「食欲カウンセリングルーム」第二話|自分で自分を癒す旅
今日もわたしは『食欲カウンセリングルーム』に向かう。
地下鉄の駅から地上に出ると、暑さがこたえる。
と同時に、食欲カウンセラー山田満の暑苦しさを思い出した。
山田はとんでもない柄のシャツを着て、長めのパーマ髪をしきりと額にかき寄せながら、目を輝かせてしゃべるメガネのおじさんだ。
「自分で自分を癒す旅を始めるのよン。大好きなことってなァに?」
前回のカウンセリングで、山田にそう問われてから、わたしはずっと考えていた。
わたしが大好きなことって、なんだろう。
書くことが好きだから、ライターになった。でも、本当に……?
甘いものは大好き。でも、わたしが苦しめられているのも甘いものだし……。
そういえば、カウンセリングルームに向かう道中に、かわいい洋菓子店があった。
かすかな記憶をたぐりよせながら、キョロキョロあたりを見回す。
八月のギラギラした日差しの向こうに、大きなショーウィンドウのついたお店が見えた。
近づいていくと、おいしそうなケーキが見えてくる。
ワクワクしながらお店の中をのぞこうとした途端、ガラスに反射して映った自分の姿が目に飛び込んできた。
慌てておなかを引っ込める。
でも、夜中に食べ漁ったクッキーのせいで、ポッコリおなかはなかなか引っ込まない。
わたしはケーキにも自分の姿にもそっぽを向いて、カウンセリングルームに向かってまっすぐ歩いた。
好きなもの、好きなもの……。
そうだ。わたしは美術館が好きだ。
わたしが日本で一番好きな美術館は根津美術館だ。
こないだ行った展覧会も、本当に楽しかった。
東京・青山の根津美術館。
———永遠を浴びせるエントランスの小道。
青く揺れる竹とすだれ色に輝く壁面は、小道を歩くわたしをはさんで逃がさない。
大きな屋根が道のすべてを覆いつくして、わたしの視界に入るのは、はるか遠くの希望のような四角く明るい光だけ。
光に向かって歩いてくと、建物の入り口がある。
受付を抜けると、一面ガラス壁のロビーに到着。
———緑が遊びにくるロビー。
大きなガラスの壁の向こう側から庭園の木々がロビーを苔色にする。
曇天の上空から窮屈そうに光が入ってきて、ロビーにたたずむ石仏を照らす。
石仏の「生きていない穏やかさ」に囲まれて、無重力な自分に向き合う空間。
———「違う」を楽しむ展示室。
展示室には、たくさんの「違う」が充満している。
美術館を愛している人とは「違う人」。日本人とは「違う人」。ご本人の日常とはきっと「違う人」。
たとえば、ベンチであくびをする制服の少女たち。熱心に茶器を見つめるブロンドの夫婦。大声が出ちゃうアジアのおじさん。意味のないおしゃべりを楽しむおばあさん。
展示ケースの外を歩く私たちが持つ「違う」はたくさんあるけれど、視線の先には同じ作品。
言葉も視線も交わさないけれど、同じものを見ている。
「違う」から「同じ」への流れと、「同じ」から「違う」の生まれる空間が豊かな自由をくゆらせる。
———私と作品の「対話の時間」。
高麗から来たお地蔵さまが持つ、たくさんの柔らかいちっちゃな朱色の珠。
「かわいいので、それが欲しいです」と煩悩をむき出しにするわたし。
ハンモックに背中から飛び込むような安心感で、作品に甘えて寄りかかる。
隣の部屋には、漆黒の壁を背に、うつむき加減でほほえむ寸前のお地蔵さま。
作品から漏れ出る何かを、ひとかけらも残さずにすくおうとする貪欲なわたし。
スポットライトを浴びたお地蔵さまの影が、内にある湖面を静かに震わせて、わたしを右往左往させる。
二階の考古展示室にいる、とぼけた瞳の羊型青銅器。
遠慮がちな青い錆びが優しさをくすぐる。
器の丸みがわたしをぽってりとさせる。
解説プレートに見つめられながら、展示ケースにまとわりついて「またね」と言って外に出た。
———人生の集まる庭園のカフェ。
カフェ入口の狭い道を譲り合う観光客も、外国人観光客に「ディス イズ シュガー」と言う生真面目な中年スタッフも、スマホを握りながらミートパイにかじりつく女の子も。
みんな一緒に大きなガラスの箱に入って、庭園の緑を浴びている。
庭で苔をまとって堂々とかくれんぼしている石像を見つめながら、生きている時間が重なるこの一瞬……。
美術館で作品と対話している時間は、何にも代えがたい贅沢な時間だ。
作品を守り支え続けている、美術館建物そのものも美しい。
でも、わたしが心から好きなことと、甘いもの依存を卒業することと何の関係があるのだろう。
山田の言っていることは、さっぱりわからない。
わたしは『食欲カウンセリングルーム』と書かれたプレートがかかったドアの呼び鈴を押して、山田が扉を開けてくれるのを待った。