同人誌並みの公式スピンオフは許されるべきか否

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はじめに

こちらは『学園アイドルマスター』というスマートフォンアプリゲームの公式スピンオフ『学園アイドルマスター GOLD RUSH』(週刊少年チャンピオン)第4話であるが、本作が炎上している件に関連して自論を述べたいと思う。

なぜ

この度問題となっているのは、私が考えるにこの2点だ。

  • 犬束静紅(オリジナルキャラ)が藤田ことね(公式キャラ)を「赤点銭ゲバ少女」としてブログに記載

  • 倉本千奈(公式キャラ)が藤田ことねを底辺と評す

そもそも

公式スピンオフとは何なのだろうか。

スピンオフとは、派生的に生じることや派生により生じた物、副産物などをさす。転じて各分野における特定の派生現象や派生物をさす。
外伝作品、または続編、番外編などとも訳されることがあるが、単純に外伝スピンオフを同義に捉えるのは誤りである。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

現代において外伝は、主となる作品に対して、その物語に直接影響しない裏話や逸話として派生した作品を指す言葉として広く使われている。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまりスピンオフとは、
原作から生まれた新しい作品であるが、外伝と異なり原作との直接的な影響を持つということである。

ポケットモンスター RéBURST

さて「公式スピンオフが炎上」で思い出す作品は世代によって異なるだろうが、私としてはやはり

ポケットモンスター RéBURST

この画像で知られる『ポケットモンスター RéBURST』(田村光久)である。こちらは週刊少年サンデーにてかつて連載されていた作品で、同時期の作品としては『銀の匙 Silver Spoon』(荒川弘)などがある。

私が当時サンデーを本誌で読んでいた時に連載が始まり面白くて好きだった記憶があるのだが、今ではこの画像しか思い出せない。
しかしある時インターネットでこの作品がポケモンファンにとって不評だったことを知った時は衝撃を受けた。

従来のポケモンを題材した作品とは異なり、ポケモンバトルではなく「ポケモンと融合した人間同士のバトル」をメインとしている。このような作風になったのは、編集部の間で「サンデーで連載する以上、既存のポケモンの延長では無意味」、「少年誌の伝統として主人公が自ら血と汗を流す必要がある」との合意があったため。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「ポケモンとの合体」という概念はポケモンシリーズ初代『ポケットモンスター赤・緑』のマサキがポケモンと合体した姿で登場し、既出の概念であったが、初代ゆえの設定のブレとして扱われ硬派なファンからは受け入れられなかったようだ。

なお連載終了後には『ポケットモンスター サン・ムーン』においてラスボスがポケモンと合体して登場し、もはや当然の概念として扱われていることがわかる。

この作品のようにその当時はファンから受け入れられなかったスピンオフも後には当然の概念として扱われることがある。

本題

ここで本題に戻る。まず、

  • 犬束静紅(オリジナルキャラ)が藤田ことね(公式キャラ)を「赤点銭ゲバ少女」としてブログに記載

この点について考える。「赤点」というのはオリジナル設定である為除外するとして、「銭ゲバ」という表現について考える。

「銭ゲバ」という言葉は本作で作られた造語で、「銭」に昭和40年代の学生の間で度々行われていた「ゲバルト」(暴力行為を用いた権力への反抗・闘争)を合成したもの。
作中では金と権力を手に入れるために次々と殺人を行い、それを隠蔽するばかりか、大企業の社長となって以後は公害を垂れ流し人名を軽視する風太郎の事を指す言葉として使われており、この事から転じて金に汚い人や、金のためなら何でもする人の事を俗に「銭ゲバ」というようになった。

『銭ゲバ』(ジョージ秋山) ピクシブ百科事典

藤田ことねは「金のためなら何でもする」といえるほどお金が好きなキャラであることは間違いない。しかしここで問題となるのがそれをブログに書いているのが犬束静紅であることだ。

はっきり言ってしまうと、犬束静紅は嫌われ者である。連載開始の時点で、オリジナルキャラであり天才女性プロデューサーという設定がメアリー・スーだとして炎上した。

Mary Sueは、理想化されたオリジナルキャラクターを揶揄する語。
元々メアリー・スーは、1973年に出版されたファンジン『Menagerie』2号に掲載された、編集者の一人ポーラ・スミスによる『スタートレック』の二次創作小説「A Trekkie's Tale」に登場するオリジナルヒロイン、メアリー・スー大尉の名前から取られた。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ここで注意したいのは
メアリー・スーが登場する=駄作である
とはならないということだ。あくまで作者の自己陶酔に浸った痛々しいオリキャラがいるというだけで、作品の評価はそれだけでは決まらない。

