「親ガチャ」ってきくとなんだか許された気分にはなる
最近ニュースで取り上げられている
「親ガチャ」
子は親を選ぶことができない、どんな親の元に生まれるかは“運次第”、ということを指す「親ガチャ」
きっと最初にこの言葉を考えた人やこの言葉に強く共感をする人は少なからず「今の現状に何か不満を持っていて、どうしようもなく超えられない壁を目の前にしている」のかなと。
「親を選べない」
これは今に始まったことではないはず。
武士の子は武士。農民の子は農民。
自分の人生や職業が生まれたときから決められていた、そんな時間の方が歴史上では圧倒的に長い。
それなのになぜ今、この言葉が出てくるのか。
私たちはイイ意味で「諦めなくなった」
もしかしたら金持ちになれるかもしれない
もしかしたらノーベル平和賞を取れるかもしれない
もしかしたら海外にずっと住んで好きな生活ができるかもしれない
実際にそんな羨ましい生活をしている人をネットを通じて知ることができる。身近に感じることはできる。
どうせなら一回の人生。頑張ってみたい。挑戦してみたい。
でも挑戦しているとわかる。
自分が生きたい世界、行きたい収入をすでに手に入れている人はいる。
昔もっと勉強させてもらえていたら
昔もっと家にお金があれば
「今こんな苦労をしなくてよかったのに」
頑張っている人の息抜きポイントなんだろうなと
PRGで言う「セーブポイント」?
たまには弱音くらい言っていいじゃん。
誰かのせいにしてもいいじゃんって
この「親ガチャ」に強く共感をする人がいるなら
私は悪いことじゃないと思う。
(それで自暴自棄になったらだめだけど)
親が恵まれているから考えない自分ができてのらりくらりしている人もいる
親に恵まれなかったら自分で死に物狂い頑張って大成功した人もいる。
優秀な経営者は中卒高卒が多いってよく聞くけど
「がむしゃらに頑張る理由があった」
ってことだと思うんですよね。
結局は自分の器の問題。
小さい器に大量の水を入れても溢れるだけ。
器を大きくすれば、自然の大量の水は入ってくる。
「親ガチャいいよなー」って言いながら
今日も渋々とそれでも頑張るあなたを応援したい◎
明日が今日よりもよくなるための、今日の一日でありますように。