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食欲カウンセリングルーム第八話(最終話)|心を満たせ!恋せよ乙女

 甘いもの依存は卒業した。
 けれど、わたしはまた『食欲カウンセリングルーム』の扉の前に立っている。
 大事件が起きたのだ。

 扉を開けるなり、山田が勢いよく飛び出してきた。
「ハナせんせェ! ありがとう! こないだの占いイベントで占い師を引き受けてくれて、本当にありがとう! おかげさまでとっても評判がよかったのよォ! イベントの主催者からも、別のイベントにも出てくれないかって、スカウトされちゃったァ!」
 山田は浮かれながらソファに座った。
「あぁ、それはよかったです。そんなことよりも事件です。甘いもの依存卒業のことで、テレビ取材させてほしいと連絡が来ました」
 番組制作会社のプロデューサーから、取材を打診するメールが来たのだ。

「すごォい! タロット占いでどんどん有名になるねッ」
 山田の頭の中は、占いのお花畑が広がっているらしい。
「タロットの話はもう終わりにしてください。取材の内容は、甘いもの依存卒業のことです。わたし、食事記録をずっとブログで公開していて。少し前に『甘いもの依存を卒業できた理由』っていうタイトルで記事を書いたら、プロデューサーがそれを読んだらしくて……」
 たいしたアクセス数もないブログに、取材の申込みが来るだなんて思いもよらなかった。

「わァ! いいじゃんッ。ビフォーアフターの写真とか出してさッ、ハナちゃんの変化っぷりを見せつけちゃいなさいよォ」
 山田はいつものように大騒ぎをして喜んでいるが、わたしは吐き気がするほど追いつめられていた。
「どうしよう。自信がない」
「へっ? 自信ない? ハナさん、まだ爆食が続いてるってこと?」
「いいえ。してないです」
 ここ数カ月は、食べた後に後悔するような爆食事件は起きていない。
 食べるのを我慢をしているわけでもない。
 そもそも、爆食したいという欲が生じないからだ。

「それじゃ、けっこう楽だったでしょ」
 そうだ。体も心も楽だった。
 我慢しなくていい日常が、こんなに心地よいものだとは。
 我慢をしていないだけで自然と肩の力が抜けて、がんばらなくてもエネルギッシュに行動できる。
 おかげで仕事のスケールも大きくなってきた。

「あ! もしかして、夜中にウロウロしてクッキーを探してるとか?」
 山田が思い出したように言った。
「全然ないです」
 わたしはこの数か月で、食欲を体と心からのサインとして見られるようになった。
 夜にキッチンをさまようときは、体も心も疲れていて休みたがっているというサインなんだと知った。
 食べ物を探してウロついているときに効果的なのは、クッキーを食べるよりも、お風呂に入ってリラックスしたり、さっさとベッドに入って寝るに限る。
 そうすれば、食べることに依存するような隙は生まれない。
 本当に欲しているものは、休息だからだ。

「ますますわからないなァ。なんで自信がないのォ?」
 山田はそう言いながら質問を続ける。
「甘いもの依存を卒業したいのは、キレイになりたいからだって言ってたじゃない? それは叶ったの?」
「えぇ、まぁ。友人から『キレイになった』ってよく驚かれます。瘦せたわけじゃないっていうと、もっと驚かれます」
 他にも「立派になった!」とか「儲かってそう」とか言われたなぁ。
 自分でも自分の顔が好きになって、写真に写るのも嫌いじゃなくなったし、鏡越しに自分と目が合うと笑顔が出るようになった。

 それでも、わたしは自分が『甘いもの依存を卒業した女性』としてテレビに出ることを許せなかった。
「あの、わたし、甘いもの依存は卒業してると思ってるんです。でも、こんな見た目じゃダメなんです! 全然説得力がないんです」
 こんな姿ではダメだ。
 ぽっちゃり体型のわたしの言っていることなんて、きっと誰も信じてくれない。「甘いもの依存を卒業してるんだとしたら、その体型は何なのよ?」と言われるに決まっている。

「あぁ、見た目の話で自信がないのね? で、ブログにはどんなことを書いたの?」
 山田が聞いた。
「甘いもの依存を卒業するために、自分で自分を癒す旅に出たんだって書いたんです。食べること以外で、わたしをケアしてあげられるようにしたって。たまに乱れちゃったときも自分を責めないことが大事。自分自身と向き合って、どんな自分もまるごと全部受け止めてあげればいいんだって書きました」

「ちょっとハナちゃん! その言葉、そっくりそのまんまあなたにお返しするわよッ! 今の自分をまるごと受け止めてあげなさいよォ」
 山田の言う通りだ。
 でも、今のわたしを理想像と比べてしまう。
 今のわたしは、誰よりも劣っているとしか思えなかった。
「今のわたしじゃ、まだダメなんです……」
 頭の中では「ダメ」という言葉がぐるぐる回る。
 他には何も考えられない。

