民放の報道番組はノイズが多い

 まずこの記事は、ことの善悪を問うものではない。
 わたしという、一個人の好悪の問題である。

 民放の報道番組を見れない。不愉快で嫌いだからだ。
 では私はなにで世の中を知るのかというと、NHKニュース防災アプリをメインにしている。
 民放とNHKの何がどう違うのか、なぜ民放が嫌いなのか、それを書いていく。

 私は報道番組に芸能人の出演を好きに思わない。彼らは芸への知識はあるが専門家ではないし、報道内容に個人的な意見を声高に叫ぶ場面がたびたび見受けられる。視聴者はそれに対して思考を巡らせたりするのが、おそらくは楽しみ方のひとつなのだろう。
 が、それを私は聞きたくないし、ひとつも楽しいと思わない。
 私が知りたいのは昨今の事件や政治の進展等のみであり、近所に住むような専門家ではない他人の意見ではない。

 例えば昨年起きた京都アニメーション放火殺人事件だが、はじめこそ事件に関する報道のみだったが、徐々にファンの声が報道、掲載され始めた。私はそれをニュース番組やアプリ、サイトなどで目にするのが非常に不愉快だった。
 もちろん凄惨な事件へ胸を痛めることはあるが、私がニュースで知りたいのは事件の概要のみなのだ。
 事件に対する世間(市民)の感想にはまったく興味がないし、知りたいとも思わない。
 これはあらゆる事件全てに対してそうなのだ。

 人間は流行に弱い。
 少しでも話題になればすぐさまそれに飛びつく。そして意識しなくとも、流行には多かれ少なかれ影響を受けるのがふつうだろう。
 報道番組で名の知れた芸能人が何か意見を言う。芸能人の意見は別に個人の考えなので否定はしないが、多くの人が見ている番組で発言する意味は、町の井戸端会議と当然訳が違う。
 大きなニュースが報道された翌日から、周囲の人がそれを話題にするのはよくある日常だが、専門外である有名人の発言を重く捉えたり、自らの意見にする人は少なくない。番組製作側が、そういう風潮を狙っている可能性は否定できないのに、視聴者は案外素直に受け入れる。
 もちろん、私もそうだった。
 そうだったが、ある日ふとテレビを見るのをやめた。見るのをやめると煽られる人々がよく見えて、ひどくゾッとしたのだ。

 民放の報道番組を見なくなって数年経つが、見ていた頃は芸能人たちが議論していた。アナウンサーも個人的な意見を話していた。
 おそらく良い面もあるのだろうとは思う。
 思うが、番組はだいたいフラットなかたちでは終わらない。なにかの方向に定まり、おおむね出演者たちは意見を一致させる。
 議論を挟むことにより、その結論はなんとなく正しく導かれたものだと考える。

 太平洋戦争開戦は、新聞各社の影響も大きかったと聞く。
 私は日本の片隅に生きていて、世界のニュースを知る方法は発信する誰かに頼らざるを得ない。だからこそ、余計な誰かの言葉に影響されたくない。可能な限りイチから自分で考えて、自分の結論を出さねばならない。
 NHKは幸いなことに報道番組に芸能人が出演することは少なく、アナウンサーも個人的な意見を話さない。今のところゴールデンタイムでは見たことがない。

 私にとって専門外の人々の放つ言葉は、ただただノイズでしかない。最近はNHKニュース防災アプリの記事でも世間の声を掲載するようになり、とても残念に思う。
 こういう事件があった。当事者はこう言い、裁判ではこう判断され、こういう処遇になり、事件はこのように完結した。それだけを知りたいのに、現代日本ではそれがとても困難だ。