禁歌「死にますように」
ミューは超京都が認可した数少ないミュージシャンの一人だった。
月夜の大河を思わせるような、黒く光る長い髪。本当にその下に血液が流れているのかと疑ってしまうほどの白い肌。どこか別の星から採取した宝石のような、不思議な光を放つ灰色の瞳。思わずスッと撫でたくなる、滑り台のような鼻梁。その鼻先から続く、薄いけれどもしっかりと肉の詰まった唇。脳手術を受けたせいで、少し呆けたような表情をすることもあるが、それは彼女に限った話ではないので触れないでおこう。とにもかくにも、彼女を喩えるとすれば、女神。そう、ミューは誰も見たことがないものにしか喩えられないくらい美しかった。しかし、ここまで容姿を褒め称えておいていかがなものと思われるかもしれないが、ミューの一番の魅力は目に見える身体的なものではなく、その身体の内部から発せられる、声だった。高音域は月にまで届き、低音域は海溝にまで響くと謳われるその声量は、聴く者の魂を直接揺さぶるような底知れぬ強さを持っていた。
彼女の歌声は歌詞を選ぶ。彼女が心から共感した歌詞が彼女の口から発せられた時、歌詞はまるで命を吹き込まれたかのように、空間を縦横無尽に飛び回る。だが、あの事件以来、ミューはそういう歌をうたえなくなってしまった。彼女がうたうことを許されたのは、国民の娯楽を管理する遊楽省が用意した真面目くさった教科書的な歌ばかりだった。それでも国民は大いに満足した。国に忠誠を誓うとか、税金ってだいじだよねといった内容の歌も、聴く者は誰もその意味など考えず、ただ彼女の歌声としてだけ聴いていた。まるで鳥の鳴き声を楽しむように。そう、超京都、そして日本に暮らす人にとって、ミューの歌声は最高の癒しだったのだ。
日本の首都、超京都。今から5年前、それまで東京と呼ばれていた都市は、超京と名を変えた。あらゆる都を超える京、それが超京。名称変更時、そこに調教の意味が隠れていると揶揄されたりもしたが、皆すぐに忘れた。
東京が超京と名前を変えたきっかけとなった事件がある。それが日比山公園大音楽堂で行なわれた反政府集会暴動事件、通称日比山事件である。
当時から政府は「国民のための安全安心な暮らし」をモットーとした政策を推し進めていた。まあ「国民のため」などということは単なる建前で、政府の強権化が一番の目的であることは国民の多くが分かっていた。そしてこの時点ではまだ、国民側にもそれを公に反対する権利が認められていた。政府の強権化を懸念する国民は、今はなき民間会社のSNSで繋がり、5月31日正午、皇居にほど近い日比山公園の中にある大音楽堂に集結したのだ。当初、主催者は参加者2万人程度を予想していたが、いざふたを開けてみると、なんと20万を超える人々が全国から集まった。最大2万人の収容人数を誇る大音楽堂をもってしても、当然全員が入ることはできず、日比山公園は人、人、人また人で溢れかえった。さらには、公園内にも入りきらない人々が、押しつぶされたハンバーガーのソースのように、周辺にじわりじわりと広がっていった。そのうち、申し合わせたわけではないだろうが、公園の中で、外で、あちらこちらで、ギターを持った参加者が同じ歌を弾き出した。それは当時大流行していたミューの歌「死にますように」だった。そう、ミューこそがこの大規模集会のシンボルであり、彼女の歌こそが参加者たちを繋げる合言葉のようなものだったのだ。右を見ても左を見ても、皆がうたっている。前も見ても後ろを見ても、誰もが声をあげている。歌は重なり合い、重なりは共鳴し合い、そうして練り上げられた音声は、まるで日比山公園という生き物の唸り声のようだった。空は今にも降り出しそうな、鈍色の分厚い雲に覆われていたが、この唸り声に気圧されて降り出せないでいるようでもあり、また、参加者たちもそれを意識しているようでもあった。
「〽どうかお願い死にますように」最も印象的なフレーズが、何度も繰り返される。繰り返されるごとに上気する群衆の頬。その熱気は汗となり、汗はにおいとなり、においは群衆をより興奮させ、日比山公園の唸り声はより一層大きくなる。
今変わらなければ、この国は終わる。参加者20万人それぞれ政治信条や生き様は違うかもしれない。信じる神も違うもしれない。しかし、「今の政府は間違っている」その思いは同じだった。そして「これだけ熱量があれば、本当にこの国を変えられる!」声を上げる人々がそう確信し始めた、そのときだった。
