家道訓 巻之三 總論下
一
人の子孫たる者は、其の家の先祖の家法をよく守りて失わざれば、たとえ其の子孫才力無しと雖も、よく其の家を保ちて、いつまでも長久なり。
其の故は、其の家を初めて持ち立てたる先祖は、それほどの才智あり、其の上、若き時より事に多くなれ、艱難を経て萬事に熟し、世のありさま、人の心の善悪、人の憂い悲しみをよく知れり。
此の故に、其の人の立てたる家法は、必ず堅固にして破れなし。
子孫よく其の法を守れば、やぶれ無く禍い無し。
其の子孫、才力聡明すぐれたる人ありとも、はじめて家を持ち立てたる先祖には及び難し。
もし其の子孫利口にして、先祖の定め置きたる法は、昔の事にて、今の世にあわざるとて、其の先祖を蔑ろにして、其の法を破り新法をたてれば、必ず其の家亡ぶ。
先祖の法を手本にして守り行えば、其の家いつまでも長久なるべし。
二
家人に対するに、厳正にして厚重なれば、自ずから威ありて人侮らず。
斯の如くなれば、怒りて激しく悪言を出ださざれども、人畏る。
三
子弟は言うに及ばず、下部に対すとも、其の罪あるを怒り、悪言を出だして厭しむべからず。
又、打ち叩き辱めて、犬馬の如く厭しむべからず。
下部も亦、人の子にして、人倫なり。
人倫の交わり、此の如く情け無かるべからず。
厭しくとも、人倫の道を以て使うべし。
況んや、天地の産みて子として憐れみ給う人なれば、厭しめ憎むべからず。
又、人の過悪を責めて、人の為に我が心を乱して、怒りに破らるべからず。
是れ、己を納め人を治める道を失えりと云うべし。
怒り甚だしければ、必ず目をいららげ言を荒くして、人を厭しめるに至る。
君子のしわざ、此の如く心を取り乱して見苦しかるべからず。
又、責められる者は、我が悪しきを忘れ、恥辱に合いたるを本意無く思い、怒り恨みて心服せず。
下部に誤り有れば、只、従容として誠を以て戒め正せば、彼もし人心有れば感通すべし。
四
家を治めるにも、下情上に通ずるを善しとす。
下情上に通ずとは、下つかたの人の憂い苦しみ、善悪曲直の有様を聞きて、明らかに知るを云う。
下たる者の憂い苦しみ、善き悪しきを知らざるは、愚かなり。
五
権勢ある家の賓客を司る奴は、必ず主人の権勢に誇り、無禮にして賓客を侮る。
主人より時々心をつけて無禮を戒むべし。
其の奴に任せおくべからず。
奴の無禮なるは、責めるに足らず。
只、其の主人を謗る。
主人、是れを知らざるべけんや。
六
人の戒めは防の如し。
大水を防がんた為、兼ねて日照りの時、堤を築き於けば、洪水の災い無し。
人も兼ねて防ぎ無ければ、患の来たる事、計り難し。
人家の内、年若き子弟婦女奴婢の輩は、未だ悪事、出で来たざる時、兼ねて禮法を正しく、内外上下の隔て有りて、家法を厳しくすべし。
殊更、酒色の愼みを厳しくすべし。
又、無頼の悪友に交わる事を固く禁ずべし。
打ち任せ置きて放逸を許し、姑息の愛を専らにすれば、不意なる禍い出で来る物なり。
悪事出で来て後は、押さえ難し。
厳しく責めれば、怨み背く。
顔之推が、婦を初来に教え、子を嬰孩に教ゆ、と云いしも此の意なり。
はじめに早く防げば、力を用いずして、しるし多し。
末を救わんとすれば、力及ばず。
七
古語に、一物あれば、一塁を損なうと云り。
草木鳥獣器物など、何にても一向に好み過せば、必ず其の物に心を奪われ、心に一つの患いを添ふるなり。
其の上、事を好めば、暇と財とを費やし、下人を悩ます。
此のまざれば事少なくして善し。
君に仕えて暇無き人、父の家にありて孝行に暇無き人、官職を與かる人、藝術の家業ある人、此の四等の人は、心を清くし事を省くを宗として、さし当たりたる職分を務むべし。
事を好み物を玩るぶべからず。
事を好みて隙を費やせば、我が身に差し当たる職分の務めには、必ず疎くなる。
八
小児を戒めて、諸々の蟲魚など、凡そ人の害にならざる生き物を殺さしむべからず。
又、生類を苦しましむべからず。
犬猫鶏鴨などを悩ますべからず。
不仁にして妄りに物の命を絶つは、天道に背く事を、幼少の時より早く教え戒むべし。
十
常に居る處は、陽に向かい陰に背くべし。
此の如くなれば、日の光明かに、月に向かい、夏涼しく冬暖かにして、身を養うに宜し。
又、居室も庭中も常に掃除して潔ぎよくすべし。
かくの如くすれば、気を養い心を潔ぎよくす。
昧く穢らわしければ、心気の養とならず。
又、居る處暗ければ元気を塞ぐ。
甚だ明らか過ぎれば精神を破る。
居る處飾りを好めば慾を生ず。
