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「食欲カウンセリングルーム」第四話|食べるほどに栄養不足

 ブログで食事記録を公開し始めて、一ヵ月が経った。
 食欲カウンセラーの山田は「食事記録を書くといい」と言っていたけれど、未だに食欲が暴走する日がある。
 これ、本当に意味があるんだろうか。
 山田を訪ねて食事記録を見せた。

「いやァん! 豆腐ばっかりじゃなァい? 肉も食べなさいよォ」
「だって、肉はカロリー高いから。食べないようにしてるんです」
「ひえェー! 鉄分ゲットしなさいよォ! 食べるほどに栄養不足になるんだからァ」

 栄養不足という言葉に、わたしはカッとなった。
 これだけ食事に気をつかっているのに、栄養不足になんてなるわけがない。
「栄養不足? そんなわけないです! アプリでちゃんと計算してるし、カロリーだって十分足りてます!」
「でもさァ、生理痛つらくない?」
「え?」
「鉄分足りてないんじゃないかと思ってねン。そういうときって、だいたい生理痛で苦しんでる人が多いの。ただでさえ、十分な鉄分を食事からとるのって、けっこう大変だから。甘いものをたくさん食べる人は、それ以上に鉄分が必要になるはずだからねン」

 思い当たる節はあった。
 生理が始まると、二日間は体がおもだるくて動けなくなる。
 ちょっとしたことでイライラしたり、落ち込んだりする精神的な症状もつらかった。
 でも、それが甘いもの依存と何の関係があるんだ?
「どういうこと? 何の話ですか?」
「ぐふっ! うれしいィ! ハナさんがボクの話に食いついてくれるなんて! いっつも話を聞いてくれないんだもン。ボクはハナさんの話をすっごく聞いてるのにさぁ。ぷんぷん」
 それは、山田がろくでもない話しかしていないせいだ。
「まぁ、ボクは話を聞くのが仕事だから当たり前なんだけどォ。アハハハ」
「あの、甘いものをたくさん食べると、鉄分が普通よりも必要になるっていうのはどういうことですか?」
 山田のくだらないおしゃべりよりも、鉄分の話が気になった。

「えっとねぇ、ドーナツを食べるじゃなぁい? で、体から出てくるときには変わり果てた姿になって出てくるでしょ? その間に、体の中では何が起こってるでしょうかっ?」
「あぁ、消化の話ですか?」
「えぇっ! すごぉい! どうしてわかるのぉ! きゃぁー!」
 ふざけるのもいい加減にして欲しい。
 こっちは人生がかかっているんだ。
 わたしは黙って山田の顔を見つめた。
「やだやだ。やめてェ。そんな顔で見ないでよン」
「可愛い子ぶらないでください。気持ち悪いだけです。ドーナツの消化が何なんですか?」

「あのねぇ、ドーナツは消化された後にね、体内にいるコビトちゃんに『エネルギーになぁれ』って魔法をかけられるわけ。その魔法には鉄や亜鉛、ビタミンB群を使うのよ」
「へぇ。その魔法って、ドーナツだけにかけてるんですか?」
「ううん。パンとか、ごはんとか、甘いものとか。いわゆる糖質ってやつにかける魔法よ。そういうのに鉄分を使って魔法をかけてるから、甘いものと鉄分ってすっごく関係あるのよン」
「知らなかった」

「エネルギーってさ、人間にとってのガソリンでしょ? コビトはハナちゃんの体を動かすガソリンを作るために、せっせと魔法をかけてるの。でも、魔法の材料が足りなかったらそれができないわけ。そうすると、体は『やっべぇ! ガソリン足りねぇ!』って思うの。で、『手っ取り早くガソリンに変えられるやつ食べろよ! 甘いものとかサイコー!』って体が言うわけよン。それで甘いものが止まらなくなっちゃったりするってこと」

「え? 摂取カロリーが適量でも、鉄分が足りないだけで、体はエネルギー不足って判断するってことですか?」
「そうよン。食べるほど栄養不足って、ボク言ったでしょ。甘いものを食べるほど鉄分がたくさん必要なのに、肝心の鉄分は食事から摂るのってめっちゃんこ難しいのよ。だから、たいていの場合は、鉄分不足になっちゃうわねン」

「カロリーが適量なら、それでオッケーだと思ってた」
「食べておしまいじゃないのよ。ハナさんの中のコビトちゃんたちが材料をゲットできて、そこから魔法をかけてくれて、それではじめて食べたものがエネルギーになるのよン」

