【運命思考】ってどんな才能?「すべての境目は曖昧」と捉える脳内を公開
こんにちは、井戸です。
スタンスミスと革靴の境目。
ダウ90000はだれをもってしてダウ90000か。
普通のデニムとボロボロのデニム、どこまでがデニム?
このように、世の中は曖昧なことがたくさんあります。
他にも、ピラミッドってどの段階でピラミッドになるんでしょう?1番上のブロックを置いた瞬間?だとすると、頂点にあるブロックを誰かがこっそり持ってっちゃったら、あれはピラミッドじゃなくなるのでしょうか?なんて呼べばいいんでしょう?三角錐型オブジェ?多分面倒臭いから、てっぺんのないピラミッド風建造物も、ピラミッドって呼ばれるんでしょうね。
車ってなにをもってして車?ボディがありタイヤがついてて、エンジンが駆動して動けば車?じゃあ、タイヤが一つ脱輪してまっすぐ進めなくなった車は、もう車とは呼べないのでしょうか?あと、エンジンは取り外されて動かないけど、オブジェとして価値があるヨーロッパの旧車なんかは、法外な値段で取引されたりするけど、動かない以上は車ではないのでしょうか?どの段階まで部品が組み立てられたら車になるのか、どの機能が動作してれば車と呼べるのか、これもめちゃくちゃ曖昧じゃないですか?
ピラミッドにしろ車にしろ、ある程度までパーツが揃えば、それぞれ固有の存在として認識されるってことですかね。
こう考えると、「永久不滅の固定的な実体」なんて、実は世の中に1つも存在しないのかもしれません。
全てのものに絶対的な意味や価値はなく、周囲との相対的な関係性の中でのみ、意味や価値が暫定的に確定しているだけなのかもしれませんね。
人間も曖昧じゃないですか?
知ってますか?人間の細胞って、毎日2%ずつ入れ替わってるらしいですよ。正しくは、毎秒ごとに細胞分裂を行い、新たな細胞の生成しているのと、古い細胞の死滅を瞬間的に繰り返しているっぽいです。皮膚の細胞は4週間あれば完全に入れ替わり、血液も4ヶ月程度で全とっかえ。骨は1番長いけど、それでも4年前後で入れ替わるみたいです。そう考えたら、体を構成している細胞は4年周期でほぼすべて新しいものと入れ替わることになるので、人間は4年もあれば、物質的には完全に別人となると言っても過言ではないでしょう。そもそも今この瞬間にも、多くの細胞が生まれては死んでを繰り返しているので、この文章を書き始める前と今の井戸とは微妙に別の個体であるとも言えます。
我々人間は滅びながら生まれることで、一つの生命体が同じ状態で続いているように”見えている”だけで、永久不滅の固定的な実体なんてないんじゃないでしょうか。心もそうですよね。周囲の人間関係が変わったり、住む場所が変わったり、転職したりすると価値観が書き換えられて、全く違う思考や感情を抱き、行動するようになりませんか?
そう考えたら、絶対的な「個」というのはどこにも存在しないのかもしれません。
まだまだ続きますよ。人間の体っていろんなパーツでできてるじゃないですか。頭・胴体・四肢・四肢についてる合計20本の指。そのパーツも、もっと細かくすると細胞の集まりじゃないですか。細胞って、分解していくと分子の集合体なんですよ。分子は原子で構成されていて、原子は原子核と電子の組み合わせでできていて、最小まで細かくすると、素粒子という紐状の物質になるんです。つまり、人間を構成する物質を最小単位にまで分解したものが素粒子で、人間はいわば素粒子の集合体なんです。素粒子は細かすぎて、1個1個はほぼ無みたいなもん。スカスカ通り抜けます。だからレントゲン写真も撮れるわけですよね。隙間があるから通り抜けるという理屈です。人間の本質って隙間なのかもしれないですね。隙間同士がびっちりくっつきあって、細胞や皮膚や身体の状態を一時的に構成しているだけで。
ということは、ですよ。人と人がすれ違うだけでも、素粒子レベルでは「交換」が生じていることになりませんか?だって人間は隙間だらけなんですから。握手でもしようものなら、相当数の素粒子が「握手した相手と入れ替わる」ことになりますよね。飲みの場で隣同士になった他人とも、素粒子レベルでは微妙な交換が生じていることになります。自分と他人って、どの素粒子までが自分で、どの素粒子から先が他人?めっちゃ曖昧ですよね。
更に人間の体の50~60%、半分以上は「水分」で構成されているそうです。で、体に含まれる水分そのものは、水飲んだ後に蒸発してさらに水飲んだりして、絶えずどんどん入れ替わってることになります。人間は呼吸によっても、大気中の水蒸気を常に摂取しています。ということは、自分の体の中に取り込まれた水分は、少し前まで他人の体の中にあった水分って可能性が普通に起こってるんですよ。自分ってなんでしょう。他人ってどこからが他人なんでしょう。”自分”の範囲って、実はとても曖昧なんですよね。
ここまでの話をまとめると、ものや存在には永久不滅の固定的本質や実体なんてなく、その定義は非常に曖昧という話でした。人間も一緒で、絶えず細胞の生と死を繰り返して移り変わりながら存在しているし、自分と他人の境目も非常に曖昧で、絶対的な自分という存在は定義できないという話となります。
ここから言えることが2つあると思ってます。
1つ目は、未来は自分次第で決まるってこと。物事も人も絶えず変化しているのだから、人の未来って不確定なものですよね。逆に言うと、無限の可能性があると思えるんですよ。
