私が恋人も子どもも作りたくない理由
先に断っておくが、これは制度的なものへのご意見表明ではない。私の育ってきた環境で私が感じ、私が決めたことだ。その「環境」自体に制度的なものはおよそ介入しない。いや、もしかしたら介入していたかもしれないが、私にとって知ったことではないので、ここでは制度的なものへご意見表明することはない。
さて生まれてこの方、私に恋人がいたことはない。
人付き合いに対して臆病で、深く関わり合う恋人関係を積極的に探したこともない。性欲はあるがセックスをしたこともないし、今後したいとも思わない。
もしあなたが、私の記事をモテない人間の苦しい言い訳のように考えるのであれば、今すぐ読むのをやめてほしい。モテないのは事実だが、主題が違うので別の方の記事をあたってくれ。
本題に入る前に少し長いが私の家庭環境と、それによって築かれた私の考えを書く。
私の両親は、仲の良い二人であった。世代的に考えると子沢山の家に私は生まれた。
我が家の生活は豊かではなかった。
恥ずかしながら私は父の勤めていた企業を名前すら知らない。どこでどんなふうに働いていたのか、聞いたこともなく、また父から聞かされたこともなかった。プライドの高い人で、あまり仕事の話を子どもにしなかった。
母は持病で常に体調が悪かった。だがとてもパワフルで、とてもかっこよくすてきな女性であった。
家族仲は良いと私は感じていた。
私自身、家族を愛していた。かっこいい父を、すてきな母を尊敬していた。
結論から述べると、両親は離婚した。母を大事にしていた父が母や家族へ暴力を振るうようになり、酒に溺れた。両親は毎晩言い争いをし、私はその醜悪さに耐えられず夜に家を抜け出して散歩へ出たこともあった。
離婚したあと、私は母に引き取られた。
私はあらゆる要因でうつになり、就職先をほんの数ヶ月で退職し、その後いろいろと苦労をすることになった。
母は離婚後、あっという間に死んだ。
その数年後には、父が死んだと連絡が来た。
仲の良かった家族はものの数年で消えた。
崩壊までの時間は、私の半生よりも短かった。
母が死んだとはいえ私は生きねばならない。だがうつ症状に苦しむ私はこの頃から「生きている理由もないのに?」という自問に苦しんだ。
両親はすでに死に、きょうだいたちもそれぞれで生きている。私の生を心から望む人間など、この世に果たしたいるのだろうか? もしかしたらきょうだいは悲しむかもしれないが、私がいなくて苦しむことはまあないだろう。
幸か不幸か、私には自傷や自殺をするほどの根性もエネルギーもなかった。
結果として私はまだ生きている。
年月が経ちわりと最近、うつは完治したと主治医に言われた。
嬉しかったが、うつではないからこそ鬱屈した己と冷静に向き合うはめになり、生活しながら私は苦悩している。
心から愛した家族が無残に消滅したことは、私の人生に大きな影を落とし続けている。
幼少期から家族を誇らしく思っていた私の感情は、不仲になり言い争う両親の姿によって裏切られた。そう、強烈な裏切りを体験してしまった。
子沢山になるほど愛し合っていた両親がいがみ合い暴力を振るう。これが思春期の子どもに与える傷がどれほどのものか、体験者以外には理解されないし、理解されてはならないものだ。もちろん、理解できない人に知ってほしいとは思うが。
私は両親を未だに愛していると断言できる。
だがそれは親としてではなく、男や女としてだ。
彼と彼女を、もはや親として尊敬することは私にはできない。むしろ私は両親をある面において恨んですらいる。
それは苦しむはめになった私を残して死んだことだ。
人によって私のこの恨みは「ただの責任転嫁」だと批判されるだろうが、私ではない他人に批判する権利はないので、この場では堂々とのたまうことにする。
私をまっとうに育てきらないまま、彼らが彼ら自身の不仲で決裂して、あっという間にそれぞれが死んだことを、私は生涯許さない。
なぜ育てないまま死んだのだと、もし目の前にいたなら怒鳴り散らしていただろう。鬱屈した私を矯正できないで、まともに育てないくせに生みやがってと、両親を口汚く罵倒する。
世の中では子どもを生み育てることはとても賛美される。
だが私は思うのだ。
私のような子どもはどれだけいるのだろうか? 生まれたことを嘆き、なぜ生んだのかと親に詰め寄りたくともできない子どもは、どれだけいるのだろう。
親がたとえ存命だとしても、まともな倫理観を持たされたら言えないはずだ。捌け口のない怒りは自己嫌悪になり、人を苦しめる。
それとも、こんなやつはわたしだけなのだろうか?
ともあれこういった子ども時代を経験してきた私は、成人する頃にはハッキリと結婚や子どもへの考えを固めた。恋人も作りたくないし、子どもを作るなど考えたくもない。
私は、かつての私を生みたくない。
生むようなリスクにも関わりたくない。
恋人ができたら順当にいけばその恋人とセックスするだろう。それすらしたくないのだ。どれほど万全に避妊をしたとしても、もし万が一を考えるだけで恐ろしくてたまらない。
そして同時に、両親のような裏切りにあいたくない。
どれほど仲が良くとも別れるときは別れる。大人になった今では「そういうこともある」と思えたが、当時、まだ子どもであった私には、受け入れがたい衝撃だったのだ。
あの絶望を、私は二度と体験したくない。
社会に出ると、職場のオバサマオジサマ方は私が独身であることを知るやいなや決まって言う。「結婚しないのか?」「子どもは持たないのか?」と。
そう聞ける人は、なんというか、まあ、いい経験を結婚で積んだのだと思う。私が苦笑いで「いいえ、したくないんです」とバカ正直に言うと「してみればいいものだ」「しないうちからそんなことを言ってはだめだ」「子どもはいいものだ」という。
言われるたび、聞かれるたび、私はいつも叫びたくなる。良いかもしれないただの可能性と一個人の経験ごときで、私におまえらの考えを押し付けるな、と。