「あ。肉とか魚とかあんまり食べないようにしてたのって、もしかしてコビトの魔法に支障が出てたりしますか?」
「出まくりよォ! 肉とか魚とかたんぱく質食材は、栄養のパラダイスなんだからァ。肉や魚の赤身肉とかには、鉄もたくさん入ってるし、魔法をかけるコビトちゃんたちへの贈り物も一緒に入ってるから、鉄不足の人こそたんぱく質食材を食べた方がいいのよォ」

 山田はわたしの食事記録を指して、「ねぇ、これ。『クッキー二枚でやめた』って書いてあるけど、どうして二枚でやめたの?」と聞いた。
「うーん。なんだか満足した感じがして。昼間に美術館に行って大満足な一日を過ごしたからかもしれないけど」
「どうして『満足した』って気づいたの?」
「食べながら『心は満たされてるかな』って考えたというか、観察したって感じです」

「ドッヒュー!! ブラァァボォォウ!」
 奇声を上げた山田は、勢いよく立ち上がってそのままソファの上に飛び乗った。
「ハナさんの観察力にブラボォォ! これは踊らなきゃっ。サンバよ! サンバ! ヘイ!Siri! マツケンサンバを流してェ」
 午後のあたたかい日差しがあふれるカウンセリングルームで、中年のおじさんがサンバを踊っている。
 白地に青い柄のパリッとしたシャツを振り乱して、マツケンサンバを踊っている。
 山田がビヨンと跳ねた。と思ったら、私の横に飛び移ってきた。
 ふかふかの長いソファがぐわんと揺れる。
 わたしは体をのけぞらせて距離をとる。
 近くで見ると、このおじさんけっこう顔は整っている。
 そこがまた鼻につく。

「それよォ! 自分の心を観察することから、すべては始まるのよォ」
「はぁ……」
「甘いもの依存卒業ってさ、自分の気持ちとか行動をふり返って、軌道修正して、改めて実践していくっていうくり返しなのよン。でさ、ふり返りってさ、自分を観察するってことでしょ? だからね、観察する力は甘いもの依存を卒業する力なのよ! ハナさんはもうすでに、その力を使い始めているってこと! すごぉいじゃなぁーいッ」
 がっかりした。
 くり返さないといけないのか。
 わたしはとにかく早く甘いもの依存から抜け出したい。
 ババッと一気に抜け出したかった。
「くり返しかぁ。すごく遠い道のりに見えていやだなぁ……」
「そーお? 今までの道のりの方がよっぽど遠回りな上に、目的地に着けない道を歩んでたんじゃないかと思うけどォ?」
 山田の言葉にグゥの音も出ない。
「今までこれだけがんばってこられた人なんだもん。ここから先の道のりだって、そう遠くはないはずよン」
 不覚にも泣きそうになった。
 そうだ。わたしは本当にがんばってきた。
 そのがんばりは、甘いもの依存卒業という実を結ぶものではなかったかもしれない。
 でも、自分自身を救おうとして、必死で行動していたことに変わりはない。
 わたしは、これまでよくがんばった。
 今まで誰にもほめられなかったけど、本当にがんばってきた。

「ねぇ、目的は何よ?」
 山田が唐突に言った。
 何の話だ?
 涙が引っ込んだ。ありがたい。
 このまま「今までよくがんばったね、ハナさん」なんて言われていたら、わたしはうっかり山田のド派手なチノパンにしがみついて大泣きするところだった。
「目的? 何の話ですか?」
「決まってるでしょ! 甘いもの依存卒業の目的よ。何か目的があるから、甘いもの依存を卒業したいって思ったんでしょ」
「あぁ……」
「なによォ。ふぬけた返事をするじゃなァい。あ! スリーサイズ? 目的は体型改造とか? ボクの元カノはねェ、熊田曜子と同じサイズだったんだよォ。ぐふふふぅ」
 山田の話は全然頭に入ってこなかった。
 わたしは甘いもの依存を卒業する目的なんて、考えてもいなかった。
 卒業さえすれば、何もかもうまくいくと思っていた。
 卒業さえすれば、幸せになれると思っていた。
 でも、本当にそうだろうか。

「お金が欲しい」と思って宝くじを当てた人でも、手にしたお金の使い道をきちんと考えていないと、人生が狂い始めると聞いたことがある。
 喉から手が出るほど欲しかったものなのに、手にした途端に冷静な判断ができなくって、幸せとは逆方向に進んでしまうのだという。
 甘いもの依存卒業だって、きっと一緒だ。
 たとえ卒業できたとしても、自分が何をするために卒業をしたのか、目的を明確にしていなければ、自分の思い描いていた幸せにはたどり着けないのかもしれない。
 わたしはどうして甘いもの依存を卒業したいんだろう。
 卒業して、何を手に入れたいんだろう。

