食欲カウンセリングルーム第七話|ピンチはチャンス
「あっぶねー! 友達に騙されそうになった。『占いさせて』とか連絡きたんだけど。手口バレバレすぎて笑えるwww」
SNSで友人のつぶやきが流れてきた。
先週末に「占いの練習をさせて欲しい」とお願いした友人だった。
冷汗が流れた。
わたしのことだ。
違う。そうじゃない。誤解だ。
だけど、もう何を言っても何をやっても、誤解は解けそうになかった。
わたしは占い教室でタロットを習ってから、友人に片っ端から声をかけて占いをしていた。
カードを読むことは対話だ。
カードとの対話と、占い相手との対話。
わたしは、人と対話する力を仕事で培い、物と対話する力は美術館で育んできた。
あっという間に、わたしはタロットカードを味方につけた。
占いの練習相手をお願いして、断られることも多かったけれど、喜んでもらえることの方が多くて、わたしはうれしかった。
タロット占いをするようになってから、夜中にキッチンをうろついて、クッキーをむさぼるようなこともなくなった。
新しい挑戦をしている毎日が充実していて、鏡で自分の顔を見るたびに、わたしの輝いている顔が好きになっていった。
この状態がもう少し続けば、山田に「甘いもの依存を卒業しました!」と胸を張って言える。そう思って、毎日ワクワク過ごしていた。
その矢先に見たのが、友人のSNS投稿だった。
その投稿を見た日の夜、わたしは荒れた。
スーパーで、パーティサイズのクッキーとポテトチップスとアイスクリームを買い込んだ。
コンビニでは、期間限定のスイーツを買った。
仕上げに、ドミノピザでLサイズのピザを注文した。
わたしはネットフリックスの画面を見つめながら、延々と食べ続けた。
おなかがいっぱいになっても、やめられなかった。
食べていなければ、押し寄せる悔しさとレッテルを貼られたみじめさにつぶされてしまいそうだった。
とてつもない甘味や、刺激的な旨みを感じているときは、意味もなく「わたしは大丈夫」と思えた。
食べ終わった後に後悔することがわかっていても、やめられなかった。
翌日の朝、わたしは『食欲カウンセリングルーム』の呼び鈴を鳴らした。
ソファに座るなり、わたしは山田に昨日の食事記録を差し出す。
「もうダメです。こんなに食べちゃった……」
「ええッ!? ダメだったのォ!?」
山田は予想以上に驚いている。
わたしが甘いもの依存を卒業できなかったのは、そんなに驚くことなんだろうか。
そんなに山田はわたしの卒業に期待していたのだろうか。
「わたし、本当にダメ人間なんです。こんなにがんばってきたのに。だんだん甘いもの依存から遠ざかっているように見えていたのに。アッサリ元通りに戻っちゃった。意志が弱くて、気合いも根性もないダメ人間なんです。卒業なんて、わたしにはやっぱり無理だったんです」
「いやぁン! 無理なんて言わないで! ちょっとやってみてよ! きっと大丈夫だから、ね?」
山田が引き出しからタロットカードの箱を引っ張り出した。
「ほら、これはわかりやすいカードだから。やってみよ?」
「いや、今、タロットはちょっと……」
そんな気分じゃない。
わたしは情けない自分に幻滅しているんだ。
大好きなタロットだって、見たくもない。
「そんなこと言ってる場合じゃないから! はやくゥ!」
「はぁ……」
山田の強引さに負けて、わたしはタロットカードをシャッフルし始めた。
「ハナ先生、お願いしまァす! あのォ、ボクが占い事業を立ち上げて、占い師をハナちゃんにお願いすると、事業は成功するかどうかを占ってくださァい」
「先生がわたしに占い師を依頼したとき、占い事業が成功するかどうかですね?」
「うんうん!」
シャッフルを終えたカードをローテーブルの上に置いて、わたしはカードの束の上に左手と右手を重ねた。
左手で束の半分を持ち上げる。
束を置いて、残ったカードをその上に重ねる。
上から、一枚、二枚、三枚、カードをめくって表にかえす。
「ソードの八、ワンドの三、ワンドの八」
カードの名前を読み上げながら、なんだか占い師みたいだなと思った。
「これまで、にっちもさっちもいかない状態だったかもしれません。でも、ついに出航のときです。これからは瞬く間にプロジェクトが進んでいくでしょう」
「わぁ!」
喜ぶ山田。
「『どうせあなたにはできない』って誰かに言われたのか、自分で自分にそんな言葉を浴びせていたのか。でも、あなたは仲間を見つけてスタートのチャンスをつかんだ。それは、あなたが勇気を出して行動したゆえに得た結果です。もしも、『この人はボクの仲間じゃなかったんだ』と思うことがあったとしても、もう一度トライしてみてください。なぜ仲間を探しているのか、その答えが明確になれば、仲間探しは成功するはずです。プロジェクトの行く末に不安はあるかもしれませんが、自分で思っているよりも早いスピードで物事が進んでいくでしょう」
むむっ?
