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罪悪感(自分という存在の否定)の震源地

罪悪感は自分が善とするものがあればあるほど生まれる

善に対して自分が従順じゃない思いを抱いたとき
それは罪悪感となる

ここでいう善とは自分が自分に対し決めている善

それは
善き人を繕うために
理想的な人間であるために
自分が自分を飼い慣らすための
聖約

善とはときに理想であり、
ときに道徳でもある

それ以外に自分が在るとき

わたしはわたしを悪だと否定しなくてはならない

この自分の存在を否定する意識を減らしていくことは幸福の鍵だ

自己否定というこの自分の生を否定する働きから
離脱していくには

自分の中での善い悪いを超えていくこと

それは
自分の生命から起こることに身を任せること
そして、決定させること

もっと簡単に言うと

自分の中から湧き出る気持ちにyesと言い続けること、まるっと受け止めること

自分で自分を定義づけないこと


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