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エッセイno.8「みどりのゆびをもったひと」
長かった梅雨が明け、夏の到来となりました。今年はすべてのことが何か、様子が違いますね。あたりまえだと思っていたことがあたりまえではない、そんなことを感じている自分がいます。
今年の春はいつもと違った気持ちで庭を眺めている自分がいました。自宅には小さいながらも母が世話をする庭があります。いつのまにか増えた植物がいたるところでそれぞれに花ひらく様子はいつもの春と同じだったと思います。違っていたのはわたしの気持ち。多種多様な植物が風に揺れる様子を見て庭の生命力溢れる木々やお花に随分と助けてもらっていたことに気づきました。春は芽吹きの季節、次から次へと草木や花々が開花のピークを迎えるので終わりが無いような錯覚を覚えるほどでした。
母の植物好きは何といったらいいのか・・・ガーデニングではなく「園芸」ということばの方がしっくりきます。買うよりも、近所の方からいただいたり挿木をして増やしたりすることに意欲を燃やすタイプで正直おしゃれといえるものではないなということは子どもの頃から感じていました。ホームセンターのはしっこで枯れそうになっている花を買ってきて大きく育てたり果物を食べた種を取っておいて蒔いてみたり。物心ついた頃にはお母さんはお花が好きという意識が私のなかにはありました。
私が小中学生の時には庭に咲いた花を持っていきなさいと、よく学校に持たせてくれました。最初は皆に喜んでもらえるかなという気持ちもあって誇らしく思っていた私ですが実際には教室に飾っても誰も見ていなかったり先生も特に歓迎してくれた印象はありませんでした。登校前に「お花持っていく?」と母に言われてもだんだんと嬉しくなくなってしまった記憶があります。母としてはお花を飾ったら喜んでくれるだろう、という前提があってのことだったと思いますが私にはそう思えなかったことが余計に母に対して申し訳ないことをしているような気持ちになっていました。
随分時間が経っているのにしっかり心のどこかに根づいていたことに自分自身でも驚きます。母にはそれとなく庭に花や植物があることへの感謝を伝えました。地方都市に生まれ育ち、都会へ憧れていた自分が今は自然とともに生きることに喜びを感じている。そのことのベースには母の植物への愛があるに違いないと思います。「あたりまえにあること」の大切さも・・・