これは完全にわたしが占い師としてやることになる流れじゃないか。
わたしはまだ占い師になるだなんて、言ってないぞ。
これはまた山田から押し売りのように「占い師をやれ」と、やいのやいの言われるんだろうなぁ。なんて言って返してやろうか。
と思っていたのに、山田はやけに静かなままだった。
山田を見ると、神妙な面持ちで黙ってカードを見つめている。
「応援されてるみたいで、よかったですね」
わたしは沈黙に耐えられずに、そう言った。
いや、待てよ。
わたしは他人の応援なんてしてる場合じゃない。
落ち込んでいるのは、わたしの方だ。
わたしが話をしたいのは、占い師の話なんかじゃない。
甘いもの依存の話だ。
「あの、これが甘いもの依存とどんな関係があるんですか?」
わたしが言うと、山田はキョトンとしている。
「甘いもの依存?」
「さっき、食事記録を見せたの、覚えてないんですか? 爆食しちゃって、わたし落ち込んでるんです! それで先生に相談しに来たんです。タロット占いなんて、やってる場合じゃないんですけど」
「あれ? 占い師としてダメなんだと思って落ち込んでたんじゃないの?」
そんな話はひと言もしていない。
「わたしは、甘いもの依存を卒業したいんです!」
「なぁんだ。よかったァ! そっちの話かァ!」
山田はここが『食欲カウンセリングルーム』だということを知っているんだろうか?
「できるよ、卒業。もうほぼしてるんじゃないのォ?」
「でも、こんなにクッキーとかアイスとか食べちゃった!」
「ふぅん。これは、どうして食べたの?」
山田はようやく食事記録を手に取って読み始めた。
「ちょっと、嫌なことがあって……」
友人のSNS投稿を見て傷ついたことを話した。
「ハナちゃんは、それの何が一番嫌だったのよン?」
そういえば、その友人に特別な思いがあるわけではない。彼女との信頼関係が崩れただけなら、こんなに傷つかないはずだ。
「そうですね……。わたしの挑戦の出鼻をくじかれた感じがしたからかもしれない」
「自分の挑戦を邪魔されたと感じたとき、どうすれば自分を癒してあげられそうかしらン?」
「書くこと、かな。わたしの素直な気持ちを文章にすると、すごくスッキリするから」
「キャー! そうよォ! 素晴らしいィ!」
山田はそう叫んで立ち上がり、両手を広げた。
「ピーンチはチャンスッ!
ピーンチはチャンスッ!
責めないッでェ~
バランスを崩したときがッ
チャーンスッ!
自分をふり返る絶好のッ
チャーンスッ!
チャ! ン! ス!
自分をォ~
救い輝かせェるゥ~
絶好のッチャーンスッ!」
山田が歌って踊った。
最後はポーズをビシッと決めて、指の隙間から、満面の笑みでわたしを見つめている。
呪われそうだ。
わたしは山田と目を合わせないようにして、暴食しまくった食事が記録されている文章を見つめた。
「こういうときは、落ち込むよりも自分を見つめればいいってことなんですね」
山田はドサッと音をたてて、ソファに腰を下ろした。
「自分を責める必要なんて、ないのよン。ヤケ食いには、理由がある。その理由を受け止めてあげれば、それだけでもう食欲は暴れないはずよン。そうするとね、食欲の暴走しそうなタイミングだってわかるようになるわけ。暴走を未然に防ぐこともできるわけよン」
相変わらず、山田はいい話を変な口調でしゃべる。
「わたし、自分の武器が増えた気がします。挑戦を邪魔されるのがすごく嫌だと思っていたなんて、気づかなかったから。そういう行動指針が見えると、わたしを大切にするためにはどうすればいいかの判断がつくし」
ぼそぼそしゃべるわたし。
「また今日から、甘いもの依存卒業に向かって一歩ずつ歩き出せそうです」
わたしは頭を下げて、ソファから立ち上がった。
山田はタロットカードを手に取って眺めている。
玄関で靴をはいていると、珍しく山田が来た。
いつもだったら、そのままタロットカードで遊び始めているのに。
「ハナさん。ハナさんのタロット占いは、気持ち悪いね」
言わせてもらえば、横ストライプのシャツと縦ストライプのパンツを合わせている山田の方が気持ち悪い。
「わたしの何が気持ち悪いんでしょうか」
「わわわっ! ご、ごめんなさい! 間違えた! 気持ち悪いくらいにボクの心に寄り添ってくれたから! そういう意味だよ! だから、ありがとうって言いたかったんだ。ボク、がんばる!」
山田の目がうるんでいた。
そんなこと言っても騙されんぞ。
「それは良かったです。わたしが占い師としてやるかどうかは、またご連絡しますので」
わたしはカウンセリングルームの扉をバタンと閉めた。
わたしの頭の中は、甘いもの依存を卒業しているかどうかで頭がいっぱいだった。
山田の『ピンチはチャンス』の歌は最悪だったけど、たまに爆発しちゃうときがあってもいいんだと安心できた。
バランスを崩したときこそ、自分の武器が増えていくときなんだと思うと、もうこわいものは何もないと思えた。
「ほぼ卒業してるんじゃなァい?」と山田が言っていた。
本当だろうか?
そういえば、以前は我慢をしていても耐えきれずに食べていた甘いものも、今ではほとんど食べていない。
甘いものを食べていても、ほんの少しで十分満足できる。
そうか。これが甘いもの依存卒業なのかもしれない。
やっぱり、わたしは甘いもの依存を卒業してるんだ!
わたしは誰もいない歩道橋の上で、大声をあげた。
「卒業おめでとうーー!!!」
これでもう、『食欲カウンセリングルーム』ともおさらばだと思っていた。
あのメールが来るまでは。