文武訓 文訓上
"江戸時代 日本人の識字率は高く、この時代の他国では、有識な人のみ文字を読み、その内の極めて優秀な人のみ書物を遺す。
しかし、時代の権力により、焚書、内容の書き換え等あることを考慮する。
インターネット時代の日本も、識字率の高さ及び、ネット接続環境を持てる人の率の高さも考慮して、読み解く必要性あるかと思われる。"
一
士は、農工商の上に居て、民を治める位あれば、一心を以て萬事に通ぜずんばあるべからず。
故に、古人字を作るに、士の字、下は一に从い、上は十に从う。
一は一心なり、十は数の極なり。
萬事萬物を全て云り。
然れば、農工商の一事一藝に関わりては、萬事の用に叶わず。
故に、本を先にし末を後にし、先後の次第に従いて、廣く事を学び知るべし。
読書学問するは、本を勤めるなり。
藝術を学ぶは末に達するなり。
例えば、草木の本幹立ちて枝葉茂るが如し。
本を本とし末を末として、本末かね備わるべし。
学問は四書六経を専らとし、史学と諸子に及ぶべし。
藝術は六藝文武の法を学ぶべし。
六藝は、貴賤ともに知らずして適わざる日用の技なり。
中につきて、幼より禮を早く慣うべし。
禮を知らざれば、萬のわざ法に適わずして人道立たず。
古禮は、もろこしの古書に記せり。
我が國にも今用いて宜しき事多し、又、宜しからざる事も多し。
考えて用捨すべし。
小児の時より、父母に仕え、兄を敬い、孝弟を行い、君を貴び仕え、賓客朋友に交わり、飲食言語立居振舞いの法を先づ、学ばしむべし。
中につきて、飲食の禮、愼むべし。
禮は、飲食に始まると古人云り。
飲食、恣に貪り不禮なれば、卑しくして人間の法にあらず、禽獣に似たり。
今世に傳わる和禮は、足利氏の時に起これり。
すこぶる、我が國土の宜に適い、古語に背かざる事多し。
小児の輩、先づ、其の要用を学ぶべし。
次に書状を書くに禮法あり。
年ようやく長ぜば、是れを学ぶべし。
是れ亦、日用の要事なり。
手跡よくしても、書禮を知らざれば、法に合わず、僻事多し。
音楽は、古より専ら朝廷に傳わりて、衆人の学ぶ事なり難し。
俗樂も、淫聲に非ずんば、忠孝義理の道、其のふる事など、風雅なる詞を以て作りて歌章として、小児の時より習わしめば、教えとなり義理を助けるべし。
今の俗樂の章歌は、教えとならず。
又、其の程、拍子の忙わしきも、心を騒がしくして害あり。
弓馬は、古より我が國の詳しき教えあり。
幼より学ぶべし。
書法は、唐大和の古筆を学ぶべし。
能書を学ばざれば書学進まず。
風體、よき書を撰びて習うべし。
風體、悪しければ書法に適わず。
近世國俗の書、其の風も習も甚だ卑しく拙し。
本邦の書も古は宜し。
もろこしの人も誉めたり。
只其の風體は、中華に及ばず。
凡そ、手跡は、筆法正しくして読み易きを宜しとす。
用ある文など、読み難ければ、巧みなれども用い難し。
読み易き書も、卑しければ、本法に適わず。
國字は別に我が國の法あり、慣うべし。
眞字はもろこしの書を学ぶべし。
日本流の眞字、から流の假字、いずれも、あるまじき事なり。
中華の書は、淳化法帖、殊に王義之以下諸名家の法帖など、法とすべし。
一書によく通ずれば、諸家も学び易し。
算法は日用に切要なり。
貴き賤しき、必ず習うべし。
我が國の風俗にて、高位の人は、算を習わず。
是れ古の法にあらず。
大名高家に生まれる人は、貧賤なる人より、殊更、算法を知らずんば有るべからず。
其の故は、士卒の数、領内の民数、國郡の廣狭、田数、年貢所納の多少を考え、國家の用分を制し、分限をはかり、入るを計りて出す事を定め、軍法において、敵身方の人数を計り、土地の遠近廣狭を考えるにも、皆、算数を用いざれば、其の詳らかなる事
知り難し。
是れを以て、算を知らざれば、萬の事を計るに、疎かにして拙し。
二
経学は、四書五経など聖賢の書を、幼より早く読んで、義理を知り、古の道に通ずべし。
三
