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ダレンシャン・・・負け犬になりたくなければこれを読め!

運命やディス・タイニーに黙って従うことはない。だれだって、自分の未来は自分の手で切り開ける。人は誰でも自分の人生を自分で決める力がある。あとはその力をどう使うか、選ぶだけさ。

by エバンナ

夏休み前に、中一、スリム体系成績優秀キラキラテニス部の甥へのお勧め本に、ダレンシャンを挙げたら、自分がまた読みたくなって久々ダレンシャンを(日本語で)再読。(前は原著で読んでいる)私は相当の読書家(未だに電車の中で本を読む)だけれど、ダレンシャンは私を勇気づけてくれる本リスト上位のお気に入り本。

再読して改めて、ダレンシャンシリーズは、人気が高いだけあって良い学びがある本だと納得。

  • 自分で考えて行動し、自分で落とし前をつける

  • 復讐心の怒りに我を忘れて暴走しない

  • 他人の言葉で、自分を諦めない

人生この3つができれば、大きなご褒美をもらえるよー、という人生負け犬にならないための秘訣を教えてくれる物語なんですね。以下、ネタバレです。

1 迷っても決める、決めた事に落とし前を付ける。 良し悪しは関係ない。 

ダレンシャンといえば、魅力は児童書にあり得ないダークな世界観。主人公ダレンは、子供っぽい素直さで、あれこれ心が揺れ動きながらも、自分の頭で考えてきっぱり決断して、次へ次へとつき進み、自分の行動には自分で落とし前を付ける。

ダレンシャンのレビューを読むと、判断に間違いが多いとか、子供っぽいとか批判も多い。それは負け犬の言う事。他人の非難ばかりして、自分は何も動かない負け犬だ。

迷ってもとにかく決める、動く、落とし前をつける。

これが人間も社会も成長する生き方なんですよ。

かくゆう私も、日本人だら前は失敗しない事を考え、他国の人たちの間違いをほらねーと指摘する方だったけれど、平成30年成長できなかった日本人と日本 V S英国やヨーロッパの国々の人たちは、間違いや突っ込み所も多いながら、決めて動いて次を決めて・・を早いペースで繰り返しているうちに、30年も経つと個人も成長し国も前進している
結果を見比べて、後者に分がある事を最近納得したところ。

欧米社会は、ドラマや映画や本やその他あらゆるところで、自分で主体的に決めて動いて自分で人生を動かすポジティブな生き方の大切さが語られ、教えてくれようとする。

ところが平成の昭和で思考停止大人は、この「自分の意思で決めて動く」という大切なメッセージを、自分達が思考停止だから、子供に教えられない。
ダレンシャンの訳者の後書きも、「友達や仲間の大切さ・・」などきれいごとを言って(もちろんそれも大切だけれど)、ダレンシャンの判断して突き進む姿勢までは言及しないから、(このダークな物語に)きれいごと過ぎてしらじらしい。
思い返すに他にも、アナユキの主題歌のlet it go を、使役のlet という意思を表す言葉にも関わらず、「ありのままに」という甘え好みの超絶受け身に訳して喜んでいたのも、同じだ。

決める大切さを教えられず、正解ある問題しか与えられない受験勉強育ちの意識高い系は、正しい間違いに囚われやすい。けれど、受験勉強と違い正解がない世の中で、正しいか間違いかなんてしゃがみこんで考えていたら、それだけで一生が終わるよ。世界が前進して自分だけしゃがみ込んでたら、相対的に負け犬コース。今の日本の中高年を見て御覧なさい。正しいか間違いかなんて後からしかわからない。今自分に出来る事は、自分の考えや勘を信じて前の事を判断して、とにかく動く事。そうして突きだ先で問題があれば、落とし前を付ける。この繰り返し。

ただし間違いを開き直って良いという話ではなく、また行動には、道徳や正義感、人道といった裏付けも必要。更に経験が少ないと、「えいや」で致命的な判断をしてTHE ENDリスクもある。
だから本当は子供のうちに小さなところから、「迷ってもとにかく決める、動く、落とし前をつける。」を繰り返して練習しておく方がよいのですよ。でも大人になってからでも、身の回りの小さな事から始める事もできる。

