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私の落選作品 その3(第30回 三田文學新人賞 応募作品)1

『檸檬』―― 朽ちない果実

                             井出 真一路

     闇の暗さや、空気の厚みのある手ごたえを、あんなに的確に表現      
     し定着した人はいないだろう。こういうものは、たとえ幅は狭く
     とも、時がどれほどたとうと、おそらく日本語が続くかぎり、長
     持ちする。
                 ―—―安岡章太郎「三種の神器」より

1.
 「すべての芸術は音楽の状態をあこがれる」という。絵画のような造形芸術においても、そこに描かれた形象と色彩が作者の意図した主題を的確に表現し得ている場合、その作品からは固有の詩情を湛えた旋律が立ち現れてくることがある。ましてや韻律をともなう言葉の連なりによって表現される文芸では、語句の選択と表記に工夫をこらしつつ展開してゆくことで、作者の思念や感情のダイナミズムを、より情感豊かに読み手へと伝えることが可能である。
 小説家の梶井基次郎は、わずか三十一年の生涯であったが、今からおよそ一世紀前の、旧制高校文化が華やかだった・いわゆる「古き良き時代」に生きた。特に、彼の残した作品『檸檬』は、百年後の今日に至るまで幾世代にわたる読者を惹きつけ、短編小説の古典と目されるまで読みつがれてきている。私もまた今、再び『檸檬』を読み返してみると、これまで見過ごしていた新たな気づきも得られ、古典とよばれる作品が保持する尽きない魅力について、あらためて思い巡らす結果にもなった。
 梶井が『檸檬』を書き上げたのは、東京帝国大学に入学した1924(大正13)年の10月で、彼が旧制第三高等学校の学生として暮らした京都での生活が作品の舞台となっている。旧制三高では理科に在籍していたが、『白樺』に見られるような理想主義が息づいていた時代の風潮の中で、彼は文学や哲学、そして美術や音楽などを、友人たちからの影響を受けつつ幅広く渉猟した。『檸檬』は東大生となった梶井が、心機一転それまでの京都での生活を総決算し新たなスタートとするために、京都時代から書き溜めた草稿のエッセンスのみを抽出し、洗練させて書き上げた作品である。それはさながら、低弦による主題の提示という導入部から静かに奏でられる一篇の交響詩の楽曲を想起させる。途中幾度か曲調を転じながらも、最後の大団円まで一貫した緊張感を保ちつつ、独白による物語が繰り広げられていく。
 梶井は作品の構想段階で、日頃信頼している先輩や友人に、以下のような手紙を書き送っている。
《私は近頃詩を作ります。みな未成品ばかりです。音楽及び絵画のやうな効果をもたらす詩です。いろいろな色彩的な文字でデコデコに塗って、シンフォニーだと云ってやる積りです。》
《詩のシンフォニーを志してゐるが大阪で作ったアンダンテの第一頌歌は今にして見ると大分あやしい。》

 『檸檬』という作品に結実するまでに、梶井は詩から始まり、次いで散文化したいくつかの草稿を残している。現在に至るまで、梶井基次郎とその作品を対象とする研究は、あまたの論考の集積の上に活発に展開されてきている。私はこの一文を記すにあたり、関心を抱いたテーマについては、できるだけ参照するよう努めた。
 さて、小説『檸檬』は、前述のとおり1924(大正13)年10月に脱稿したが、最初に構想をノートに書き留めたのは1922(大正11)年の夏であった。それは「レモン体験」とも言える・小説『檸檬』の核心部分を文語詩としてしたためたもので、『秘やかな楽しみ』という題が付されている。

 秘やかな楽しみ
一顆の檸檬を買ひ来て、
それを玩ぶ男あり。
電車の中にはマントの上に、
道行く時は手拭(タオル)の間に、
そを見、そを嗅げば、
嬉しさ心に充つ。
悲しくも友に離りて
ひとり唯独り、我が立つは丸善の洋書棚の前、
セザンヌはなし、レンブラントはもち去られ、
マチス 心をよろこばさず、
独り 唯ひとり、心に浮かぶ楽しみ、
秘やかにレモンを探り、
色のよき 本を積み重ね、
その上にレモンをのせて見る、
ひとり唯ひとり数歩へだたり、
それを眺む。美しきかな。
丸善のほこりの中に、一顆のレモン澄みわたる。
ほゝえまひてまたそれをとる、冷さは熱ある手に快く、
その匂ひはやめる胸にしみ入る、
奇しきことぞ 丸善の棚に澄むはレモン
企みてその前を去り
ほゝえみて、それを見ず。

 この詩には、約二年後に小説『檸檬』として結実する原初の体験が綴られており、「これが『檸檬』の原型であり核心である」と言い得るだろう。よって、この詩を書き留めた梶井の真情に寄り添い、そこに重心を置いて、私も私なりに小説『檸檬』という果実に対する考察を記してゆくことにする。

2.
(以下 続く)


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