史学は、左傳、史記、漢書、通鑑などを読んで、古の事を知るなり。
六藝の内、禮樂は文藝なり。
射御は武藝なり。
書数は、文藝なりと雖も、武事にも此の二事なくては行われず。
四
経術義理の学問を努めて、本とすべし。
又、経学の隙に、左傳、史記、通鑑などの史学をすべし。
是れ末なり。
経学は、古の道を知り、史学は古の事を知る。
経傳を読んで、其の間には、史学をすべし。
学問は経史に専らなるべし。
五
和学は、日本記以下六國史を見、それより後の東鑑以下の野史、近世までの小録をも考え見て、我が國歴代の事を知るべし。
又、律令格式などの、本朝の古法を考え知るべし。
もろこしの傳記のみ見て、我が國の事に疎きは、近きを捨てて遠きを勤めるなり。
緩急の次第を失えりと云うべし。
然れば、日の本に生まれたる人は、必ず和学に通ずべし。
専ら、もろこしの事のみ学んで、大和の事、知らざる人、今の世にも多し。
かかる人は、世に交わりても、我が國を知らで事かけぬべし。
日本記、万葉集の二書、わが國上代の事を知り、和語に通ずる益多し。
和学をする人は先づ、必ず読むべし。
日本記を見、次に六國史など、次に東鑑以下の野史を見るべし。
六
学問の要二あり。
道を明らかにすると、事に達するとなり。
道を明らかにするには、経学をすべし。
経は、四書、五経なり。
是れ、学問の本なり。
事に達するには、史学をすべし。
史は左傳、史記、漢書以下の記史、及び、通鑑なり。
経学のみにて史に通ぜざれば、古今にくらくして、用に達せず。
経学なく史学に偏なれば、道理にくらし。
七
若き時は、書を読むに三の宜き事あり。
気強くして、書を多く読んでも疲れず、是れ一なり。
暇多く妨げ無くて、書を多く読み易し、是れ二なり。
若く気盛んなれば、記憶強くして覚え易し、是れ三なり。
此の三の事、書を読むによし。
又、年たけて後書を読むに、悪しき事、三あり、一には、すでに君に仕えまつりて、司る事あり。
人の交わり繁くなり。
家の事又、多くしては、書を読むに隙なし。
二には、歳ようやく長けぬれば、気弱くなりて、努めて書を多く読む事
難し。
三には、三十より後は、年々に覚え弱くなりもてゆけば、少年の時、一度読んで覚えるほどの事を、年長けぬれば、十度読んでも覚えず。
ここを以て、幼く若き年、早く書を読むべし。
諸々の藝は、年長けても習い易し。
只、書を読む事は、年長けては、覚え弱く、気力少なく、隙少なし。
此の故に、幼き時より、先づ、藝などのことわざは疎かにしても、専ら努めて書を読み慣うべし。
是れ、一生の身の寶となる也。
書を読まざれば、道に昧きのみならず、萬の事に昧し。
書を読まざる人は、我が昧き事を知らず。
儚しと云うべし。
弓馬の藝を習いても、文字なければ、藝の理に昧くして其の藝卑し。
次に六藝を習うべし。
武士は、剱、鉾、拳法などの術習い知るべし。
文学は本なり、文武の藝は末なり。
本無ければ人の道立たず、末なければ、人のわざ行われず。
文学を努めずして時を失う人は、一生を空しく過ごして身を終わる、惜しむべし。
藝無ければ人事に疎し。
一生の間事缺ける事多し。若き時努めて知るべし。
凡そ、はじめに努めれば、後に樂多し。
若き時学ばざれば、老いて悔ゆれども益無し。
八
智ある人は、一紙の文を読みても益あり、やがて用にかなう。
愚かなれば、百千巻を読んでも用なし。
益に立たずして終わる。
ここを以て、わが如き輩は、寶の山に入りても、手を空しくして省みぬ。
書を観る人も、崑山に入らば、寶を求め得てかえるは仮事を為すべし。
是れ、書を読む人の必ず心得べき事なり。
然れども、近年は、又、四書五経を読まずして、仮名書僅かなる書を読み、文盲なる師の、僅かなる教えを聞きて、道を得たりとて、人にたかぶり誇りて、数十年経傳を見たる学者をも蔑ろにす。
是れ、井蛙の大海を知らざるに譬うべし。