十一
人の家居は、貧富によらず、身の分より少し狭きが宜し。
狭ければ潰え少なく、事少なくして住みよし。
富貴なりとも無用の屋作り廣くすべからず。
廣過ぎては、通行、悩みあり。
掃除に家人の努め繁く、修理も難しく、財の費え多し。
されど、又、無用の用とて、常に用なき所少し有りて宜し。
事有る時の為なり。
家居は、只、堅く潔ぎよくして飾り無きが、心を養い、目を養うに宜し。
十二
財を多く貯えて富める人、もし生れつきて仁心なくとも、我が身のため子孫の為を思いて、善を行い人を助くべし。
財宝を多く子孫に残さんよりは、財を捨てて廣く善を行い、父母兄弟親戚に厚くし、其の餘の人の貧を救い、飢寒を助くべし。
是れ後の幸い子孫の為、財を遺すに甚だ勝れり。
十三
子孫弟姪の輩、生まれ付きて愚不肖なれば、いかに教え戒めても、其の不徳改まらず。
諫めを防ぎて受け用いず。
諫めれば却って心に逆らい、恨み背き、不和に至る。
時々諫めて聴かずんば、言わずして和を失わざるにしかず。
かく、悪しく生まれ付きたるは、聖賢と雖も如何ともすべからず。
堯舜の子の不肖なるを以て知るべし。
聖人、頑ななるを怒り憎む事なかれと宜う。
赤子の井に落ち入るが如し。
憐れむべし、憎むべからず。
十四
凡その人、各々其の心に生まれ付きたる偏性あり。
我が妻子、下部に癖あらば、時々告げ教えるべし。
改めぬれば宜し。
もし、其の性、拙くして、改め難きを知りなば、堪忍して、しばしば責め咎むべからず。
人の生れ付きたる癖、大方治らず、咎めても益無し。
されど、教えには、怠るべからず。
只、心長く諫め、教ゆべし。
俄かに悟さんとすべからず。
十五
衆人と下部は、人の恩を厚く受けても忘れ易し。
是れ其の人の常なれば、怒り咎むべからず。
此の如き人は、必ず、此の如く恩を忘れる者ぞと知るべし。
怨み咎めるは我が愚かなるなり。
われ年の積もりに、世の人を多く見るに、恩を受けて忘れざる人は、極めて稀なり。
十人に一人もあり難し。
是れ衆人の常の習いぞと思うべし。
もし恩を忘れざる人あらば善人なるべし。
人の恩を受けば、長く忘るべからず。
必ず報うべし。
恩を施しては、忘るべし。
恩を頼むべからず。
十六
吉事を祝い、凶事を忌むは人情なり。
正月五節句の俗節と、元服嫁娶を祝い、死亡を忌む事、むべなり。
然れども愚人は吉凶に付きて甚だかかわり、祝い過ごし、忌み過ごして事に害あり。
天命を知らずして、福を求め禍いを逃がれんとする私心より起れり。
是れ、禍福の理を知らずして、愚かに迷えるなり。
神佛に妄りに諂い祈して、福を求めるも、亦、同じ。
十七
年若くては、未だ世変を知らず。又、知慮無き人は、老人の言は、まわり遠く、今時の風俗に代わりて、時に合わずと思いて、聞く事を嫌いて、父祖を蔑ろにし易し。
年若き者は、たとえ、才力有りても世変を知らず、知慮熟せざれば、老人の疎かなるにも及ばず。
若き時は、其の理を知らず、久しく事になれ、年老いて後、父祖の言理有る事を知る。
十八
凡そ家の主は、四民共に其の身を納めて、家を起こさん事を志すべし。
まづ、親先祖より傳われる祿と財とを失わずして、よく保つを孝とすべし。
罪無けれど、災い有りて失うは、力に及ばず。
不徳にして自ら財祿を失い、或いは財祿を減らすは、大なる不孝なり。
家業をよく勤めて怠らず、倹約にして奢らず、萬の事愼みて誤りを少なくし、家を能く治めて怠らざるは、善士なり。
其の志ある者は、其の事遂に成ると云り。
其の志かくの如くなる善士は、必ず家を起こす。
十九
居る處の室の内にある器物衣服調度をば、年老いたりとも、猶も立居くるしからずば、十度の内、五、六度は、自ら立ちて用事を調うべし。
奴婢を用ゆべからず。
是れ先づ、我が身を動かし労して、生を養う道なり。
其の上、奴婢も亦、しばしば立ち動かず、労せずして宜し。
富貴にして奴婢多くとも、かくの如くすべし。
況んや、貧家ならば、多からぬ奴婢を、しばしば呼びて労せしめんより、自ら立ちて、心のままに事を調えるが、心の悩み無くして快し。
又、奴婢を呼んで、一事を言いつけなさしめば、其の時に猶使うべき事あらば、思い出して、退かざる内に、其のついでを以て、二つも三つも事をなさしむべし。
奴婢の我が前にある時は、心を用いずして、あだに過ごし、なさしむべき事を言い付けずして、退きて後、思い出し、しばしば呼んで事を命ずれば、我が身も奴婢も、事しげく、いたつがわしくして暇なし。