という人生で大事な事を日本社会が教えてくれなくても、ダレンシャンのような物語を読む事で、自分で判断する力を学び、この思考停止圧力から抜け出せる事ができる。だから読書は素晴らしいー。

それでも周りに理解やサポートがないと無理・・と言いたくなっても、
ダレンシャンで、ぐだぐだ言うなと教えてくれる。

とにかく眠りたい、命をかけた戦いなどしたくない。でも人生を左右する運命の時は、自分の意思では選べない。その時が来たら、どんな状態にあろうとも、立ち向かっていくしかない。

byダレン

2 憎しみの怒りがどれだけ人生を潰すか

主人公のダレンは、友達のスティーブを助けるために、バンパイアと取引をしてハーフバンパイアになったのに、自分がバンパイアになりたかったスティーブに、自分をだましてバンパイアになったと恨まれる。
そのスティーブが敵対するバンパニーズの大王となって、次々罠を仕掛け、物語の後半は周囲の人がどんどん殺され、とうとうダレンに復讐心が湧いてくる。話の終盤は、ダレンの中での心理戦とダレンとスティーブの心理戦が絡み合い、最終クライマックスになだれ込む。

「なさけを捨てたもうひとりのぼくが、復讐しろとわめきちらしている。」
「ぼくの中で、何かが目覚めてしまった。ぼくの中でずっと眠っていた、もうひとりのぼくだ。・・・
それでも、僕の中で目覚めた、復讐の炎を放つ怒りの天使は、手を下げさせてくれなかった。
ぼくは復讐に燃えていた。僕の中で、もうひとりの自分がー狂暴で、冷酷で、にくしみをたぎらさせた自分がふくれあがり、ぼくの心を完全に支配していた。
今日、僕の中で、狂暴なもうひとりの自分が目覚めた。

byダレン

年を取ると、この「復讐心に満ちた怒り」の心理戦が、妙に分かる。。。同時に、この手の「復讐心に満ちた怒り」で重要な人間関係を壊したり、仕事を台無しにしたりした知人の顔や、自分のやってしまった失敗、周囲のアドバイスで辛うじて留まれた痛い記憶が、走馬灯のように横切る。。。

普通の「怒る」は問題ないのですよ。腹立つ場面は世の中に沢山ある。でも復讐心の「怒り」は、違う。目の前の出来事だけではなく、過去の誰かから受けた仕打ちの恨みやら我慢している事が、ふつふつと湧いてきて、しかも自分の頭の中で怒りを繰り返しては、更に膨らませていたりして、それを叩きつけるような「復讐の怒り」は破壊力が高い。しかもこの状態になると、誰もが自分で制御が難しい。
こういうのはその場面を経験しなければ実感できないものだけれど、心しておけば、復讐心の「怒り」が湧いてくる事があった時に、回避できる可能性が高まるというもの。

3 他人からのネガティブな擦り込みには、反抗すべし!

エバンナがラストにどうしてダレンの魂を救ったのか?年を取ってようやく腑に落ちるようになった。

この物語は、実は他人のネガティブな擦り込みを、自分ではねのけた男の子の物語だったのですね。なにしろダレンは後半

お前が「バンパニーズ大王」を殺さなければ、バンパイア一族が滅びる。という命題を与えられながら、同時にエバンナ達に繰り返し繰り返し、「お前が勝てばお前が闇の帝王になる」と刷り込まれて、闇の帝王が支配する将来の地球まで見せられる。

警告だの心の準備だの言ってるけれど、ああ繰り返し言うって「刷り込み」ではないですか。

例えば親や先生から「お前はダメな子だ」「お前は悪い子だ」と言われ続けると、本人も「自分はダメな人になるしかない」「自分は悪い人になるしかない」と思い込んで、その通りになるというやつ。
そこまでネガティブなものではなくても、人は成長過程で家族や社会から評価の刷り込みをうけて、無意識のうちに、「自分はこんなもの」「自分はだめだ」という諦めの罠にとらわれ、行動しない理由ばかり思い浮かぶ負け犬コースに陥る。またそれに従う事をまた、社会と折り合いをつけるだとか、社会と協調するだとか、理由付けしたりもする。

