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私の落選作品 その4(2000年 新潮新人賞 応募作品 『那智の瀧』)5

4.
 一九七四年の若葉萌ゆ五月、元フランスの文化大臣で数多くの著作を遺したアンドレ・マルローが来日した。関係者各位の用意周到な配慮のもとに、昭和天皇への拝謁の後、時の皇太子・美智子妃両殿下にご進講をなした。日を置いて都下の美術館を歴訪したあと、京都そして奈良を巡り、その後この熊野の地へと足を踏み入れたのである。マルローは少数の同行者とともに、この那智の瀧を訪れ拝観した。瀧前の広場に到着すると、鳥居の近くに歩を進めたのち、彼は私が先刻来朝者を誘導した地点へと後退し、崇敬するたたずまいをもってこの瀧を見守ったという。彼は何を見たのだろうか。あるいは前掲書に記されているように、彼はそこに日本の神を見たのであろうか。
 マルローは訪日前、次のように語っている。
「われわれにとって日本、偉大な日本とは、連綿たる一個の超越性なのだよ。そして神道の超越性は、そのフォルムを変えることなく しかも絶えずそれを新たにする力強さをもった唯一の超越性であるということができる。何を言わんとしているか、おわかりでしょう。神社は、建てなおしをする場合に、まえと同様に建てなおしするんだからね。こんなことをする国は日本以外には存在しない。日本以外の国々でも、聖堂の再建ということはいくらでもあったけれども、再建すれば別のものになるだけのことだった。ローマの聖ピエトロ寺院がその一例であるようにね。別物にするか、それともぶっこわすか、どっちかしかなかった。」(『マルローとの対話』竹本忠雄著151ページより)
彼はこの瀧に、不滅のフォルムの宿りを感得したのかもしれない。

 眼前の瀧の示現は、また旧約聖書の出エジプト記に記されているモーセが見た神の山ホレブでの「しば」の記事に思いを及ばしめた。モーセはホレブ山中で、虐げられていたユダヤ人同胞を率いてエジプトを脱出すべく神の語りかけを聞くのだが、その声は火に燃えていながら なお焼失しない しばの中から現出するのである。モーセは畏みつつ神に、同胞に告ぐべき神ご自身の名を尋ねた。神は、「わたしは、有って有る者」であると答えた。神は「わたしは有る」という者であると告げられたのである。神の声が届いた只中で、草木と火が和合し、草木を滅却することなく、火が存在し続けていたのだ。一方、この瀧は岩石と水が和合し、岩山を崩落せしめることなく水が溢れ出ていた。
 「有る」とはどういうことなのか。現に存在するものは、時の経過とともに変容するのが常であるとすれば、全き意味において「有る」とは言い難いであろう。そして、意識し 意欲することによって「存在」を生み出す内的な諸力も、その全貌を窮めがたいという意味において、「存在」としての確かさを認めるには留保される。私たちは内と外との存在の間で引き裂かれつつ、なお全き存在に対する憧憬を捨て切れずに彷徨しているのだ。
 そもそも「全き存在」などというものはあるのだろうか。そうした懐疑の声が世界中を席巻しているのが現代である。惑乱の浮世では、存在の完全性などに思いを馳せる閑暇すら与えられていない。況してや それを尋ねんとすることなど・・・。「それは有った。そして有り続けている。」瀧はそのような存在であった。
 そうすると、そもそも有る前はどうだったのかという疑問が湧いてきた。瀧はおそらく、天地創造このかた有り続けてきたであろう。では天地創造の前はどうだったのか。もちろん存在していないだろう。そうなると、どのようにして天地は創造されたのかに思念は帰着する。私は旧約聖書の創世記の第一章の冒頭を思い出していた。
「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。・・・」
 私にはこの瀧が、あたかも神が「光あれ」と言い放たれた時に存在した原初の光のようにも感じられた。そしてこの瀧を創造する前、まず「はじめに神は天と地とを創造された」とある。この旧約聖書の冒頭の書き起こし、すなわち「はじめに神は」という繋がりから、聖書ははじめから神が存在していることを明言している。まず存在する神が有ったのである。聖書はそこから歴史は始まると宣する。そしてこの神がモーセに啓示をもたらしたのだ。

 そうすると私は、この眼前の水の流れを歴史に見立ててみたくなった。私たちは現在、この川を流れてゆく水滴の一粒一粒のような存在であるかもしれない。どこへ行くともわからず、この川を流れ下ってゆくのである。あるときは せせらぎを逸興の声を上げて。またあるときは 混濁した激流に揉まれながら。瀧の上方にも瀧口へ向かう流れはあり、それは山奥の源流すなわち水の源へと繋がる。そして瀧壺から溢れ出た水は、新たな流れとなり、山裾へ向かう川となって流れゆくのである。ついに海に至る。そして歴史が尽きざるごとく、この流れは尽きない。私は、常に流れゆきながら、なぜ尽きないのかと訝った。答えは自明であった。海の水が蒸発して天に貯えられ、やがて雲から雨となって地に降り 山を潤し、地下より湧き出る水と相俟って流れを形成し続けるからである。そして水は流れ続けるのである。
 歴史の始まりも、おそらくそのようなものであったのではないか。「はじめに神は天と地を創造された」とき、神は大方「おわり」を見通されていたのではないか。瀧の水がやがて海に流れ込むことを思い、私はそう直観した。そうすると歴史において、この瀧は何に相当するのか。上流から来た流れが、瀧壺から発する新たな流れへと転ずるために跳躍する姿が、この瀧であろう。これまでの時代から新たな時代へ。その移行を告げるのが、この瀧であるかもしれなかった。
 すると、旧約聖書の時代から新約聖書の時代へと駆って生きたイエス・キリストに思いが及んだ。キリスト教においては、イエスの実存が、二つの流れを跳躍しつつ取り結んでいると考えられているのではないか。それは峻烈なこの瀧のような「本質的実存」である。そのいわば 時空を飛翔する存在のひとつの体現を、ここ日本の風土に打ち込まれた一自然に見て、マルローはこの瀧に日本の神を感得したのではないか。きっと 瀧が発する「ことば」を聞いて、彼はそこに日本の神を見出したのだろう。

 流れゆく川はこの世の無常を思わせ、時間的な推移によって喚起される美意識としての「もののあはれ」を、日本人に備わる感性として定着させてきた。しかし 川の流れにおける落差としての瀧は、「もののあはれ」をも超越し、無常の背後に潜むもの、すなわち無常を常たらしめているものへの思念を呼び覚まさせる。瀧は無常の常を体現していた。
 マルローはここ那智山を訪れた後、熊野本宮に赴き、続いて伊勢へと向かった。伊勢では内宮の千木に注目し、また天に向かって突き立つ杉と、その垂直線を断ち切るがごとく横へと延びる松ヶ枝との交差に心を奪われた。そして 伊勢の神域の出口の大鳥居まで辿り着くと、振り返ってふたたび千木を指さし、「あそこに 永遠なるものの祖型が、遷宮という仮象をとおして 千古なお生きつづけている。」と述べている。
 マルローの日本訪問の意義を、彼が生きた西欧近代の枠組みの中のみで捉え尽くすことができるだろうか。そして 果たして、彼が見た瀧を、私も見たと言えるのだろうか。

5.(続く)


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