日比山公園を包囲するようにけたたましいサイレンの音が響いた。と同時に、周囲全ての信号が赤に変わり、車の流れが完全に止まった。すると、まるでこの時を待っていたかのように、日比山公園をぐるりと周る道路に合流する全ての道路から、象のように大きな車両が何台も現われ、そして何の予告もなく、一斉に放水を開始した。幾筋もの電柱のように太い水柱がデモ参加者たちに突き当る。それを最初にくらったのは群衆の外側にいた人たちで、水柱の移動と共に次々ともんどりうって倒れていく。その光景は、まるで果物の皮をスルスルと剥いていくようでもあった。一方的な水遊びは数分間続き、ようやく放水が終わった頃には、夥しい数の参加者が、ほじくり出された蚯蚓のように、地べたにのたうち回っていた。難を逃れた参加者は日比山公園の外に逃げていくものがほとんどだったが、それでもかなりの数の参加者は徹底的に抵抗する気構えで、日比山公園の中に逃げて行った。彼らのうちの一部はのちに“中様”と呼ばれ、崇め奉られることになる。
「警視庁です。即座に投降しなければ、発砲します」
都の許可を得ての集会だというのに、まるで犯罪集団に対する言葉だった。おまけに、言葉に含まれるトゲが可視化できそうなほど、敵意に満ち溢れた声だった。政府が本気でこの集会を潰しに来ているのはあきらかだったが、日比山公園内にいるデモ参加者たちは、怯むことなく立ち向かった。政府がここ数年推し進めてきた管理社会化による被害に、国民の怒りは我慢の限界を超えていた。度重なる増税による生活の困窮。中小企業の倒産。社会不安による、自殺や犯罪の激増。政府は何かにつけて国民の生活を抑圧し、逆らう者は容赦なく逮捕、投獄。このまま生きていても、奴隷のように扱われる生活が待ち受けているだけで、その傾向は強化されることはあっても、緩められていくことは想像できなかった。
ならばここで抵抗して、人間として死んでやろう。
日比山公園に集結した人々は、それくらいの覚悟を持っていた。そしてあえて中に逃げた者たちは、その想いがより一層強かった。しかし、そして、そのために……どの接続詞が適切か分からないが、悲しいかな、彼らの覚悟は現実のものとなってしまった。
昼と夜の狭間、逢魔が時がおとずれる頃には、日比山公園には無数の死体が山のように積み重なることとなった。血肉のにおいと糞便の臭いが混じり合った空気が、公園全体に立ち込めていた。上空では、日比山公園ををねぐらとしていた烏や鳩たちが、狂ったように飛び回っていた。しかし、その光景をはっきりと見た者は、一般人の中には一人もいなかった。銃撃が終わるや否や、大型トラックが何台も現われ、全身黒づくめの作業員たちが、あっという間に公園の周囲に背の高いフェンスを設置してしまったからだ。放水から、銃撃、そしてフェンス設置。その手際の良さから、あらかじめ全てのことが周到に準備されていたことが伺えた。彼らの全てが殺されたわけではなく、おそらく半数以上は逃げのびたのではないかと言われているが、それでもどう少なく見積もっても、犠牲者の数が1万を下回ることはなかった。大虐殺。その言葉が相応しいこの事件への、政府の公式発表は次のようなものだった。
「日比山公園の大暴動を無血鎮圧、負傷者12名。いずれも軽傷」
この出来事を切っ掛けに、政府による国民の管理化がさらに強化されていった。もちろん「国民の安心安全」を建前に。
政府がまず言い出したのが「国民安全法」の成立だった。法案審議の際には必ずのように日比山事件を例に出し、「日比山事件のようなことが起きないために」集会を禁止し、SNSでの繋がりも禁止し、反政府的な書籍や音楽の禁止を声高に訴えた。この法案が国民の安全安心に名を借りた強権化法案ということは、野党にも国民にもバレバレだった。当然野党は強く反発し、SNSでは連日「政権交代」や「国民安全法反対」というワードがトレンド入りした。すると政府は「禁止」ではなく「一部制限」と、簡単に語気を弱めた。内容も野党の言い分を積極的に取り入れたものとなり、当初政府が提案した内容とはかなりかけ離れたものとなっていた。野党は「国民安全法形骸化に成功!」と気炎を吐いた。しかし、これらは全て政府本来の目的から目を背けさせるための茶番に過ぎなかった。前述した法案に野党の意見を大幅に取り入れた代わりに彼らに認めさせたものが「犯罪者矯正法」という恐ろしい法律だった。名前を見ただけでは、何が恐ろしいのか今一つ分からないかもしれない。事実、第一項から第十二項までは、犯罪者を立ち直らせるための公明正大な文言で埋め尽くされていた。しかし最終十三項に書かれた「矯正の見込めない者には脳手術も可能とする」この一文こそが、政府の本丸中の本丸だったのだ。