ダレンは、その擦り込みを証明するかのように、「復讐心の怒り」まで湧いてくるのだけれど、物語を通して元々反抗的なところがある性格が、ここで生きる。

ダレン、お前が、闇の帝王の座に着いたんだよ。もう、おまえの人生に、なさけなんてものはない。父上の言うとおりにおし。早く運命を受け入れれば、それだけ楽になるんだから。

とまで言われて、しかも自分はミスター・タイニーの悪の血を受け継いでいるとわかっても、

「でもぼくは諦めない。ミスター・タイニーから破壊と悪事を好む性格をうけついだのだから、悪知恵も受け継いだはずだ。ミスター・タイニーが思いえがく荒れ果てた未来をこわすためなら、なんでもする。」

ときっぱり決めて、その「なんでもする」がえぐい。

対戦相手のスティーブは、物語の最初の誤解からダレンとラーテンを恨み、残酷な事をやってきている。

スティーブはいまになって、あるものを取り戻した。・・・そう、人間としての情だ。スティーブは、自分の生き方が間違っていたことをさとった。・・・だからスティーブの魂は救われるかもしれない。・・でもぼくは人間の情をすてなければならない。スティーブが、くいあらため、ぼくを刺さずに死んでしまったら、ぼくが破滅する。世界も破滅する。スティーブを怒らせなければ。

そしてスティーブを怒らせて相打ちで果てて、闇の帝王の出現を防ぐ。

でもダレンシャンは自己犠牲の美談では終わらない。

ダレンは死後、好戦的になった報いとして、成仏できない魂が行く死後も精霊の湖に留まって、長い年月己反省の罰ゲームタイムになる。

人には戦わなければならないこともある。それでも、平和のために努力する気持ちまで、すててはならない。血みどろの戦いの最中でも、話し合いで解決する方法をさがすべきだ。ぼくは、それをおこたった。

キリスト教のredemptionですね。

それでも他人の刷り込みに負けなかったダレンは、魔女のエバンナの心を動かして、自分が救われるだけはなく、振り出しに戻って自分自身の人生を救い、世界を更に救う機会というご褒美を与えられる訳です。ほんと、人は出る杭にはばっしんぐするけれど、それを無視して自分の仕事をする人には、ものすごく称賛する。スゴイと言われる人は、他人のネガティブな刷り込みに負けないから、スゴイ事が出来ている。

物語のラストはさっぱり

ダレンシャンの物語は、どんどん思いがけない展開をして、気が付いたらバンパイヤVSバンパニーズの戦いどころか人類の存続が関わる壮大な世界観。ダークかつ間違いや残酷なシーンも多いけれど、最後は、自分の魂だけではなく、自分の人生を救い、更に世界を救う可能性を残すという落とし前を付けるから、読後感が心が温かくさっぱりしていて良い。

ただの夢かもしれない。でも、夢が現実になるかもしれない。ありえそうにないことが起こる。ぼくがいまここにいることが、まさにその証拠ではないか。だからぼくは、もう一人の「ぼく」にエールを送ろう。言葉には、未来を変える力、世界を変える力がある。ぼくと「ぼく」の力が合わされば、きっとふさわしい言葉が見つかるだろう。

何て力強いエールの言葉だろうか。そして主人公が、

「さあ終わりだ。この世でやる事はすべてやった。・・・、ぼくは・・・消えた。」

とさっぱりきっぱり終わる。そして残るは物語からの学び:

  • 自分で考えて行動し、自分で落とし前をつける

  • 復讐心の怒りに我を忘れて暴走しない

  • 他人の言葉で、自分を諦めない

この3つが揃えば、人生怖くないよ。さあ動こう。

という訳です。

原著も読みやすいからお薦め

The Saga of Darren Shanは、原著も読みやすいです。若年層向けだから、言葉も文体も平易で、原著の方がよりテンポが良くて、サクサク読めます。
私の方は、次はデモナータ再読ですかね。デモナータは、平成の自分大切ドラマクイーン大国日本で、文字通りボロボロになって死ぬまで戦うのが大人の生き方、と教えてくれた私のバイブル。

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