前職で人事をやってました。その頃よく”配属ガチャ”とか”上司ガチャ”って言葉耳にしましたし、自分でも使ったりしてました。でも、配属先の部署も、上司も、唯一無二の固定的な実体なんてないんだから、自分の行動しだいでなんぼでも変えられると思うんですよ。素粒子レベルでは、自分と目の前のデスクも物質の大元としては一緒だし、嫌いな上司ともほぼ変わらん存在、同類なんですよ。なら、自分がこうしたい、未来こうなって欲しいという方向を想像して、それに近づくように行動したら、いろんな変数同士が関連しあって、理想の状態に変わることもあるわけじゃないですか。配属ガチャ・上司ガチャってのはメディアや世間が面白がってつくった造語というだけで、実体としては常に変わるものだから、そもそもそんな言葉や概念は存在しないんですよ。少なくとも、そう思っていたほうが人生前向きに、豊かに生きられると思うんですよね。
2つ目は、自分と他人に境目がないからこそ、他人に優しくしたり感謝した方がお得ってこと。人間って基本的に、自我とかエゴがある生き物なんで、人より成功したいとか、人よりお金稼ぎたいとか、人より愛されたいとか、他人と比較して相対的に自分の立ち位置や存在価値を認識しようとするじゃないですか。SNSとかによってその見栄や奢侈の感情が加速化しているからこそ、他人に感謝したり、親切したり、物を分け与えたりすることってなくなってきてる気がするんです。ものやお金を自分のためだけに保持して誇示しようとする働きが強くなってるんじゃないかな、と。
でも、自分と他人との境目って曖昧じゃないですか。そこに気づくと、「目の前の相手に対する親切は、自分に対して親切するのと一緒」という解釈ができないですかね。「他人のため」に与えたり、見返りないのに親切するのは一見気が引ける気がするけど、「他人とは、自分との区別が曖昧な相手」という具合に”自分”の範囲を拡張すれば、見返りがなくてもまず相手に与える/感謝することが、息をするように自然にできてくるんじゃないですかね。他人事だと思ってたことがすべて、自分事に変わっていくというか、すべての行為っていうのが、自分の延長線上に位置付けられていく感覚になれると思うんです。みんながそんなマインドを持って、満たされた人が増えて、見返りを求めないGiveに溢れたポジティブな世界になる気がする、なったらいいなってふと思ったりするんです。
はい、ということで、ここからが今日の本題です。前フリ長っ!って思ったかもしれませんが、本題はいたってシンプルです。ストレングスファインダーの人間関係構築力・運命思考って、こういう感覚で生きてるってことが、今日お伝えしたかったポイントです。
僕は運命思考を5位に持ってるんですが、運命思考っていっつも謎がられるんですよ。こんなスピリチュアルっぽい資質を上位に持ってて、何になるの?どんな強みにつながるの?意味ないんちゃうん?って、結構な数の人、特に運命思考を上位にもつコーチングのクライアントさんから言われました。
一応Gallup公式の運命思考の定義でいうと、
・偶然に起こることはひとつもなくて、すべての人が互いに結び付いているという強い信念を持っている
・自分たちは何かもっと大きな存在の一部だと信じている
・思慮深く、思いやりがあり、寛容
・人は皆同じであると確信しており、異なる文化を持つ人々の架け橋の役割を果たす
・平凡な日常にも意味があるのだという安心感を人々に与えることができる
みたいな解説が書かれます。達成欲みたいにエネルギッシュにタスクをこなせるだったり、社交性のように出会った人を魅了して好きにさせるとか、未来志向みたいにまだ実現してない未来を予測して人に伝えてワクワクさせるのような、分かりやすいメリットや強みってないんですよ。運命思考って抽象的で、よくわからないんです。
さっきから話してるような、小難しくてスピリチュアルなことばっかり考えてるんですよ。でも、さっき言ったGallupの見解すべてに、今まで話してきたことが関係してるって気づきました?
・自分と他人との境目は曖昧という意識があるからこそ、すべての人が互いに結び付いているという強い信念を持つことに繋がる
・境目がないからこそ、他人には率先して感謝や親切をした方がいいって思う気持ちが、自分たちは何かもっと大きな存在の一部だと信じられる思いやりや寛容さに繋がる
・物事や世の中の曖昧さに腹落ちしているからこそ、人を性別や出身地などで短絡的に判断せず、異なる文化を持つ人々の架け橋の役割を果たせる可能性もある
・世の中すべてのことは不確定だからこそ、未来は自分次第で切り開けるっていう信念が、平凡な日常に起こるすべての出来事になんらかのポジティブな意味を見出だせて、安心感を周囲の人たちに与えることができることになる。
そういった繋がりに気づける才能を持っているからこそ、世の中が混乱してて安心感を与えられるし、組織の構造によってつくられた限界や境界線を壊すことができるし、自分たちがしていることや仕事がなにか大きな存在の一部と周囲に伝えることで、目標達成への意欲を高めることもできるっていう、とても素敵な才能なんですよ、運命思考は。
内省と掛け合わせても相性めっちゃいいですね。実際僕は内省1位なので、表面的には・フィジカル的には人との繋がりが少ないし友達もいないし孤独に見えます。でも運命思考とかけあわせることで、ちゃんと深い根っこの部分でつながってる感覚を味わえてるから、気持ちは全然孤独じゃないんですよ。一人でも平気なんですよ。だって自分と他人の境目は曖昧だからこそ、そもそも1人っていう状態自体があやふやなんですから。
というわけで、今日は壮大な前フリをもとに、謎に満ちた運命思考についてストレングスコーチの目線で解説してみました。素敵な才能です。
それではまた。
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