孔孟の教え、皆、博学を以て先とし給うを以て、其の非を知るべし。
聖人の道は廣大精微なり。
今の人の食物の料理本、などなどの本などの用なる事にては、其の道理知り難かるべし。
九
詩を作り文を読む事を嫌うは、人々の生まれつきによりて、其の好み嫌う事、各々変われる事、例えば、上戸下戸の、酒を好み嫌う事
変われるが如くなれば、さもあらばあれ、只、学問を嫌う事は、心にも忌み口にも憚かるべし。
いかんとなれば、学問とは何事ぞや、親に孝を行い、君に忠をなし、凡そ、人倫に交わりて、義理を行わんがためなり。
此の道を、古の聖人の教えおき給えるを、学ぶを云うにあらずや。
されば、詩文を作る事を嫌うにはかはるべし。
人となりて、忠孝以下の人の道を嫌わば、不孝の子、不忠の臣となりて、天地の間の大なる科人にあらずや。
かかる人は世に立ち難し。
しかれば、学問を嫌いて世に立たんとするは、狼藉の人なるべし。
十
孔孟また生まれ給うとも、論孟の二書教えに代わる事なかるべし。
然れば、今論孟を見る人は、即ち孔孟に目の当たり教えを受けると同じかるべし。
此の想いをなして、よく心を用ゆべし。
其の上、孔門の顔子の聴ける所は、子路きかず。
子路の聴ける所、子貢聴かず。
論語の一書に皆あつめて記せり。
然れば、目の当たり教えを受けたるにも優り、大なる幸にあらずや。
十一
昔は、和歌は好色の媒にかぎらず、人倫の交わりに、貴きも賤しきも、折ふしにつけて、大和うたを詠みおくり返して、情けを通わし、志を表せし事、後代の及ばざる所なり。
今の人、我が身の詠むまでこそ叶わずとも、和歌は我が國の風俗にて、其の言葉知り易く、其の理も智し易ければ、少し心にかけて学ばば、などか知り難からん。
萬葉集、古今集を先として、諸集を読み、其の内の秀歌を誦し覚えて、折ふしにかないたる古歌を詠じて心を慰めば、我がよからざる歌を、心を尽くして詠むには優りなん。
十二
もろこしのひじりの説き給える、四書五経の教えは、我が日本の人、其の文字も言葉も目なれず聞きなれず。
況んや、其の道理いたりて深くして通じ難けれど、それだに、我が輩の拙き才にても、努め習いて後は、すこぶる其の理のかたはしに通ず。
況んや、大和歌は、我が國の言葉なれば、その言葉詠み易く、其の心知り易し。
是れを学ばば、心を和らげ楽しまして、性情を養う助けともなりなん。
我が國古より、和歌を以て、好色の媒とせし風俗あり。
我が國の慣わしなりとて、悪しき事は学ぶべからず。
歌は心を養う道なり。
心を養う道を以て、好色の媒として、心を害う事勿れ。
恋とは、人をおもい慕うを云う。
親を慕い、子を想うをはじめて、情け深ければ、思う事せちなり。
是れ恋にあらずや。
十三
もののふも、和歌の道知らぬは、他の才藝ありとも、風雅なる心なくて、むげに卑しく、人に見落とされる、くちおし。
千載集の序にも、和歌の事を指して、是れを学び携わらざるは、面をかきにして立てらんが如しと云り。
学問の隙あらば、少しの力を用いて、是れを習うべし。
十四
和歌は、わが國俗の宜しき技にて、言葉さとし易く心も通じ易し。
此の故に、古人の歌、極めて優れて宜き事、もろこしの優れたる唐詩に劣らず。
古、婦人といえども、歌をよく詠みたる輩多し。
もろこしの才女といえど及ぶべからず。
是れわが國の風俗によく適える故なり。
十五
詩は、わが國の風俗に叛けり。
國土に宜しからず。
心ことば同じからざる故に、通い難く、知り難し。
中夏のことば意に通じ難し。
故に、古、本朝の才士名家といえども、詩は甚だ歌に劣りて、拙くして、中夏の作には大に劣れり。
中華の詩に及ばざるのみならず、大和歌にも大に劣れり。
もろこしの詩にも、和歌にも及ばざる事此の如し。
我が國に宜しからざる事を作るは、土宜にかなわず。古今の序に書ける。
詩賦の作日本に行われしより、和歌の道おとろえけり。
博学多識にして詩才あらば、作るも可なり。
