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「食欲カウンセリングルーム」第六話|新しい世界は唐突に

「ね? ほら。この日も途中で食べるのを途中でやめてる。この日も。この日もです! これって、卒業が間近だってことなんじゃないですか? きっともうすぐ卒業ですよね!?」
 わたしは山田に誇らしげに言った。
「あ、うん。そうかも」
 山田は上の空だ。
 わたしは構わず話し続ける。

「あと、先生が生理痛の話をしてたから、鉄分のサプリを飲み始めたんです。そしたら、食欲の暴走も減ってきて、生理痛もだいぶ楽になりました」
 山田は部屋の隅を見つめたまま、返事をしない。
 さすがにこれはおかしい。

「ボクの夢が……」
 聞いたことがないくらい小さな声で、山田が何か言っている。
「え?」
「ボクの夢が台無しよォー!」
 山田が叫んだ。泣いている。

 両手を広げてわたしに突進してきたので、ソファのクッションを投げつけてやった。
 山田はぱふんとクッションをおなかで受け取って、そのまま抱えてソファに座り込んだ。
 ズビズビ鼻を鳴らしている。

「どうしたんですか?」
「恋愛相談の占い屋さんになるのが、ボクの夢だったんだ」
 あぁ、あれか。新規事業として占い事業をするんだって、山田はずいぶん張り切っていた。

「占い事業が台無しになったんですか?」
「来月開催される占いイベントに、出店する計画だったのに」
「だったのに?」
「契約していた占い師がトンズラこいた」

 わたしは笑いをこらえるのに必死だった。
 山田が落ち込んでいるというだけで、なんだか可笑しい。
 その上、「トンズラこかれた」なんて状況が可笑しくてしかたなかった。
 シクシク泣いている山田の前で大笑いするのは、ちょっとだけ申し訳ない気がする。
 ひとまず慰めることにした。

「大丈夫ですよ。きっと新しい占い師が見つかりますから。それに、タロット占いだったら、山田先生だってできるんじゃないですか?」
「ボクはだめなの」
「どうして?」
「ボク、恋愛相談のセンスがないもん」

 どんなに我慢しても、わたしの口角はだんだん上にあがってきてしまう。
 山田に顔を見られないように、ゆっくり顔を背けた。

 そうか。
 恋愛相談の才能がカエル以下だということは、自覚していたのか。
 だけど、恋愛相談の占い事業をやることを諦めきれなくて、占い師を雇ったのか。
 で、トンズラされたと。
 山田は自分の夢にまっしぐらだったんだな。
 そう考えると、山田が健気に思えてくる。

「来月の出店は諦めて、また次のチャンスを狙えばいいじゃないですか」
「やだもン! ボクは恋愛相談の占い屋さんになりたいんだもン! 今すぐ、なりたいのッ」
 山田はクッションを両手でグッとにぎりしめながら、力強くわたしを見つめる。
 そんなことを言われても、返事に困る。
 そもそも、相談しに来ているのはわたしの方だ。
 おい、カウンセラー。しっかりしろ。

「あの、先生が大変そうなので、また来ます」
 わたしはバッグを持って、立ち上がった。

 その途端、山田が声をあげた。
「わァ! ボク、グッドアイディア思いついちゃったよォ!」
 やめてくれ。
 山田のグッドアイディアなんて、きっとろくなものじゃない。

「占い師は、ハナさんにお願いする!」
「ハァ!?」
「あのさァ、タロット占いって観察力さえあればいいと思ってるの。観察したものをね、自分なりに解釈して、それを伝えるっていうのが占い師でしょ? でさ、ハナさん、観察力がブラボォだったでしょ。もうこれは、ハナさんは占い師ってことでしょッ」

 全然違う。
 わたしは占い師じゃない。
 しかも、その話では観察力の他に解釈する力が必要になるじゃないか。
「いえ、わたしは、あの、仕事もありますし」
「でも、暇でしょ?」
 そう。暇だ。
 今、わたしは無難にこなせるような仕事しか請け負っていない。
 仕事はあっても、わたしの心は暇だった。

 しかし、ここで負けてはならない。
 山田の思い通りになんかなるものか。
「だけど、こんな短期間でタロット占いができるようになんてならないですよ! カードの種類がすっごくたくさんあって、難しいですもん! ムリムリ!」
「あ! やってみる?」
 山田の顔が輝いた。
 待て。ちゃんと人の話を聞け。

「やりません!」
「すっごくハナさんに合うと思うけどなぁ。タロット占いに夢中になったら、きっと甘いもの依存だってスルッと卒業しちゃうと思うのになぁ」

 ほぉ。その手があったか。
 そうだ。わたしは甘いもの依存卒業を目指してここにやってきた。そのためにできることだったら、何でもしたいと思っている。
 このタロット占いへの挑戦が、わたしの甘いもの依存卒業の推進力になるかもしれないというのか?
 くっ……。
 わたしの気持ちが傾きはじめている。

「……タロット占いって、どうやってできるようになるんですか?」
「えっとねぇ、ちょっと待ってね」
 山田は誰かに電話をかけている。
「あ、ジュリちゃん? 今度のタロット占い教室っていつ? うんうん。そう。あ、ありがとう! じゃあ、それでお願いしまーす!」
 電話を切って、山田はうれしそうにわたしに言った。
「来週の占い教室を予約しておいたから、大丈夫! これでタロット占いができるようになったね!」
 過去形で言うな!
 わたしはまだ占いができるようになったわけでもないし、占い師としてイベントに出店することに同意したわけでもない。

「待ってください。わたし、タロット占いをやるなんて一言も言ってません」
「甘いもの依存卒業したいんでしょ?」
「したいです! でもそれとこれとは関係ないですから!」
「だってさ、ボクは甘いもの依存卒業の食欲カウンセラーだよ? そのボクがハナさんにタロット占いを勧めるんだから、トライしてみる価値はあると思わない?」
 それは確かにそうだ。
 山田はろくでもない人間だけれど、甘いもの依存卒業に関する助言には、わたしは何度も救われている。
 それでもわたしは納得がいかなくて、黙っていた。

「じゃあさ、ハナちゃん」
 おっと、ここに来て、呼び方が「ハナさん」から「ハナちゃん」に変わったぞ。警戒度を上げていこう。
「ハナちゃんがタロット占い教室に通う学費は、ボクが出すからさ、試しにやってみればいいんじゃない?」
「でも、占い教室に行ってみても、わたしが占い師はやりたくないってなったらどうするんですか?」
「そのときは潔く諦めるよ。学費も請求しない。約束する」
 山田が真剣な顔をしている。
 口調も普通だ。山田なのに。
 ますます信用できない。
 わたしはまた黙った。

「お願いお願いィ! どうしても占い屋さんをやりたいのォ!」
 山田が駄々をこね始めた。
 まぁ、ひとまずやってみるか。
 山田だってとんでもない変人なだけで根はいいやつだ。
 条件だって、悪くない。
 もしかしたら、これをきっかけにわたしの甘いもの依存卒業へのスピードも早まるかもしれない。
「とりあえず、占い教室に行くだけですよ? そこから先はどうなるかはわかんないですからね!」
「きゃあー! ハナちゃーん!」
 わたしは山田の歓喜のダンスを視界に入れないようにしながら、スマホに来週の予定を書きこんだ。
 唐突に新しい世界が始まるのも、悪くない。