看護師から聞いた「看護覚書」エピソードから感じた「物事の本質」とは?
とっても久しぶりの投稿です。
長年、看護師として病棟で働いてきた人からの話である。
その話とは看護学校で最初に覚えさせられた「ナイチンゲール看護覚書」にまつわる話で、100年以上も前の文献に現代社会では当然ともいえる内容を沢山の時間を割いて行う授業に疑問を感じてはいるものの暗記できるほど強制的に覚えさせられ、早く医学的授業を受けたいと感じていたそうだ。
ここで、少し看護覚書のことを説明する。
看護覚書とは13項目からなる看護の注意点が書かれてある。
以下、その内容で、まず換気と暖房・住居の健康・小さく管理・物音・変化・食事・食物・ベッドと寝具類・陽光・部屋と壁の清潔・からだの清潔・おせっかいな励ましと忠告・病人の観察といった内容で、それぞれ項目の大切さが書かれてある。
これをざっくり(←↓医療関係者様には失礼かと思いますが、。) まとめると環境整備・小規模管理・心理的洞察・病理観察と四大項目でまとめることが出来る。
ざっくり説明したが、その内容は当時の科学的根拠によって組み立てられてはいただろう。しかし、どの内容も現代医学や化学、そして近代の住居設備に至ることを考えると既に整っているようにも思える。だが、新人や若手看護師のフォローをする度にその内容の重要さが身に染みて分かるようになったと云うことだった。
看護覚書とは、そのシンプルさゆえに当時の学生時代だった頃は時代遅れに思っていたそうだ。さて、この話を聞いて私が研究中のスクーバの本質にも当てはまる事ではないかと思い問いを立ててみたのだった。
本質とは、時代や古臭さは関係なく、且つシンプル(単純or抽象)でなくてはならない。また、最も重要な意味合いは文脈の具体的部分でなく行間に隠れた余白に抽象的な意味合いで存在する。
とかく現代人は具体的な解答ばかり欲しがり、やもすれば目的のための手段である筈のものが解答を欲しがるあまり、具体を解答と受け止めてしまう。そして、手段が目的になってしまいがちだ。
私は、よく言われる時間の有効活用や人生の時間は有限である。故に時短が美徳と安直に思考する人に違和感を覚える。実は、ここにも提起した人の文脈の中には抽象的な余白があり、具体を求める人には、時間の有効活用がただの目的になりがちな世の中が存在しているように思える。
まとめ
現代人は時間や歴史の中で先人達が残してくれた大切な古典的で古臭い教えの本質を見落としがちにしてしまうのかもしれない。最初の習うものや基本・基礎を飛び越えて型にならない形ばかりで、物事を本当に楽しんでいるようには思えない。物事の本質とは、シンプルさ故に解かり辛い。しかし、その解かり辛さが長い年月(年季)をかけて享受するのかもしれないな~と感じた雑談であった。
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