この犯罪者矯正法第十三項を真っ先に適応したのが、日比山事件の主催者88名のうちの生き残った(生き残らされた)幹部10名と、そしてミューだった。脳手術には1から5のランクがあった。
1.感情の起伏を抑える手術。
2.暴力的な言動や行動を抑制する手術。
3.性的衝動を抑圧する手術(実質的な去勢手術)。
4.創造的思考を無くす手術(奴隷化)。
5.コミュニケーションを取れなくする手術(植物人間化)。
凶悪性の低い犯罪者は1のみを、凶悪性が上がっていくに従って2、3、4、5と、複数の手術が施されていくという仕組みだった。当時まだ19歳だったミューは、その若さと初犯ということを理由にランク1の手術に留まった。だが、政府の本音としてはあまり複雑な手術をしてしまうと、国民管理のツールとしてミューの歌声を利用できなくなるかもしれないという懸念があったからに過ぎなかった。そしてその思惑通り、以後ミューの歌声は国民に癒しを与える、いわゆる“飴”として有効活用されている。ただし、日比山事件で皆がうたった「死にますように」だけは、その存在が全ての記録から消された。公私関わらず、うたった者や演奏した者だけでなく、聴いた者までもが厳罰に処された。メロディが似ているというだけでも、処分の対象となった。政府はミューの「死にますように」を“禁歌”として正式に認定したのである。
手術の話に戻す。ミュー以外の幹部10名は、ランク2から5までに2、3人ずつに振り分けられた。これはなにか理由がある訳ではなく、ただ、それぞれの手術がどのような経過をたどるのかという、いわば動物実験的理由で振り分けられたに過ぎなかった。そしてなんたることか、ランク5に振り分けられた2人の中に、ミューの恋人タツヤがいたのである。
これが日比山事件と、ミューの身の回りにおこったことの全貌だった。そしてこのあと、全ての出来事を国民に忘れさせるかのように、東京都の名称が消え、超京都が誕生した。
政府の操り人形となったミューはただうたうことだけ、いやもっと極端に言えば、声を出すだけの人間と化していた。感情の起伏を抑えられた彼女は、自分の歌を聴いて感動している人を見ても「良かったね」といった程度にしか感じられないようになっていた。歌以外のことに注意を傾けることができなくなったミューの生活は、月日が経つごとに退廃していった。政府高官用マンションの最上階にあるミューの部屋は、熱帯低気圧でも発生したかのように荒れ放題。食生活は野生動物のように不規則になり、人目を気にしなくなったせいか、饐えたような臭いが身体から発せられるようにもなった。遊楽省から派遣された家政婦(兼マネージャー)が身の回りの世話をしていたおかげで最低限人間らしい生活を送ってはいたが、その代償を食らったのがその家政婦だった。ミューの世話のあまりの大変さに体調を大きく崩し、丸4年が経ったときに過労で入院してしまったのだ。後任には動物園の飼育員を当てようかと真剣に検討されていたときだった。都庁で働いていた、タツヤの八つ年上の姉アオイが、その噂を聴きつけ、それならば是非私めにと、遊楽省のミュー担当部署に直談判したのだ。
都庁の職員として実績があり、また恋人タツヤの姉であるということがミューを扱う上で政府にとっても都合が良かったようで、アオイは直談判から一週間という異例の早さで、遊楽省職員の肩書きを持つミューの家政婦兼マネージャーとなった。二人が会うのは、実に4年ぶり。あの日比山事件の前夜以来だった。その日、ミューはタツヤと共にアオイの部屋にいた。何を隠そう、都庁職員というお堅い職業につきながらも、アオイは日比山公園の集会に参加しようとしていたのだ。しかし不幸にも、いや今思うと幸運にもと言うべきか、突如40度を超える高熱に見舞われ、彼女は起き上がることさえできなくなっていた。ベッドで、寝たままの格好のアオイ。その彼女の頬に、「アオイさん」と言いながらミューがやさしく手のひらを当てた。そのときの手の冷たさを、アオイは4年間忘れたことがなかった。手のひらが自分の熱を吸い取ってくれるようで、「ああ、この手にずっと触れられていたい」そう思うと、なぜだか涙が泉のように湧いてきた。「この子はやはり女神だ」涙でぼやけたミューを見上げながら、アオイはそう確信した。
