性ならず、盗みせず、人を畏る。
獣に向かいて働き勇犬に及ばざれど、たけく怒れる猪に遭いても逃げず。
人の主君の為に、節を守るが如し。


 将を擇ぶには、智を先とし勇を後とす。
智無ければ、勇有ても謀なく、思案無くして兵の道に昧し。
勇有るを頼んで過ち多し。
此の如くなる将は敗れ易し。
良将にあらず。
良将は智深く、又、勇も有りて、敵を計り身方を省み、事に臨んで畏れ、謀を好んで事を為す。
故に敗れ難し。

十一
 古人の曰く、古は、兵を農に寓す。
事あれば、戦わしめ、事無ければ武を習わしむと云う事、大将の必ず知るべき事なり。
云う意は、古の軍法を以て、國を守る君将は、常に無用なる士をば、多くは召使わず。
無用の武士多ければ、國土は限りある物なれば、財祿足らずして國用乏しく、臣民困窮す。
故に、平生用無き武士は、多くは養わず。
農人は商工に代わりて、其の志、賤しからず、養いを受け恩をこうむれば、戦いに臨んで、其の勇気を励まして拙からず。
平生の扶持を与え、其の身を養うの費えは、無用の武士をかかえ置きたる十分の一の費えなり。
無事なる時は耕作して自ら養う。
多く祿を與えざれども、飢寒せず。
平治の時は、四時の暇には、狩りをして軍法を学ぶ。
戦いに臨んで軍法有りて兵強し。

十二
 金鼓とは、かね太鼓なり。
是れ、陣に臨んで士卒の耳を一にする器なり。
旌簱は、旗のぼり也。
士卒の目を一にする為なり。
軍に臨むには、進むも退くも度有りて一様なるべし。
勇者も独すすまず、怯者も独退かず、三軍力を同じくすれば、其の勢力強くして、敵に勝ち易し。

十三
 士たる者、戦いに臨んで身を捨てる事はかたからず。
血気の勇は盗賊もよくする者なり。
只、身を捨てて義に適う事難し。
故に、死ぬべからずして死ぬるは、是れ、其の身を軽ろんず。
父母より受けし身をいたずらにするは、不孝なり。
死ぬべくして死なざるは、是れ其の死を恐れ、命を惜しみて君の為にせず、不忠なり。
是れ、李太白が言なり。
年若く血気盛んなる人、勇を好まば、忠孝の道を知りて、生死只、義に適うべし。
学問無ければ忠孝の道を知らず、死ぬべくして死なず。
卑しむべし。
死ぬべからずして死ぬ、悲しむべし。
勇法異なれども、義理に背ける事は、一なり。
武士は、学問して義理を知れば、死生する理に適う。

十四
 兵術は、将と士と貴賤の位によりて、大小の用異なり。
其の位に切なる事を先づ学ぶべし。
主将たる人は、云うに及ばず、士卒の長となる者も、兵術を知らざれば節制に応じ難し。
大夫以上の人は兵術を知るべし。
兵術は武藝の本なり。
兵術を知らずして、弓馬剣戟の藝をのみ学ぶを武学と心得るは、本を捨てて末を取るなり。
主将たる人、兵術を知らずして、只、武藝のみを学ぶは武学には有らず。
藝術のみ好みて本を知らざるは、物を玩べば志を喪うの類なり。
武藝は、一人に敵する術なり、兵法は萬人に敵する術なり。

十五
 甲冑の着よう、旗指物の制法、馬上にて刀を抜き鎗を使い、敵と組み合の法、或いは、不意に敵に出合いたる時、敵に斬られず敵に勝つの法、凡そ、匹夫の勇の働き、刀剣、及び馬藝につきての技、又は、戦場にあらずして、時の変に応ずる術も、士たる人
習い知るべし。
かようの術を教える師あり、書あり、習うべし。

十六
 張南軒の曰く、君子不避難。亦不預於難。
此の意は、不慮に逃れ難き難に臨みて、其の場を外して身を逃れるは拙し、義にあらず。
是れ難を去らざるなり。
難に合うとも、難を避けて身を逃れるべからず。
又、我が身にあずからざる事にわざと出合いて、難にあずかるは愚かなり。
此の二は、共に理にあたらず、勇にあらず。
されば、身を捨てる事は易けれど、捨ててかいありて理に当る事は難し。
道理に叛きて、死ぬまじき時に死し、あたら命を捨てるは愚かなりと云うべし。
死ぬべき時に死なざるは、不義と云う故に、死ぬべからざる時に死して身を失い、死ぬべき時に死なずして義を失うも、共に勇にあらず、理に叛けり。