 山田がのんきなことを言いだした。
「大丈夫。そんな瞬間があっても大丈夫なのよン。自分のペースで叶えればいいのよン。うまくいっていないような気がしているときは、試行錯誤を楽しむときなのよン」
 楽しむ? こんな状態をどうやって楽しめというんだ。
「これまで地道にがんばって、土台を作ってきたんだものォ。これからもっと大きな喜びが始まるのよ。できたことはできたと認めて、それを積み上げて、次のステージに向かうの。今は周りからの『素晴らしいね』っていう賞賛を、素直に受け取ればいいだけ。そして、未来へ歩み出そうとしている今の自分に、拍手喝采とブラボーを浴びせるのよ」
 もっと大きな喜びのための……。
 そうだ。わたしの人生は終わっているわけじゃない。
 まだ途中だ。未来のために走っている最中だ。

「セルフラブって、いうじゃなァい? どんな自分だって、愛してあげなさいよォ。ないことばかりを嘆かずに、手元にあるものへの感謝と喜びを味わうのよ。そしたらきっと、道は開ける。どんな難関も超えていける。ハナさんは新たな道を歩み始めたばかりなんでしょォ? じゃあ、素直にそう言えばいいじゃない。甘いもの依存は卒業したけど、体型はもっと変えていきたいんだって言えばいいじゃなァい?」
 今日の山田はひと味違う。
 本物のカウンセラーみたいだ。
「だけどサ、甘いもの依存を卒業して一番変化したことってなァに?」
 どうしたんだ、山田。
 最終話にして、やっと本気を出したのか? いい質問だ。
「うーん……いろんなことに、すごく前向きになったことだと思います。タロット占いへの挑戦もそうだけど、仕事でも挑戦をこわがらなくなったし。どんどん仕事の幅も広がっていって、今が一番楽しい! 毎日ワクワクしてるんです」
 わたしはそう答えながら、満ち足りた気持ちになった。

「そうよォ! そのハナちゃんの輝いた顔が何よりも『甘いもの依存を卒業したら人生明るくなるのよォ!』ってことを物語ってるじゃなァい」

 そうだろうか? テレビはもっとわかりやすいストーリーが求められてるんじゃないだろうか。
 たとえば、「甘いもの依存を卒業して、ウエストサイズが激減! 体重も体脂肪もどんどん減った!」みたいなやつが。
 わたしは山田の言葉を、頭の中で何度も転がして考えていた。

「迷ってる場合じゃないのよ。悩める子羊ちゃんたちに、ハナちゃんの豊かな実りを分けてあげたらいいんじゃぁないのォ?」
 ハッとした。
 わたしのこの晴れやかな体験を、同じ悩みを持つ人にも経験してほしい。
 甘いもの依存は誰でも卒業できるんだということを伝えたい。
 あなたはもっと輝けるんだということを伝えたい。

 わたしはスマホを取り出して、プロデューサーに返信した。
―――ご連絡いただきましてありがとうございます。甘いもの依存卒業についての取材、喜んでお引き受けいたします……。

 それから、二カ月たったある日。
 わたしは朝の情報番組を見ていた。

「ハイッ! 次の話題はこちら! 甘いもの依存を卒業した女性の話です。VTRをご覧ください」 
 アナウンサーがしゃべり終わると、キッチンで洗い物をしているわたしの顔がテレビに映った。
 このVTRがたくさんの甘いもの依存で悩む人に届けばうれしい。
 誰もがみんな甘いもの依存を卒業できるのだから。

 数日後、テレビを見た友人から連絡がきた。「久しぶりに会いたい」というので、カフェでお茶をする約束をした。

 友人はチーズケーキをほおばりながら、ため息をつく。
「やっぱり、甘いものがやめられないのよねぇ。わたしも甘いもの依存かなぁって思う瞬間はたくさんあるんだけれど……。卒業するのも大変そうだなぁと思って。ね? 大変なんでしょう? 我慢しなきゃいけないものねぇ」

 あらら。テレビじゃ全然伝わらなかったのか。
 それとも友人がちゃんと聞いていなかったのか。

「我慢なんかしないよ」
 そう言いながらわたしは大好きな抹茶アイスクリームを一口食べた。
 抹茶の苦味とクリームのとろみが、口の中でゆっくりほどけていく。
 ここのカフェ、抹茶アイスが最高なのよね。

 友人は不安そうな声で、もう一度わたしに聞いた。
「そうなの? でもなぁ……。ちょっと信じられないんだよなぁ……。甘いもの依存って、本当に卒業できるの?」
 わかるわかる。
 わたしも卒業する前は、同じことを思っていたから。
「大丈夫! 甘いもの依存は卒業できる!」
 わたしはそう断言して、抹茶アイスの最後の一口を舌にのせた。
 あぁ、幸せ。

「心を満たせ。恋せよ乙女」
 わたしは小さくつぶやいた。
 これからもこの喜びが続いていくように、あふれる愛を捧げよう。
 ありのままのわたしに、ありったけの愛を。