そのミューとの再会。ランク1の脳手術を受けていることを知ってはいたが、それでも何か特別な反応を示してくれることをアオイは期待していた。しかし、ミューの状態は思ったよりも芳しくなかった。コンサート会場の楽屋で再開を果たしたとき、微かに「あ」と口が開いたが、それっきりだった。「ミューちゃん、わたしのこと分かる?」そう聞いてもコクンと頷くだけ。「会いたかったよ」涙声でそう言ってもコクンと頷くだけ。まるで人見知りな幼子のようだった。『それでもいい、私はこの子に尽くすことに決めたんだから。Ⅹデーが来るまでは』アオイはそう自分に言い聞かせた。
日々山事件のあの日、命からがら逃げのびた参加者たちは、銃撃で命を落とした仲間たちを、冒頭に述べた通り敬意をもって“中様”と呼び、その反対に逃げのびてしまった自分たちを侮蔑の意味を込めてトザマ(外様)と呼ぶようになった。トザマ同士その後も細々と連絡を取り合っていたが、管理国家化が急速に進む日本において、彼らが既存の通信手段で連絡を取り合うのは、危険が大きすぎた。そこで彼らは、予てから実験的に使用していた通信手段を使うようになった。それは鳩型のドローンだった。このドローンは外見も飛び方も鳩そっくりの代物で、事故さえなければ指定した場所へ100%の確率で行き着くことができた。しかも、ソーラー発電で稼働するため、世界中どこへでも飛ばすことが可能。伝達内容はデータとして保管されており、幾重ものロックを解かないと閲覧できない仕組みになっていた。実は事件当日も、約50羽の鳩型ドローンを日本全国及び世界各国の同志へ向けて飛ばしていた。そしてそのネットワークは最初のうちこそ蜘蛛の糸のように細く頼りないものだったが、5年間かけて、少しずつ少しずつ大きくなり、今では国内で5千人。海外で300人が繋がるまでに成長していた。そして彼らトザマは、間近に迫ったⅩデーに向けて、着々と準備を進めていたのだ。そしてその中心メンバーの中にはアオイも入っており、超京都の動きを報告するスパイのような役割を担っていた。
アオイたちトザマが言うⅩデーは、日比山事件からちょうど6年目を迎える5月31日だった。この日、事件の起きた場所で、政府主催の特大イベントが予定されていた。かつて日比山公園があった場所に超巨大野外劇場“コロッセオ”が建てられ、その杮落しが盛大に行なわれることになっていた。このコロッセオは開閉式のドーム劇場で、コンサートの他、ラグビーやサッカーの試合を行なうことも想定しており、収容能力はなんと最大10万人であった。この杮落しのメインイベントに、ミューのコンサートが据えられていたのだ。計画したのはあろうことか政府だった。政府にとっては忌々しいながらも強権化のきっかけとなった、ある意味有り難い日比山事件。そのときにシンボル的存在だったミューを、今度は政権側のシンボルとして使用するというのだ。そしてトザマたちはそのコンサートを逆に乗っ取って、世界に発信することを目的としていた。
Ⅹデー前日、ミューは夢の中で泣いていた。泣いている彼女を包み込むように抱きしめている男性がいる。タツヤだった。タツヤの胸の中で、ミューはしゃくり上げるように泣いていた。彼女は分かっていた。このタツヤが現実の彼ではないと。夢の中だけの幻なのだと。実際の彼は、レベル5の脳手術のせいで植物人間状態。何度か面会したが、ミューを目の前にしても、彼はぼんやりと空間の一点を眺めているだけだった。そのタツヤが、夢の中とはいえミューを抱きしめている。彼女はそれが嬉しく、また悲しく、でもやはり嬉しく、泣きわめくことでその感情をタツヤに伝えようとしていた。タツヤはそんなミューを愛しむように撫でながら、ポツリポツリと、歌をうたい始めた。
〽寂しい誰かに寄り添うため、歌をうたってきた
悲しむ誰かを見守るため、歌をうたってきた
