
魂の器。土の器。からだ。
2022年9月17日
ご無沙汰しておりました〜
さっそくですが、今日は私の感じる身体についてざっくりですけど、かいてみますー。
私は、私たちの身体は土の器だなーと感じています。身体って魂が出ていったら、土と同化するとゆーか、土に還ってゆくでしょー
だから、死んだらこの地球に身体はお返しするというか、持ってけないので地球に置いてくしかないんですけど、身体は魂の入れ物という感覚が強くあります。
それは、身体を注意深く見ているとより一層そう感じるのですが、私たちの身体は、私の物のようで私のものではない。のかもしれませんー。
そして、この身体は地球の成分からなる物質だとも言えます。それは、自然の一部です。
だから身体は自然です。身体は植物や微生物のように生命のリズム、自然のリズム、宇宙のリズムが流れてます。
身体が言ってることに意識的になると、この宇宙が織りなすリズムに一致していくことができると思っています。
なので、私は身体の違和感に目をむけることは自然の流れに合わせていく目印だと考えています。
その違和感は、痛みや病気、そこまで行かなくてもなんか気持ち悪い、変な感じがする。など、身体はいろいろなかたちでそのノイズ、不調和を映し出します。
その、不調和(痛みや違和感)はたいてい感情の蓄積から起こります。
その感情の蓋の役割を担っているのは、自分を否定する、抑圧する概念です。
〜してはいけない。〜したらださい。〜したら好かれない。などなど。
生きていくうちに培って自分では意識せずにオートマティックに処理されてる自分の感情を弾き出す自分の決まり事だったりします。
それによって自然な感情は、感じてはいけないもの。思ってはいけないもの。出してはいけないものとして、自分自身から蓋をされ、傷や恐怖が深ければ深いほど、身体の奥深く深くにしまわれることになります。
その感情というのは、発散されない限り、感じない限り、気付かない限りずっと私たちのエネルギー体に留まり続けます。
そうしたものが、重なり続けた結果、身体の違和感として病気、痛み、怪我など物質化、表面化し始めます。
私たちの身体は、見える身体以外にもう一つエネルギーの身体があります。
そのエネルギーがあるから私たちの身体は動いているんですね。
東洋であれば気とかプラーナ。生命エネルギーです。これが身体と魂を繋いでいます。
なので、物質的な身体とエネルギー的な身体。この両方があって私たちは動ける。ということです。
んで、近年この生命エネルギーは全体としてみた時に人も自然も弱まってます。
この生命エネルギーは免疫と言い換えることもできると思います。
食べるものも、生き方も、自然のあり方も型にはめるようなやり方が極まっている環境では、それなりに意識してケアしていくというかバランスをとっていかないと、すぐに不調和を起こしやすい環境にあるからです。
そのために、身体の声を聞くことは、自分の身体をバランスする一つの目安になります。
そして、自分という人間を指し示す指標になっています。
今日はこんなところで♡