「キレイになりたい」
 思ってもみない言葉が出てきた。
 わたしは何を言っているんだ?
「ふんふん。キレイになって、何をするの?」
 山田がわたしに質問する。
「キレイになって、理想の姿になったわたしを思いきり愛したい」
「ほんじゃ、まずは今の自分を愛することから始めないとね。『甘いもの依存を卒業してキレイになったら』なんて条件付きの愛は、一晩限りの恋と一緒。長くは続かないわよン」
「でも、わたし、自分に自信がないし、あんまり好きじゃないというか。愛せるかどうか……」
 わたしがもぞもぞしゃべっていると、山田は天を仰いで大声をあげた。
「強みと魅力を、自分で掘り起こしなさいよッ。『そんなものわたしにはない』なんて言わせないわよ。ないわけないでしょ! ボクにだってあるんだもン!」
 そうだ。こんなどうしようもない変人にも、強みだって魅力だってあるんだ。
 山田が言うと、ずいぶん説得力がある。

「どうやって掘り起こせばいいんですか?」
「わかんない」
 そう言って、山田は興味がなさそうに自分のソファに戻った。
 わたしは絶句した。
 こいつは甘いもの依存卒業のカウンセラーなんじゃないのか?
 いいところまできて、「わかんない」とはどういうことよ!
「え? だって、先生は甘いもの依存卒業の専門家なんじゃないんですか? なんでわからないんですか!?」
「だって、それは甘いもの依存卒業の話じゃないもン。ボクは結婚相談所の相談員じゃないもン。『お相手にアピールするために、あなたの強みと魅力を引き出すワークをしてみましょう』とか、そういうことしてないもン」
 言われてみればそうだ。
 私が依頼したのは甘いもの依存を卒業するサポートであって、自分自身を愛せるようになるためのサポートではなかった。
「そうですね。すみません」

「でもね、みんな、甘いもの依存を卒業するときに『どんどん自分を愛せるようになっていった』とか『すごくキレイになれた』とか言って卒業していくわよン」
「いいなぁ……」
「自分自身をふり返って、軌道修正して、実践してっていうのをくり返していくうちに、自然と自分の強みや魅力を発見するんじゃないかしらン?」
「へぇぇ」
「実際さ、甘いもの依存を卒業してく人たちは、みんなキレイになっていくのよン。数字はちょっとわからないけど。体重とかスリーサイズ、教えてくれないからさァ」
 山田はしょんぼりしながら、本と本の隙間に挟まっていたタロットカードの山を手に取った。

「卒業された皆さんは、どれくらいの期間でそうなりますか?」
 わたしだって早く卒業したい。
 期待に胸をふくらませて、山田に聞いた。
「そうねぇ。三ヶ月とか、半年とか、二年とか。人によるよねェ」
 山田はタロットカードをなでまわしたり、ひっくり返したりしながら答えた。
「わたしも三ヶ月で変われるかなぁ」
「行い次第でしょ」
「はぁ。まぁ、そうですよね」
「心を満たせ! 恋せよ乙女!」
「へ? 恋?」
「なんとなく。語呂がいいかなと思って」
 無意味な言葉遊びに付き合わせないで欲しい。
 山田は話を続ける。
「心が満たされれば、心を整えられるわけ。心を整えれば、行いが変わるわけ。行いが変われば、願いは叶うのよン」
 どうして山田は、こんなにいい話をこんなに変な口調で言うんだろう。

「ねぇ。ハナさんの心は、なにで満たしてるの? ボクはねェ、今、新規事業の立ち上げをしているのよン。それですっごく満たされちゃってるのォ」
「新規事業?」
「ぐふふふ。占い事業をするんだぁ! 恋愛相談が得意なの!」
 げぇ。山田に恋愛相談なんて、絶対にいやだ。
 女性に平気でスリーサイズなんて聞く男に、そんな役目が務まるわけがない。
 カエルに相談した方がまだマシだ。
「あ! そろそろ占い事業の打ち合わせの時間だ! ハナさん、じゃあね。また今度ね」
 山田は立ち上がって、机の上を片づけ始めた。
 わたしも、こんなところで変人おじさんの夢物語を聞いている場合ではない。
 出かけよう。
 わたしの心を満たすために。
 そうじゃなきゃ、わたしは甘いもの依存を卒業できないんだ。