人が「教えること、学ぶことの難しさ」とは?
う~ん。備忘録になっているかも・・。
ダイビングの事業者支援を小さくやっていますが、その中でスタッフ教育などの相談を受けることが何度かあります。いつも思うのですが・・・正しい答えなどは、ある筈はないのですが・・・永遠のテーマなんでしょうね~。と云う訳で今回は「教えること、学ぶこと」について少し書きました。
もしも楽しい職場を楽園と呼ぶのなら「楽園は探すものじゃない。楽園は作るもの」なのかもしれない。
教えること、学ぶことには対面での「やり取り」がありますよね。そこで発生する「ズレ」が、中々複雑に入り乱れる人間模様があるのですが・・。今回は、まずは教える側の原点を見直す思考から書いています。
【教育とは】
教育とは?「おしえる」と「そだてる」を合わせた言葉ですが、人が育つことを意とすれば、生き物は一日では育ちません。つまり、ある程度の日数や期間をかけて専門的な知識、技術、道徳&接遇力などを育てることが本質であるとするならば、その都度、行う行動は指導で、その繰り返しの総合的期間が教育なのかも知れません。
【指導とは】
指導とは?「さす」と「みちびく」が合わさっている言葉で解釈すると教育に対して指導の場合は、それぞれ単一のやり方(手技的技術)、動き方(動態的技術)などを教えることではないかと考えます。つまり、一つの技術を教える行為が意味の強い言葉ではないでしょうか。
【育成ってなんだ?】
育成とは?「いく」と「なり」が合わさっている言葉ですが・・・難解です。ここで愚脳を整理します。まず教育が、ある程度の期間を要した総合的な印象だとすると指導は単一の具体例の繰り返しと理解して、人を育成するとは、ある程度の期間を要する印象をうけるので、教育に似ています。しかし、教育のように対面的状況で行う感じには私には思えません。育成するとは少し離れたところで見守りながら独りで経験させることなのかもしれません。つまり、さまざまな単一の「やり方」や「動き方」を経験させることで失敗や成功も経験して「何をやったら失敗するか?失敗になりそうな要因をどうやって処理すると修正できるのか」を覚え、独りの能力になるよう調整することを育成と勝手にまとめてみた。そうすると・・・指導(教える)と育成(やらせる)になるのかな?そして、教育が両方を包括的に評価して調整することで・・・。
まとめ
教育:一定期間で専門的な知識や、技術、道徳を対面で総合的に物事を教える行為。
指導:さまざまな単一のやり方(手技的技術)、動き方(動態的技術)などを教育 中に繰り返して対面で教える行為。※接遇指導も含まれる。
育成:対面で指導したやり方、動き方を独りでやらせる行為で、少し離れたところで見守りながら経験させる行為。
物事の順序的には、教育期間があり、その期間中に指導があり、育成がある。って感じで少し頭の中を整理してました。
今回は、この辺で・・・。しかし、教育に関して相談にのるのは疲れます。