十七
 日本の兵術を学んで、文学無き人は道理に疎し。
人に教えるに、日本の武道は、儒者の如く、仁義忠信の道を用ゆべからず、偽りたばからざれば勝利を得難しと云う。
又曰く、夫れ兵は功を立つるにあり。
もろこしにては、魏の曹操の如く、日本にては、足利尊氏の如き人は、仁義に背きて人の國を奪いたれども、武将の本意なり。
もろこしの諸葛孔明の如く、日本の楠木正成の如きは、忠義あれども功をたてる事ならず。
是れ、武将の本意にあらず。
兵は詭道なり、時の勢いによりては、わが身方に対しても、偽りて表裏を行い、人の功を奪い、或いは、國を乱して、逆にして取るも、兵術においては害無し。
是れ、日本の武道なり。
もろこしの道を以ては、日本の武道は行い難し。
日本は武國なれば、もろこしの正直にして手ぬるき風俗にては、功を成し難くして、日本の風俗に合わず。
ひすかしく、すすどくして、人のなしたる功名をも奪家て我が功名とし、人の取りたる首をも奪いて我が勇とするが、日本の武道なりなど言いて、秘密して人におしう。
是れを聞く人、無学にして不智なれば、其の非を知らずして是れを信じ、げにもと思い、常の時も、兵術の謀を用いて偽りを行い、利を得るを以て心とする者多し。
兵を学ぶ人、多くは是れに迷えり。
浅ましき僻事は、弁ずるにも足らず。
又、弁じて人と争わんもいたずがわしく口おし。
されど、天下の民は、皆、我が同胞なれば、我が兄弟の愚かに迷える人の、悪しき方にいざなわれるは、いと悲しむべき事なり。
もだして云わざらんも、むげに仁を失いて情け無ければ、本意にあらず。
われ愚かなれども、幼きより聖の書を読み、其の道を尊べる故、管見をここにのべ侍る。
天地の間廣しといえど、道は、ただ一つのみ。
大和の道、もろこしの道とて、さらに二つあるべからず。
強者の身、儒者の道とて二道無し。
もろこしの武道、日本の武道、また何ぞ二つあらんや。
古の道、今の道、是れ亦、変わるべからず。
易に曰く、天の道を立てて陰と陽と云い、人の道を立てて仁と義と云う。
陰陽にあらざれば天の道行われず、仁義にあらざれば、人の道立たず。
人に仁義の道あるは、天に陰陽あるが如し。
仁は陽徳なり、義は陰徳なり。
仁義の外、別に人の道とすべきもの無し。
易は聖人の至れる教えなり、萬世の鏡なり。
信ずべし、疑うべからず。
兵術も亦、仁義の道の内の一事なり。
文を以て人を憐れみ、民をなつくるは仁なり。
武を以て敵を撃ち、乱を鎮めるは義なり。
文武の二つは、例えば車の両輪の如く、鳥の両翼の如し。
一つ闕けては、身を修め國天下を治め難し。
仁義は道の本にて體なり。
文武は仁義を行う用なり。
用とは、例えば火を以て物をあたため、水を以て物を潤すが如し。
故に仁義の道の外に文武無く、文武の外に治法なく兵術なし。
敵に対して計謀を用いるは、例えば、西を攻めんとしては、其の東を襲うの類なり。
此の如く、事に臨み時に当たりて、敵を計り、権謀を行う事は、さも有りなん。
前に言える兵術者の教えの如きは、仁義の道を捨て、文武の法に背き、君臣、朋友、凡そ、人倫に対し偽りを行い、人の功名を奪いて我が物とし、利を得るを以て日本の武道とす。
然れども、誠の文武の道より言わば、是れを名づけて盗賊と云う。
利欲を専らにして義理を捨てるは、是れ、國を乱すの技にして、乱を鎮める武の道を以て、盗賊のしわざと同じく心得る事、むげに浅まし。
少し心あらん人は其の非を知るべし、詳らかに弁ずるに足らず。
夫れ仁義の道、正直にして偽り無き、是れ信なり。
信無ければ、唐大和も古も今も、人道立たず。
人道立たざれば武道も行われず。
主将たる人信無ければ、士卒萬民の心得難し。
もし表裏多くして人を欺き、偽りを行いて、士卒叛き恨みば、百萬の兵有りとも、戦い勝つ事かたかるべし。
故に、兵の道は仁義を本とし、信を以て諸人の心を服するに有り。
孫子が権謀を専らにせしも、将の道は智信仁勇厳也と云り。
もし将となる人、仁義忠信を捨てて、憐れみ無く情け無く、表裏を行いて誠無く、只、わが身を利せんとし、士卒皆これに見習い、化して恥なくば、何ぞ戦いに臨みて信を守り、君のため忠義を行い、命を捨て節に死する者あらんや。
是れを日本の武道と云うべからざる事、弁ぜずして其の非を知るべし。