「この歌は!」ミューは、ハッとしてタツヤの顔を見上げると、彼は笑っていた。彼がいつもミューに向けていた、太陽のようなあたたかい表情で。大声で「タツヤ!」と叫ぶと同時に、ミューは夢から覚めた。今まで霞の中を彷徨っているようだった自分の感覚に、はっきりとした切れ目が刺すのを彼女は感じていた。その霞の切れ目は強い光となり、その光は、ミューの灰色の瞳の奥にくっきりと焼き付いていた。
そして、Ⅹデーは来た。
トザマたちは、Ⅹデーでの戦いの時間を20分と想定していた。それは、会場内の一般客や警備員、音響や照明スタッフに紛れ込んだ約2千人と、コロッセオの外に潜伏している約3千人の計5千人のトザマたちが会場を制圧できる限界ギリギリの時間だった。前述したように、彼らの目的は一つ、ミューのコンサートを乗っ取ること。具体的にはミューに「死にますように」をうたわせ、それを世界に向けて発信することだった。ただ、ミューが脳手術によって腑抜け状態にさせられているのは周知の事実だったので、彼らはプランBとして、会場備え付けの大型ビジョンに過去のミューの映像を流す予定をたてていた。ミューはステージの中央に立っていてくれればいい、そういう考えだった。
逢魔が時が迫ってきた。あの日、中様たちが無念にも散っていったあの空気感に似ていた。分厚い雲が西の空から近づいてもいた。会場の上空には照明に釣られて集まった小虫を狙ってか、烏や鳩が飛び交っていた。
あの時この場所には、数えきれないほどの死体が横たわっていた。一説には、全ての死体はコロッセオの下に埋められたと言われている。「コロッセオ、当てる漢字は“殺セオ”」そんな川柳がSNSに流れたりもしたが、それを発信した者、反応した者、全員が逮捕され、ランク1または2の脳手術を施された。犯罪者矯正法成立以降、犯罪者への脳手術は一般的なものとなり、トザマの中にも、脳手術を施された者が少なからず存在した。
そう、戦いは、あの日から終わっていない。だが残念ながら、今の自分たちでは政府を倒すことはできない。ならば、次世代に反抗の種を残すためにも、ここで全世界に日本の惨状を発信し、華々しく散ろう。それがトザマたちの共通した想いだった。
その想いはアオイも全く同じだった。彼女は死を覚悟していた。ミューのことは考えに考え抜いた。この女神のようなミューを巻き添えにしたくはなかった。しかし、このまま腑抜けなままで政府の犬として生かされ続けるのも、ミューにふさわしい生き様とは思えなかった。美しく気高い存在、そんな以前のミューに戻れないなら、いっそのこと……。トザマの間でミューへの対処はアオイに一存された。ミューの姉になるかもしれなかったアオイに。
「ミューちゃん、これ今日の大まかな流れね」。コロッセオの控室で、アオイはミューにその日の予定表を渡した。しかしそこには、ステージの進行ではなく、ある歌詞が書かれていた。
寂しい誰かに寄り添うため、歌をうたってきた
悲しむ誰かを見守るため、歌をうたってきた
なのに、一番うたわなきゃいけない時に、私は声が出なかった
世の中にあふれる寂しい悲しい死んじゃいたい
私は耳を塞いでしまった
世の中にあふれる苦しい助けて死にたくない
私は口を噤んだ
ああ、ああ、ああ
今、私は歌をうたっているけど、やっぱり自分が許せない
私にはもう、うたう資格はない
私にはもう、聴いてもらう資格もない
なのに、うたうことでしか償えない自分が
どうかお願い死にますように……
それは禁歌となった「死にますように」の歌詞だった。どこに監視の目があるか分からない中で、これがアオイにできるミューへの精一杯の呼びかけだった。『私たちは今日やるよ! ミューもホラ、一緒に』と。
歌詞を凝視するミュー。そのミューを横目で見守るアオイ。
「アオイさん」そう言ってミューはアオイの方に向き直り、右手をアオイの頬にそっと当てた。思いもかけない行動に、声が出ないアオイ。しかし、声の代わりに、両の目から涙が流れ出した。照れ笑いでごまかそうとするアオイに向かって、ミューは続けた。
「わたし、やるよ、……お姉ちゃん」
アオイは、小刻みに震える手で、ミューの長い髪をゆっくりと撫でた。ミュー、わたしのかわいい妹。大好きだよ。天国で、タツヤと三人で暮らそうね。