しからずんば、わが心に適い難く、拙きを人に見せて、笑われんも恥ずかし。
和歌を詠めば、情を述べるに事足りぬべし。
古は、卑き人まで和歌を詠みて、互いに其の情けを通わしけるこそ、麗しき事に聞こえ侍れ。
風體を正しくせば、好色の媒とせずして、人倫の交わりに心厚くし、情けを深くする助けともなりなん。
されど、今は世くだり、心こと葉も卑しくなりにたれば、其の才無き人、あながちに詠まんとせば、これになづみて学問の障ともなりなん。
其の上和歌は、官家の教えを受けざるいなか人は、妄りに詠み難し。
只、萬葉古今集以下、ふるき歌書を見覚えて、折りに触れたる古歌をうち誦せんこそ、わが拙き歌を詠まんより、心の悩み無くいたづかわしからで、却りていとおもしろかるべけれ。
十六
詩も亦、風雅の道なれども、わが國の俗にあらず。
わが國の作者は、古より、さばかりの名家といえど、多くは風體正しからず。
其の詞も意も、おそらくはから人の下品なるにもくらぶべうも見えず。
書生にあらずんば作らずともありなん。
わが輩、詩学無く、その才器無くして、拙き詩文を作るは、良工の目より見れば、かたはらいたき事なるべし。
鄙俚なる詩文を作り、わが才の拙きを世に現して、人に誹られるは、愚かなりと云うべし。
顔之推がいえる、詅癡符の誹りも恥ずかし。
わが拙き詩を作らんよりは、古人の詩の、其の興にかないたるを誦えせば、却って面白からん。
拙き詩を一首作らん暇には、好書一巻をば、読むべし。
しからば、よからざる詩を作るは、読書の隙費えて、無益なるいたずら事なるべし。
只、天性詩才優れたるは、其の心にまかすべきか。
それも、五箇の字を吟じ盡して、一生の心を用い破るは益なし。
十七
からの詩三百篇をはじめ、風體よき、詩の秀でたるをば、読み慣い吟詠して、性情を養うべし。
拙き詩を自ら作るは、無用の閑労擾なるべし。
三百篇の後は、楚辞の賦、文選の古詩と、とりわき、淵明が詩、唐詩の風體よきを見るべし。
末の卑き風を見慣うべからず。
殊に我が國の詩文は、古今ともに、風體も詞藻も卑しく、僻事多く拙くして中華に及ばず。
是れを見慣うは、悪しき癖となる。
凡そ、詩文も悪しき癖付きては、後に改め難し。
はじめより風體を選びて学ぶべし。
十八
我が國の俗、和歌にて情けを通わし志をのべば、事たりぬべし。
詩は我が國俗にあらざれば、あながちに作らずともありなん。
義理を論じ、行事をしるすに至りては、國字を用いては、その理、思うように書い盡し難し。
必ず中夏の文字を用ゆべし。
博く書を読みし人も、かねて中夏の文章を学ばざれば、時にのぞみ、筆を取りて文を作るべきすべを知らず。
妄りに作れば法に合わず、文字の置きよう続けよう、布置成る語連続助字の法を知らずして、僻事多く、文字顚倒して置きよう違い、文理をなさず、識者の謗り免れ難し。
殊に中夏の人の見て、誹笑せんも恥ずかし。
故に学士は、必ず文章を学ぶべし。
是れを学ぶの法、先づ、六経語孟を本とし、左傳、史記、漢書、文選、韓、柳、欧、蘇等の文を学ぶべし。
其の中について、心に適える文を選びて、三十篇ばかりそらんじ、書きおぼえて熟誦すべし。
斯の如くすれば、自ずから文法をさとり、文字の置きようを知るべし。
経史を見る隙には、少しの力を用いて作文を学ぶべし。
本邦の古文、淫靡柔軟の風をば見習うべからず。
麗飾を事とし、奇巧を好むは、儒者の文に背けるのみならず、文人の文においても貴ぶ所にあらず。
凡そ、我が國の詩文は國俗にあらざれば、和歌和文の絶妙なるには、些か比べようも無く劣れりと云うべし。
本朝古の名家、詩文に巧みなりといわれし人の作も、近代もろこしの名も無き末の作に及ばず。
文字を業とする人にあらずんば、詩は作らずともありぬべし。
されど今時は、世に詩をよく作る人多しといえば、古にも優れるなるべし。
斯く天才あらば、作りても恥なかるべし。