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「東大vs藝大」
写真右は、母方の大叔母。左は大叔母の長女。
長女の民世さんは、評判の美女に成長し、
グラビア誌の草分け「朝日グラフ」の初代モデルになった。
有名になった彼女は、東大出のお医者さんとお見合いして、結婚することになっていた。
ところが、
どこで知り合ったのか、藝大の美術科出の青年画家と恋に落ちて行方不明になってしまった。
祖父や関係者は激怒したが、民世さんと仲が良かった母は、
「民世ちゃん、あっぱれ」と大喜びした。
普通、こんな逃避行は、不幸な結末に終わることが多い。
それから月日が経ち、
1993年、父母が熊本から茅ヶ崎に移住してきた。
しばらくして、母のところに民世さんの知人から、民世さんが亡くなったという知らせが入った。
母は北新宿にあった民世さんの自宅で行われた葬儀に出かけた。
葬儀から帰宅した母は、
「民世さんは、死別するまで、あの藝大出の彼氏と仲睦まじかったそうよ」。
と語ってくれた。
性格のきつい母が、あのような嬉しそうな顔をしているのを見るのは久々だった。