農業と征服

今回も前回に引き続き文化人類学に関する記事です。今回はなぜヨーロッパの国々が南米を支配下に置くことが出来たのか。それを文化人類学の視点から分析していきたいと思います。
(まぁほとんどジャレドダイヤモンドさんの受け売りなんですけどね! 気になる人は「銃・病原菌・鉄」という名著を読んでみてください。)

人類は絶え間なく戦争を繰り返してきました。そしてその争いの大部分は同程度の軍事力を持つもの同士の争いではなく、前の記事でのマオリ族とモリオリ族間の争いの様に、高度な文明を持つものが持たざるものを侵略する形での争いが多かったそう。

ではなぜその差が生まれたのか。やはりそれは農業による食料生産開始が大きい。
ヨーロッパによる南米支配の話に入る前に、食料生産開始による発展の経路を前回より深く踏みこみ説明していきたいと思います。

農業を始める、家畜(馬も含みます)を育てる為にはその適切のある種の存在が大前提です。そしてそれを他の民族に広め、発展させていくには東西に伸びる大陸が必要です。
食料生産、家畜の育成を開始すると余剰作物が生まれます。そしてそれを貯蔵する事が可能になれば、わざわざ狩猟採集民族の様に食べ物を求めて動き回る必要がなくなる。定住する事が出来るのです。人が一箇所に集まり、人数が増えればそれを束ねるリーダーが必要になってくる。そう、政治の誕生です。
また、大量の食料が安定して供給出来るようになれば食料生産に携わらなくてもよい人が生まれてくる。政治のみに集中する人、学問のみに集中する人が出てくる。そして技術が発達する。銃や鉄など様々な発明が生まれると労働の生産性が上がり、現在の社会の様に農業従事者は更に減ります。そして技術、政治、社会が更に充実してくる。芸術は作品が大量に生まれた場所、年代を見るとすぐ分かりますが、安定した食料生産が出来ている国でのみ発展しています。
家畜の存在も無視できません。人間が抗体を持たない未知の病原菌は、家畜等の動物を通して人間にうつります。もちろん直ぐではないですが、その病原菌に対する抗体を家畜を育てている社会は何世代もかけて身に付ける事が出来る。家畜を育てる事で人を簡単に殺せる様な病原菌に対抗する抗体を身に付ける事が出来るのです。

狩猟採集社会か農耕社会か。この違いだけで技術、文化、政治。それ以外にも病原菌に対する抗体を得れるか。ここまで差が出来てくる。少し複雑になってきたので下に簡単に図でまとめました。


○適性ある野生種の存在 ○東西に伸びる大陸による種の分散の容易性

栽培植物と家畜の存在→疫病それに対する抗体の獲得

食料生産開始

余剰食料の発生

食料貯蔵を可能に。

人口の緻密化、定住
↙︎↘︎
技術の発達政治の誕生

遠回りになりましたが、次にヨーロッパが南米を支配する事が出来た理由を見ていきたいと思います。全て見ていくのは量的に無理なので代表的なのを1つだけ。スペインが現在のペルー、ボリビア、エクアドルを中心に築かれたインカ帝国を征服出来た理由について見ていきます。

☆インカ帝国はなぜスペインに敗北したのか。

まず最初にとても大切なこと。ここまでの流れだとインカ帝国は農耕民族ではなく、農耕民族であったその為スペインに負けてしまった。という結末になりそうなんですが、実はインカ帝国も農耕民族なんです。ではなんで滅ぼされたのか。それは文化としての成熟度が違ったから。世界地図を見れば分かりますが、スペインはヨーロッパにあります。ヨーロッパは陸続きではるか東、中国までつながる。様々な国、文化と触れ合えた事がインカ帝国との大きな違いです。文化は他と接触する事で発展する。上の図で1番最初に示した東西に広がる大陸、インカ帝国はそれがなかった。この地理的要因がインカ帝国との大きな差です。

ではインカ帝国の皇帝、アタワルパとスペインの将軍ピサロの戦いを見ていきましょう。

☆諸説ありますが、インカ帝国側は8万人。それに対するピサロは僅か106人しか歩兵がいなかった。一見絶望的に見えるこの差をどの様にひっくり返したのでしょうか。

→スペイン側は銃、剣、槍を持ち馬に乗っていた。しかしインカ帝国はそれらを一切見た事がなく、驚き戸惑い、なすすべなくやられてしまったそう。
どこにでもいると思いがちな馬ですが、野生種がその地域に居なければ当然家畜として育てられない。南米には馬はいなかったんです。銃や剣、槍はそれを作る原材料と技術が必要です。インカ帝国にはそもそも、作る原材料がなかった。原材料が無ければ作る技術なんて生まれません。またスペイン側が知らず知らずに持ち込んだ病原菌がインカ帝国に住む国民を大勢殺してしまったそう。
病気で人がバタバタ死んで行く中、知らない動物に乗り、知らない武器を持った連中が襲ってきたら、戸惑うのも、それに対する戦術が立てられないのも容易に想像できます。

☆なぜピサロはインカ帝国に来れたのに、インカ帝国の人々はスペインに行けなかったのか。

技術の差が生まれた理由は先ほど話したので、政治的視点から説明します。スペインには集権的な政治機構があり、資金や組織を容易に集める事が出来た。しかしインカ帝国はアタワルパという君主を立てていたものの、そこまでの政治的力量はなかった。先程も言ったように他と触れ合うことで文化は成熟する。その文化には技術や芸術だけでなく、政治も含まれます。そこでの差がここにも響いてきたんです。

以上がスペインがインカ帝国を支配出来た理由です。

長々と書きましたが、ヨーロッパが南米を支配出来たのは地理的要因が大きい。前回の記事では農耕民族と狩猟民族での争い、今回は農耕民族同士の争い。共通することは文化が発展している側が勝利したこと。農耕民族同士の争いは如何に他の文化と触れ合える環境に身を置いていたのか、これが大切な鍵です。
ヨーロッパは南米と比べ、他国の文化と非常に接しやすく、文化を取り入れやすい立地にいた。それが南米を支配出来た理由でしょう。

ではなぜヨーロッパなのか。中央アジアや中国も同じ農耕民族で同じ立地条件。なぜヨーロッパだけ飛び抜けて発展したのか。そういった疑問が生まれてきて当然だとは思いますが、それはまた別の機会に。

*前回と同様これは1つの説です。専門家でない僕の意見が少なからず含まれてるので、"あぁこういう意見もあるんだな"というスタンスで読んで頂ければと思います。


#インカ帝国 #スペイン #農耕民族 #文化人類学

3月から世界一周する予定の大学生。 旅の事、思った事、色々書いていければ良いなと思ってます