何千発もの花火を皮切りに、コロッセオ完成祝賀イベントが始まった。貴賓席には国内外から招待された首脳及び大臣クラスがズラリと並ぶ。警護のために黒いスーツに身を纏ったSPたちがその周囲を取り囲む。客席では、テレビカメラが何台も入り込み、各局のアナウンサーがさも楽し気に、会場のレポートに勤しんでいる。まるでオリンピックの開会式のようだ。
日本国首相による開会宣言に始まり、各国要人や世界的有名人の挨拶。そしてコロッセオ完成までの軌跡などが映像で流れ、いよいよミューの出番となった。静まり返る会場。そう、会場の誰もが、またライブ放送を見ている世界中の誰もが、ミューのことをよく知っていた。この世のものとは思えない美貌と、その美貌さえ脇役に回らなければならないような、美しく力強い歌声を持つ不世出のシンガー、ミューのことを。そしてもちろん、彼女がかつて、反政府のシンボルだったということも。
「それでは、超京都公認ミュージシャン、ミューさんの登場です」
アナウンスと同時に照明が落ち、会場が真っ暗になる。次の瞬間にはステージが照らされ、ミューが登場!……と誰もが予想したが、なかなか明るくならない。代わりに、何かたくさんの鳥の羽音のようなものが、上空から近づいてきた。羽音の一群はまっすぐに貴賓席に向かい、ためらうことなく白いガスのようなものを発射した。一斉に咳き込む国内外の要人とSPたち。ウガガガガと、声にならない声を上げている。間を開けず、ドドドドっと会場のあちこちから足音が貴賓席に駆け込んできた。罵声や怒号が飛び交うが、しばらくすると静まり返った。騒然とする会場をよそに、ステージにスポットライトが当てられると、そこにはミューがいた。白いロングドレスに身を包んだ女神のようなミューが。大型スクリーンにも彼女の姿が映る。先ほどまでの騒ぎなどなかったかのように、会場がドワッと湧いた。発声練習のようにミューが高低をつけながら「あーあーあーあーあー」と声を奏でると、まるで会場そのものが鳥肌をたてるように、観客が一斉に立ち上がった。これがミューの歌声の力だ。ミューはマイクを握りしめ、刺すような視線で中空を見据え、はっきりとした口調で話し始めた。
「5年前の今日、多くの仲間たちがここで殺されました。私は今日、仲間たちを弔うために、そして、この国をこんなデタラメが支配する国にしてしまったことを次の世代に詫びるためにここへ来ました。聞いて下さい。死にますように」
日比山事件以来、うたうことも聴くことも、そして存在すらも禁止された歌が、今、奏でられ始めた。会場の歓声は波濤と化し、ミューを飲み込む。ミューはしっかと声の波濤を受け止め、自身の体内へと誘い、それを力の源とするようにして今、歌い始めた。
〽寂しい誰かに寄り添うため、歌をうたってきた
その瞬間、会場にいた10万人、ほぼ全員が涙を流した。一般客もトザマたちも海外の要人たちも、そして政府関係者やSPたちの中にさえ、涙を流す者がいた。そう、彼女が本当にうたいたい歌をうたったとき、歌詞は縦横無尽に飛び回る。今、歌詞はミューの想いとともに会場全体に染み渡っていった。まるで月の光のように、隅々にまで染み渡っていった。誰もがこの歌を聴きたかった。聴くことで、自分を恥じ、そして次の世代に詫びたかった。そう、この歌は懺悔の歌なのだ。
〽うたうことでしか償えない自分が、どうかお願い死にますように
ミューの歌声は、そして想いは、瞬く間に世界へと広がった。ミュー、Myu、Mew、μ、美宇、様々な表記の「ミュー」が全世界のネットを席巻した。いくつかの動画サイトはあまりのアクセスの多さにパンクするほどだった。政府のネット監視部門では、ミューに関する投稿を片っ端から削除したが、焼け石に水だった。マグマのように熱せられた人々の心は、政府が水をかければかけるほど派手に水煙を上げた。この瞬間、世界は確実に動いていた。
「ああ、この子がいるなら、日本は本当に変わることができる」
舞台袖でミューを見ていたアオイがそう確信したときだった。アオイは後頭部に冷たく硬いものが当たるの感じた。
ターンと乾いた音がステージに響く。驚いたミューが舞台袖を凝視すると、暗闇に小さな白い煙が浮かんでいた。
「アオイさん!」ミューがそう叫ぶと同時に、ターンターンターンと数発の音が鳴り響いた。
大粒の雨が降りだし、コロッセオの屋根が閉じはじめた。