十八
 人中にて、我に無禮を行い、悪口する者あらば、恥辱にならざる事は、聞かざる振りして堪忍すべし。
彼の愚人に対し、怒り争うも本意ならず。
されども、彼の者それをわきまえず、我を辱めたりとて、誇り顔にて我を侮り、後日又、我を辱むべき憂いを思わば、人なき所に招きて咎むべし。
もし、人中にて、悪口する事、二度に及ぶとも、怒るべからず、道理を云い聞かすべし。
道理に服せずば、聲を励まして咎むべし。
此の方よりは、悪口すべからず。
かように遠慮なく、人を侮りて悪口する者は、愚かにして後の禍いを慮らず、必ず臆病なる、うつつ無きしれ者なれば、此の方より強く咎むれば、必ず閉口してめる者なり。
されども、わが方よりは、人を侮りて悪口すべからず。
悪口すれば、いかなる臆病者も又、怒りを起こして、戦いに及ぶ事あり。
妄人と戦い勝ちても、我も亦、自殺せずんば有るべからず。
是れ、一朝の怒りに其の身を忘れて、其の親に及ぼすなり。
不孝不智の至、もとより武勇にあらず、犬死と云うべし。
君父のため忠孝を行うべきあたら身を、かかる妄人に対して捨てるは、いと惜しむべし。
彼の愚人は、人に責められざればこりず。
少しこらして大に戒めるは、小人の福なりと、易にも見えたり。
凡そ、朋友の交わりは、互いに禮を厚く敬うべし。
斯の如くなれば、争い出来ず。
争いは、必ず
不禮より起こる。
闘論なからん事を議する事、甲陽軍艦に記せし内藤修理が説、むべなり。

十九
 人を切りて刀を鞘に納めず、手に持ちて逃げ去る者に途中にて行き遭いたる時、彼の者、我に手むかいせずば、其の切りたる理を知らずして、妄りに彼と切り合うべからず。
遠くより過りて通すべし。
後より追い来る人、其の者を討ち留めよと、遠くながら言を掛けたりとも、其の切りたる仔細を知らで、妄りに闘うべからず。
其の人を切れる故を尋ねて、其の者妄りに人を殺せしと語らば、追い来る者と共に追いかけ行くべし。
追い来る者に切らせ、是れを助くべし。
或いは、我が切らんも、亦、其の時宜によるべし。
もしは、父兄主君などの敵を討ちてのく者ならば、追い行くべからず。
君父の敵打ちたる忠孝の道あれば、人を切りたりとて、切る事勿れ討つ事勿れ。
凡その事、用心は臆病にせよ、心は剛に持つべしと、義貞軍記に云える俗語の如くにすべし。

二十
 少壮の時、人の一言を咎めて口論し、小なる義を励み、勇みだておして、道理無き事に身を忘れ、父母を捨てて闘い死す、不仁不孝の至りなり。
是れ、学問せずして仁義忠孝の道を知らず、あたら命を捨てて、道理に背く事、愚かなるかな。
孟子曰く、以て死すべし、以て死する事なかるべし、死すれば勇をやぶると云り。
死ぬまじき事に死ぬるは、勇を失う。
古人の曰く、生を捨てる事、豈易からざらんや、死に處る事、誠に独り難しとは、是を云うなり。
云う意は、死ぬる事は易し、死して道理に適う事、難しとなり。
死ぬべき道理に当たりて死ぬるは、死に處する道を得たるなり。
もし死ぬべからずして死ぬるは、愚かなる故なり。
是れ犬死なり。

二十一
 勇士は命を捨てる事難からず。
捨てて道にあたる事難し。
道に適わずして、死するは犬死なり。
例えば狂愚なる者の、我に無禮なるを咎めて口論して、一朝の怒りによりて、人と闘いて身を捨つ、是れ、其の身を軽ろんず。
是れ不孝なり、武にあらず。
死ぬべくして死なざる、是れ命を惜しむ、勇無きなり、義にあらず。
戦いに臨み、君のために節に死なず。
是れ不忠なり。
君父のために忠孝を行いて、一かどの用に立つべきあたら身を、よしなき少しの事を怒りて、狂人愚人の為に命を捨てる事、愚かなり。
惜しむべし。

