なぜ、箸を正しく持てなくてはならないか

ある有名野球選手がツイッターで、自分の箸の持ち方が正しくないことを承知の上で「よくないのはわかるけど、『正しい持ち方』が昔から使いづらすぎる。これが令和のスタンダード。」と、自分の持ち方の画像付きでつぶやいていた。

ご本人は、「正しくないのはわかっているけれど、これで十分使えてるし、誰に迷惑かけるわけでもないのだから、、、」というようなつもりらしい。

そう、たしかに箸の持ち方が悪くても誰に迷惑かけるわけでもない、、、わけではない、という話をしようと思う。

最近、この野球選手くらいの若い方々(あえて「若い」といわせてもらおう)の論法で、「誰にも迷惑かけてないからいいじゃん」というのをよくみかける。

電車の中で化粧をする。ベビーカーに乗っている赤ん坊にスマホを渡してずっといじらせっぱなしにする。帽子をかぶったまま食事する。スマホをいじりながら、本や新聞を読みながら食事をする。肘をついて食べる。箸の持ち方が正しくない。などなど。(なんだか食べることが多いですね)

しかし、ここでは、そうした若者の「ほっといてよ」行動を非難することはしない。第一、箸を正しく持てないのは若者ばかりではない。なので「なぜ、箸を正しく持てなくてはならないか」に焦点を絞って考えてみたい。

そもそも(あ、そもそも論が嫌いな人もいますねえ)マナーとは、社会の中で、お互いに気持ちよくすごしていくための最低限のルール、といえるのではないだろうか。

これはひとつの生活の知恵なのであって、なんでもかんでも自己流ではお互い困るし、ぶつかることも多くなる。また、なんでもかんでもその都度決めるのでは面倒でしょうがない、というようなことがらについて、「(一応)こういうふうにやることにしよう」という決めごとである。

もっとも、昨今のように、まるでクレーマーのように、ことあるごとにマナーを持ち出す、はては作りだす、押し付けるのはいただけない、と私も思う。

では、箸の持ち方や使い方など、一見「誰にも迷惑をかけない」ことがらに、なぜマナーが必要なのか?

周りの人が見ていて見苦しい、ということもあるだろう。しかし周りの視線は、百歩ゆずっていまは考えなくてもいいことにしよう。

ではなぜ? 私が考えるところそれは「食べ物に対する敬意、そして料理してくれた人に対して敬意をはらう」意味があるからではないかと思う。

「またそんな道徳の教科書みたいなこと言って!」「自分で作ったものを食う時はどうなんだ?」という声が聞こえてきそうだ。

敬意をはらう、というのは、そんなにおおげさなことではない。「いただきます」というくらいのきもちにすぎない。

そしてそれは、「私はこの食事をいただくにたる資格をもつものです」と証しをたてることにつながると思うのだ。自分で作った食事であってもそれは同じだ。

おおげさな、といわれるだろうか。しかし、私にいわせれば、これくらいのことがおおげさだというのなら、人生のほとんどのことは些事にすぎない。

幸田文が、父・幸田露伴の思い出として「言葉を正しく使う、綺麗な言葉をつかうということは、自らを卑しくしないことだ」と言っていたと回想していたが、箸を正しく持つ・使うこともまさに言葉づかいと同じことだと思う。

もう40年前、大昔の話になってしまうが、江古田に「愛情ラーメン」という小さな、その当時でも古びたラーメン屋さんがあった。老夫婦で営んでいるお店で、看板メニューはその名も「愛情ラーメン」。ラーメンと半チャーハンのセットで200円(!)。その当時でも格安だった。学生街のことで、老夫婦の学生への愛情いっぱいのメニューだ。

ある日の昼下がり、授業が終わって,古本屋を覗いたあとに、がらんとした愛情ラーメンに入って愛情ラーメンを注文した。本の虫だった私は、文庫本を読みながら待っていた。

はこばれてきた愛情ラーメンを食べ始めた。まったく無意識に左手で本を読みながら食べていた。

しばらくして「お客さん、本を読みながら食べるのはやめてくれる?」というご主人の声がした。ほかに客はいない。私のことだ。

私は、猛烈に恥ずかしくなって「すみません」と小声で謝って食べ終えたのだが、あのときのことは今でも強烈に覚えているし、老夫婦への感謝の思いとともに懐かしい思い出となっている。

英語でいえば、Self-Esteem ということになろうか。日本語にすると「自尊心、自負心」で、ちょっとニュアンスが違うけれども、ロングマン英英辞典には、" the feeling of being satisfied with your own abilities, and that you deserve to be liked or respected" とあって、こちらのほうがしっくりくる。

愛情ラーメンで、私はSelf-Esteemを失っていたということだ。

息苦しいや、そんなの知ったこっちゃない、と言われるだろうか。ならば、私は口をつぐむほかはない。もし、そんなあなたとどこかのお店で隣り合わせたときは、私は静かに箸を置いて店を出よう。


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