どうやったらこの違和感ばかりの世界を抜け出せる?〜はじめに〜
この現実の違和感や息苦しさを感じてやまない人は多いと思う
なんか、変だな?
なんか辻褄が合わないな?
なんか矛盾してるな?
わたしもその違和感を感じて止まない1人だった
だから、何がどうして、どうやって、こういう風に変なのか
わたしが辿ってきた道順と
わたしなりにどうしたらいいのか考えたことをシェアします
それを説明していくのにまず、結論から述べます
(結論の抽象的な事象からはいって具体的な内容に迫っていきたいと思います。ピンと気づらいかもですがプロローグとして。。。)
まず、始めからぶっ飛びますが、
私たち人間の魂が何故この世界に存在してるかというと
この世界を体験して味わって、魂を拡大させるために存在していると思います
苦しいことがあったり、悲しいことがあっても、理解して、受容できるたび、広い世界が待っていて、そのたび少し優しく、そして強く、そして、揺るぎない自分になれます
それを知りたいがために、ここに肉体をもって存在しています
その体験全てをやりにきています
では、なぜ、この時代生まれてきたのでしょうか?
お宙に帰れば宇宙には時間軸は存在しません
過去とか未来とかないです
あるのはこういう設定の世界だということです
学びたい魂の課題(こんな体験したいな!ってこと)に合わせて好きな時代を選んで生まれてこれます(課題に取り組みやすい環境といってもいい)
なので誰しもが、この時代を選んで生まれてきていると言えますし、家庭環境や境遇然り、誰しもが自分という存在を選んで生まれてきていると言えます
そして、この時代に生まれてきた人々に共通してみえる課題があると思います
この時代を選んできたということはもれなくそれがやりたい!というやつです
それは
固定概念から脱却し、上下支配のないフラットで自由な横並びの世界
です
では、上下支配や規制がない何にも縛られない世界には何が必要なのでしょうか
わたしが考える重要事項は以下の3つです
私という個を知り、理解し、自分を確立すること
お金基盤の資本主義システムから脱却すること
自然に習い循環する世界、自然と共存する暮らしを実現すること
以上がわたしが考えるこれからの時代にとても重要になってくる事項です
では、固定概念から脱却し、上下支配のないフラットで自由な横並びの世界とはどんな世界でしょう?
想像できますか?
例えば、震災や危機的状況になった時、人は無条件に誰かの役に立ちたいと願います
無条件に与えたい
自分の出来ることはないか?と探し始めます
困っている人や衰弱してる人に自分ができることを差し出します
このような時、立場とか、お金とか、そういう見返りなしに与えたい、何かしたいと心から思うのではないでしょうか?
その時、人は許し合い、信頼し合うのではないでしょうか?
この無条件に自分の出来ることで何かしたい、与えたいと行動する世界が実現した時、本当に誰も傷つけることのないフラットな世界ができると思います。
人間って自分のためだけには、生きていけない生き物だと思う
自分だけ楽しくてもつまんないよね
何かの、誰かが喜んだり、真心を交換できた時の喜びのためだったら頑張れたりするんじゃないかな
そもそも、人間の本能には誰かの役に立って、エネルギーを循環させたいってスペックが備わってるって思う
今はみんな心が傷ついているから、また傷つくのが怖くて素直に生きるのが難しいと思ってる
ほんとはみんな真心を交換し合いたい
ただそれだけなのにね
だけど、今ここで時代が大きく変わった
みんなみんな心の傷を癒して魂のままに自由に、そして優しく、強く生きることを望んでいる
では、そういう横並びの自由な世界は本当に実現可能なのだろうか?与え合うことで循環していく世界は可能なのだろうか?
わたしも初めはピンとこなかった
理屈はわかってもお腹に落とすことができなかった
タイのタンブン(寄付やドネーションのような風習で豊かさを分けると豊かさが帰ってくるよというシステム)でお寺が運営されてるのを見るまでは。。。
わたしはタイに住んでいる
ここでは、資本主義システムに飲み込まれずに暮らしている人がたくさんいる
タイのお寺にはタンブンシステムがあって、みんなのタンブンで食事を賄ったり、働き手を賄ったり、建物を立てたりしている
お寺には、手伝いたいときに手伝いたい人がいって誰かしらがお手伝いしてたりする
不思議なもので、寄付した人々は豊かさが違う場所から戻ってくるのだ
だから、お寺にタンブンする
そうした与えることで循環する暮らしが成り立っている
こんな時与えられる側は与えてもらってばかりで悪いな。。。
と考えてしまうこともあるだろう
わたしもまだまだこの思考になる
でも、与えている側が本当の真心から行動している場合、別に何の見返りも求めてないし、与えることは当たり前だと思っている
うんちやおしっこするのと同じ様に
この与えることで循環するシステムは自然界のリズムと同じである
自然界は与えることで循環している世界だ
一粒の種からいくつもの実がなったり、
どんなことに使おうと地球はその場所を使うなとは言わないで、いつでもどうぞと使わせてくれる
菌や植物たちも私たちが愛情をかけたらそれに応えて頑張って働いてくれる
与えて、そこから生まれた、循環するエネルギーをまた他のところで流して、そして世界はグルグル巡っているのである
心が癒されてくるとわたしたち人間は無条件に何かを出したくなる
これを1人1人が考えて、立ち向かって、実現していく時代に入りました
みんな傷ついてるから、偏るところがあったり、出来ることと、できないことがあったりする
自分と向き合うのは大変なこともあるけど、みんなみんな同じだから
ときに人は傷ついた分だけ、
自分や人を責めたり、攻めたりしてしまう
でも、そういうもんで、それもうんちやおしっこと同じ生理現象
傷ついてない人なんて今の世の中渡り歩いてきた人ならいないと思う
そんな自分もとことんやりきったら、
ふと、相手や自分を理解したり、許したりできる時がくる
だから、大いにやりきりましょう!皆さま!笑
赦しあって助け合っていきましょい!
続く〜
ではっ!