私達は、Broad Listening の夢を見られるのか?政府を選べる時代の夢を見られるのか?

どうしようもなく熱くなぜだか忙しい中、Funding the Commons Japan 2024(7月24-25)に参加していた。主の関心はメインコンセプトだけれど、ちょうど今週台湾のAudrey Tang(オードリー・タン)が来日していて、私も気になっていた彼の著書Plurality の話もあって、セミナーを聞けば本を読む時間を節約できるかもという下心を抱いていたら、期待通りにワークショップでNishio Hirokazu氏が、頭の良い人特有の超絶早口で、超絶的に要点をかいつまんで話してくれて、多分まともに本を読んで理解するには年くらいかかりそうな内容が、たった40分で理解ができた。だから私は頭の良い人が大好きだ。
Audrey(オードリー)自身の言葉と、更に+日本語翻訳チームのgithabを読むと、 私が質問したい事の多くが既に誰かが議題に上げていて、だいぶイメージが出てきた。実際本が出版されたら購入するにしろ、基礎理解があると楽に読める。どうもありがとうございます。

Broad Listening の夢

先の都知事選挙で5位につけた安野たかひろ候補者は、結局メディアが決めた「主要」候補者以外の主張はほとんど目や耳に入る機会がなかったから(言い訳)、ただのAI屋程度の認識だったけれど、実はPlurality 思想でBroad Listening を実践していたとは。


無数市民のの声を吸い上げて、AIが捌くBroad Listening のコンセプトは、
意見の吸い上げや整理グループ化をAIにやってもらって、本当に人道が守られるのか?そもそもサイレントマイノリティーの声をどうやって吸い上げるのか、一般市民が問題だとも感じていない問題は、どう扱うのか?
社会に信頼されるまでにまだ相当の言葉が必要だろう。

それでも、これが魅力的に見える理由は、

  • 日本の現実が、信頼できる人間の政治家が見当たらず、

  • 昭和頭の左翼右翼を含めて利権ありきで利権を持たない弱者は存在すら無視され、

  • 人口半減というカタルシスが明らかなのに、

  • 向き合える知的勇気ある若手政治家も見当たらない以上、


Broad Listeningが、唯一の現状打破の先のビジョンを提示しているからだからだ。だって現在の日本の政治とマスコミの「昭和で思考停止」をぶち破るのは、昭和で思考停止には無理でしょう。

まあその先は、DUNEの世界観に繋がる?っという気もしますけれど、1万年先の心配をして動かず縮こまるのは馬鹿らしい。

安野たかひろ氏、次はぜひ渋谷区長選挙に立候補を

2024年都知事選は知らずに失礼したけれど、安野たかひろ氏、次はぜひ渋谷区長選挙に立候補していただきたい。傲慢ふわふわふわちゃん区長とお友達の、あの渋谷ブランドを餌にして自分ブランドアップしか頭にないふわふわマーケティング出身取り巻き達のママゴトやりたい放題エスカレートが続くより、Broad Listening お社会実験の方が、まだ有意義というものだ。バブル時代で思考停止の中高年渋谷区議会議員たちは、私がバッシングしておいてあげるよ。

政府を選べる時代の夢

それにしてもFunding the Commons Japan 2024は面白いイベントだった。
オープニングでは東京の小池知事も来賓あいさつ。

会場となった国連大学では、ブロックチェーンの雄の一つ、イーサリアム開発カンファレンス“EDCON 2024も開催され、こちらは現在の国の通貨の制約に縛られる社会から解放された仮想通貨の社会作りを話し合い。
Funding the Commons Japan 2024の方は、DeSCi Japan との共同開催。こちらはブロックチェーンなどの技術を用いて民主的なサイエンスシステムを構築する取り組み。Funding the Commonsは性格上、NFTを利用した社会課題解決の話などを聞けた。「私達は、Government(政府)も選べるべきではないか。」という主張には大いに共感したよ。
人類は有史以来、政変、アナーキズム、戦争と暴力がつきものだったけれど、居住地に関わらず政府を自由に選べるようになる事こそ、人類が初めて手にする平和的解決ではないだろうか?

例えばガザやウクライナが、現在の土地取り合戦政治では、どちらに転んでも遺恨間違いしだが、紛争両国のバーチャル政府が統治をして、市民はどちらかを自由に選べます。というのは思考をしてみるに値する。

とはいえ自ら勝ち取る自由も捨てがたい

ただ一方で気候変動問題といった地球全体の問題は、住み分けでは解決しない。ビーガンや廃プラもだが、まだ生まれていない世代の声や動物、海洋生物といった声なき声を代弁するには、英欧米では過激なアクティビズムは社会の注目を集める上で、未だ有用だ。その代用がBroad Listening でどうできるのか、あのおだやかなAudrey Tang(オードリー・タン)氏には、聞けなかった。自分で考えろという事だが。

今のところ人格も頭脳も素晴らしくない凡人の私には、サイレントマイノリティーとして「存在しないもの」と扱われ忘れ去れれるよりは、戦って自己主張すべきでは、という思考が消えない。

特にパリオリンピックの開会式で、斬首されたマリーアントワネットの演出に、フランス人の「自ら勝ち取ったliberty 」心意気を見せられた日には。

Headless Marie Antoinettes : Paris Olympics Opening

もう少し時間をかけて考えをまとめよう。

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