ボヤけてしまった本来の価値を追うジャーニーで私が見つけたもの
これは、ぼやけてしまった本来の価値を追うジャーニーのわたしなりの答えである
なぜ、私たちは
住む場所にお金を払い
食べる物にもお金を払い
そして、うん。と言った覚えなく義務化された税金を払い
生きてるのだろう?
『生きること』とは『暮らすこと』でもある
私たちが生きてる限りそこには暮らしがある
現在、多くの人々の暮らしはお金の上に成り立っている
それは、暮らしに必要な物は『買う』という選択肢が一般的だからだ
『つくる』という選択肢もあるが、
それは時間がないと言って多くの人々がやめてしまった
なぜ?時間がないのだろう?
起きてるうちの多くの時間は仕事に充てなければならない
なぜ?
仕事をしないとお金が入ってこないから。。。?
今の社会は
『お金がないと生きていけない』社会であり、全ての基盤はお金である
『お金』と『生きる』が直結してしまっていて
お金がなくなれば『命』が脅かされると思っている
生きる=暮らし=お金=仕事
言い方を替えよう
これは『お金のために生きている』
とも言える
生きていくことはお金を稼ぐことなのだろうか?
私たちは何のために生きてるのだろうか?
ほんとうにお金がないと生きていけないのだろうか?
?????
生きることに必要なものは自然が、宇宙がちゃんと用意してくれている
空気も水も土も自由に使えて、自由に動植物たちと生きていくときに必要なものは育むことができる
自然は無限だ
上手に付き合えば無くなることのない永久的な豊かさを与えてくれる
私たちの暮らしは、
自然無くしては成り立たない
私たちの生は、
自然無くしては成り立たないのである
自然は無限に与えてくれる
しかし、お金は有限だ
いや、今のお金に対する概念(人々の意識)が有限だ
本来のお金とは
無限のものだ
無限とは使っても無くなることのないもの
無限の上に成り立つお金が存在する
それは、『豊かさ』である
本来は『お金』=『豊かさ』である
じゃぁ、『豊かさ』って何?
って突き詰めていくと。。。
わたしが見つけた答えは
『自分が自分であること』
だった
これが、わたしの本来の価値を巡るジャーニーのおそらく最終的な答えである
世の中にはいろーーーんな不自然や違和感がゴロゴロしていて
そーゆー、不自然さや違和感にいつも疑問しかなかった
お金のこともそうだけど、大なり小なり今起こってる災害や争いのこと、食べ物のこと、病気や身体のこと
たくさんの何でだろう?にぶつかった
そんな時、いつも答えをくれるのは自然界や民族たち(自然と暮らす人々)や昔の人々たちだった
いろーーーーーーーんな分野の『何でだろう?』を追っていくと
全ての疑問は全く違う分野同士で複雑に絡み合ってるのがわかった
その不自然な、違和感しかない事柄を追っていった先に『お金』があり、その先に『豊かさ』のかけ間違いがあり、
そしてたどり着いたのが
『自分が自分であること』だった
だから、これさえ出来ていれば、何にも縛られず自由に生きていくことは可能なのだ
わたしは、とんでもなく知りたがり症候群だからこの世界がなんでこんなにも不自然さや違和感だらけなのか?
心底知りたかった
だから、ずーーーーーーーっと自分流で追いかけてきた
もーーーー、ほーーーんと世の中仕組みが知れば知るほど、まどろっこ過ぎて脳みそ何回も溶け出したわ笑
だから、
そんな理由なんかど〜でもいいやぁ〜〜〜
って言う人はとにかく
『いつ、どんな時も自分が自分であること』
さえ出来ていれば、自分の望む現実がどんどん創られていく
そーゆー宇宙の仕組みである
(前回の文章にもつながるね
https://note.com/idinidaaw/n/n8b4517efab68)
さて、おそらく本来の価値を追うジャーニーの最終地点が『自分が自分である』ことである
現在の社会はこのことを良しとしない風潮(決まりごと、規則などなんでも規制する)があり、多くの人が生き辛さを感じる原因はここにある
只今時代の過渡期
いろんなものが解体されて、自然の流れと反するものは淘汰されていく流れがきている
これからくる時代は
多くの人が『自分が自分である』ことを体現していく時代
それに合わせて社会のシステムも劇的チェンジを遂げるだろう
そして、わたしがこの『なぜだろう?』を追ってきたのは、
『これから私たちはどんな未来を創造していくのだろう?』
そのビジョンを知りたかったからでもある
目的地がわからないのに出発なんてできないからね
こんな感じで、
新しい時代のビジョンを織り交ぜながら、物事の本質は何か?を追いかけながらみえてきたわたしのジャーニーの軌跡をただ湧き出る泉の如くツラツラとnoteに綴っていきやすっ
ここまで読んでくれてありがとう♡
ではっ!
らーーーぶ♡