ただ、プロデューサーという立場である犬束静紅が自分が手掛けるアイドルであり仲間の藤田ことねを「銭ゲバ」という口汚い言葉で評していいのかは疑問ではある
が、読者の目を引くブログタイトルにしなければならないということも考えると納得できなくもない。まあ「お金大好き赤点少女」でも良かった気もするが…

次に、

  • 倉本千奈(公式キャラ)が藤田ことねを底辺と評す

この点について考える。まず倉本千奈について、

倉本グループ会長。孫娘。
入学試験の総合結果は最下位。座学、実技ともに課題は多く、長い目で見たプロデュースが必要と思われる。デビューには時間がかかりそうだ。
令嬢らしい気品や所作、明るい人柄は、彼女の魅力であり、多くのファンを獲得しうるだろう。

スカウト前 レポート 親愛度2

倉本千奈自身が「底辺」であることは事実であり、驚くべきことに彼女はそれを自称している。
問題となっているのは倉本千奈が藤田ことねも自身と同じ「底辺」であるとしていることだ。

ここでイベントコミュ『1年2組のアイドルたち』の一部を紹介する。

(前略)
千奈「わたくし、入学試験の成績がすごーくすごーく……悪かったので。」「クラスで浮いてしまうんじゃないか……って。」
(中略)
「あ、ほんとだ。……わたし、下から2番目。」
千奈「まあ……篠沢さんも……なかなかやりますわね。」
「がーん……わたし、最下位じゃなかった……?」
千奈「うふふ……下には下がいるものですわ!」「……まったく自慢するようなことではありませんけれど……!」
(中略)
佑芽「あたしなんて、入学試験受かってないよ!」
千奈「負けましたわ~~~~~~~~!」
「下には下がいた。」
佑芽「うぅ~~!ほんとに自慢じゃないよぉ……!」
千奈「は、花海さん……元気を出してくださいまし!」「補欠入学も
最下位もあんまり変わりませんわ!」
(中略)
「わたしたちが……初星学園のワーストスリー。」「運命の仲間。」

『1年2組のアイドルたち』第1話

(前略)
千奈「1組って……どんな方々がいらっしゃるのでしょう?」
美鈴「真面目そうな方や……成績優秀な方が多いようですね。」
千奈「ふむむ……一方、わたしたち2組は……」
「………………色物が多い?」
千奈「せめて変わりものと言ってくださいませぇ!」

『1年2組のアイドルたち』第4話

これを見ると倉本千奈は自虐で「底辺」と称すことはあるが、他人を平気で「底辺」と評すキャラでないことは明らかである。
倉本千奈、篠澤広、花海佑芽の3人組の中でなら許されるかもしれないが、初対面かつ関係性もない藤田ことねに対しては許されないと考えるのが自然だ。

ただ今後の学マスの展開で唐突に倉本千奈が豹変し、口汚く令嬢らしい気品のかけらもないキャラになる可能性が微粒子レベルで存在する。その場合は正しい解釈となる……のか?

一番問題なのはこの明らかな解釈違いを公式が指摘できなかったことにある。公式スピンオフというからには、オリジナルキャラは除外するとしても原作キャラのキャラブレが好ましく思われないのは当然だ。
よって私はタイトルにもある通り「同人誌並み」と評すことにした。

持論

では最後に、同人誌並みの公式スピンオフは許されるべきか否について持論を述べたい。

私は許されるべきだと考えている。公式スピンオフといっても広く捉えると1つの創作であり表現の自由が認められる。
極論だが、「唐突にレイプ魔のモブ男が登場し、キャラが犯され」たとしても作者の自由である。

しかしそれと同時に、読者には作品を評価し、時には叩く権利があると私は考えている。(なおそれが作者に対する人格否定などの場合は認められない。)
全てのものを肯定することほど不自由なことはない。
モノとモノを比較して、どちらが優れているかを考えてこそ人間だからだ。

私が一番許されないと考えるのは、読者の感想に対し別の読者が攻撃することだ。解釈違いで炎上するときはこれが一番多い。
これは非常に不毛な行為でありやめるべきだ。

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