是れ人を使う道に、心を用いざるなり。
奴婢も亦、主人の前に出でて、一事を務め終われば、又、何事ぞあらば務めんと思い、用無くとも、先づ、そこについいて、主人の命を伺い、しばし待ちて後、用無くんば、立ちて退くべし。
二十
もろこしの古き諺に、萬事從寛其福自厚と云り。
寛とは、忙しがらず急ならず、心廣く豊かにして、人の過ちを許すを云う。
此の如き人は、福厚し。
急にして忙しき人は、福少なし。
起きて廣き器には、幸いあり。
心緩やかに、なだらかなる人は、福永きためし多し。
二十一
家に居ても國に在ても、善を行い道に従うほど、楽しむべき事なし。
はじめは、努め習いて善を行うべし。
久しく行いて慣い馴れぬれば、賢哲に至らざれども、善を行う事、楽しくなりぬ。
才藝は、雑事なり、初めは、面白からざれども、久しく習い馴れぬれば、後に面白し。
況や、よき道を行い熟せば、豈、楽しからずや。
二十二
愚かなれば、人を恨み易し。
故に史記に曰く、知あれば、軽々しく人を恨みず。
此の言むべなるかな。
知ある人は、人の我が心に適わざる事あるをば、故あるらんと思い、人を咎めず。
或は人の仕業の道に背けるは、生まれ付きて愚かなる故と思いて、人を赦す。
たとえば、赤子の井に入らんとするが如くなればなり。
又、人の生まれ付き偏なれば、其の行い正しからず。
智者は、其の偏なる病、憐れむべき事を知りて怒らず。
家の主となる人は、此の心得あるべし。
親戚家人、我が心に適わざるを恨み怒りて堪忍せざれば、家道和睦せず。
二十三
園に草木を植えて愛するも、亦、心を養う一助なり。
暇ある時、少し心を用いて、あるに任せて求め易き物を植えるべし。
得難き物を強いて得んとし、妄りに人に乞い求め、あたい多く費やし、其の品の多きと、花の優れたるに誇り、花の良きを争い競かわしむるは、事多くなり、心の患いとなり、心術を損なう。
是れ楽しみに在らず、苦しみを求めるなり。
二十四
園に植える草木、異なるを好むべからず。
又、茂きは難し。
作り木すべからず。
只、廣き園には、果樹花木葉樹品々植えて、四時の推移るを観るべし。
又、果物を数品植えて、家祭に供え賓客を饗し、人に與えて用多し。
草は、薬草花草を少し植えて、その名を知り其の花を玩ぶべし。
居室の小園には、茂らざる常葉なる小樹を少しばかり植えて、石に伴わしむべし。
小園の内は、草木多ければ難し。
又、庭に草木茂れば、陰気深く、夏は豹脚多くして人を刺す。
二十五
家園をおさめ草木を植えるは、元より気を養い心を楽しまん為なるに、心を用い過して、心を労し功を費やし、家僕を労せしむるは、心を養う物を以て、かえって心を苦しめ隙を費やすは、損ありて益なし。
二十六
花草などを移し植えるは、労なく活き易し。
されども初め植えるに、植えるべき所を選んで植えるべし。
此の如くすれば、後日に移し植えずしてよし。
草も木も、移し植えるは、事多く難しく、功を費やす。
木を植える事、尤も初めに植えるべき所を選んで、其の上、長じて後まで、よき所に、他木との間、遠く植えるべし。
初めに、所を選ばずして、妄りに植えれば、後に長じて所を得ず。
所を得させんと他所に移せば、多くは枯れる。
枯れざるども、かじけて盛えず。
所を得ずとも、年久しくして盛え長じたる木をば、やむ事を得ば、移すべからず。
所を得させんとして、事を好むべからず。
もし、小木を、初め植えて所を得ざるをば、長茂せざる時早く移すべし。
小木は移しても活き易し。
二十七
宅に初めて移らば、まづ、早く果木を植えるべし。
次に、他木に及ぶべし。
十年の計は、木を植えるにあり。
樹木を植えるには、菓を先とし花を次とし、葉樹を又、其の次とす。
果は、尤も人に益あり。
多く植えるべし。
取りわき、橘柑柚を多く植えるべし。
実りて熟したるは、麗しき事、花に劣らず。
柿梨栗山椒など、好品を求め植えるべし。
花木は梅を先とす。
紅梅もよし、櫻亦よし。
早く散るうらめし。
椿、花久しく咲きて葉麗し。
挾せば、活きやすく、花早く開く。
海棠、躑躅、杜鵑花もよし。
葉樹は、杉、檜、樅、金松、羅漢松、冬青樹などよし。
竹を北方に多く植えるべし。
火と風を防ぎ、又、伐りて時用に備う。
前庭には、柳、櫻、松、柏など植えるべし。
茂きを忌む。
陰気深く、夏は蚊多くしてうるさし。
又、菜は、日用の助けとなり、宅中に植えるは、新しくして市に買うに勝れり、其の葉、さかえて麗しきは、目を喜ばしむる事、草木に劣らず。