二十二
 勇に早まる人は、死すべからずして死す。
是れ、仁に背きて生を軽んず、孝にあらず。
勇無き人は死すべくして死なず。
是れ、義に背きて生を惜しみ恥を知らず、忠にあらず。

二十三
 もろこしの風俗、昔より、君を諌めて殺される事を知れども、いさむる人多きは何ぞや。
其の國の人、生まれ付き忠義ありて、風俗も亦、季節を尊ぶ。
其の上文字ありて、諫の道を知ればなり。
是れもろこしの長ずる所なるべし。
日本の武士は古より、戦場にて、君のため戦い死して命を惜しまざる人多きは何ぞや。
此の國の人は、天性武勇強く、其の上、昔より國の風俗にて、名を重んずれば也。
是れ和漢の人の各々長ずる所なり。
士気ありて死を恐れざる事は、和漢同じけれども、其の志す所変われるは、國の慣わしにて、文を好み武を尙ぶの道異なるなるべし。
故にわが日の本は、世界の内にて優れたる武國と云うべし。
只、中夏に比するに、文学甚だ劣れるのみ。

二十四
 古の良将は、只、勇猛計略のみ優れたるにあらず、文武兼用い、寛猛相用い、仁愛ありて小過を許し、旧悪をを忘れ、諌めをよく聴き用いて、己に誇らず、財を惜しまずして、功を賞す。
故に士卒和同して、よく其の功をなせり。

二十五
 忠臣義士の、身を捨てて君を諌め節に死し、取るまじき財祿を捨て、朋友の過ちを切々に正す。
かように忠直にして柔弱ならざるを、士気と云い、又、気節と云う。
是れ、君子の事なり。
一朝の怒りに、人と争いて其の身を亡ぼすは士気にあらず、客気と云い浮気とも云う。
是れ、小人の事なり。

二十六
 勇を好む者、其の中を得れば、正気とす、君子の勇なり、士気なり。
中に過ぎれば、客気なり。
浮気なるは士気にあらず。
是れ、小人の勇なり。
正気は能く事を成就す。
客気は必ず事を仕損じるものなり。

二十七
 外は勇ある様に見えて、内心拙き人あり。
外面は拙く、俄かの事に遭いて、臆したる様に見える人あり。
心定まりて後に勇出で来るもの也。
是れ、気弱く心強きなり。
外愚かに見えて、内明らかなる人あり。
外明らかにして内昧き人あり。
人の生まれつきは色々癖あり。
其の心を知らで、癖を以て其の人を見誤る事なかれ。

二十八
 呂氏春秋に曰く、亡國之主。必自驕。必自智。必軽物。と云り。
織田信長の亡び給うも、亦、斯の如し。
信長公は、武勇は古今に優れ、其の功を立て敵を亡し給うも、多くは不義にあらず。
只、恨むらくは、自ら驕りて士を侮り給いし故、明智が怨み起こる。
自ら智有りとして、我一人の智を用い、諌めを防ぎ給いし故、平手中務、諌めかねて自殺す。
物を軽んじ給いし故、敵を侮りて恐れず、用心無くして、京都本能寺の要害なき所に、小勢にて留まり給いし故、明智其の備無きを伺い知りて、不意によせ来たりしかば、防ぎ難くて弑せられ給う。理にあたれる古人の言、必ず違わず。

二十九
 國語といえる古書に、三時は農を務め、一時は武を習うと云り。
いう意は、田を作る農人は、春夏秋の三時は、田圃を努めて作る故隙なし。
冬は田作をはる故、閑かにして隙あり。
山野に出て狩をして、軍陣の法を学ぶ。
是れ一時は、武を習うなり。
士も、三時は民の隙を奪わず。
農は、春は耕し、夏は草取り、秋は田畠に出来たる穀を刈り納む。
此の三時の隙を惜しみて使うべからず。
古人は治世にも武を忘れず、農隙には、年ごとに武を習う。
後世は、乱世にあらざれば武の学び無し。
抑も弓馬剣戟は、ことに学んで其の術を知るべし。
是れ藝なれば、知らずんばあるべからず。
然れども、是れを習うを以て武の学とするは末なり。

三十
 事の行いて宜しき際を思いきり、勇て強く努めれば、義行われて誤り無く、後悔なし。
かかる事の境の際を、心怠り緩びて努めざれば、不義となり遅れとなり、後悔すれどもかいなし。
是れ、義を見てせざるは、勇無きなり。

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