2024年8月19日
何か書かねば、と追い詰められて書くほどnoteは気合を入れるもんじゃないと思っている。知名度を上げたい、文筆家・批評家になりたい、なんとか文章で生計を立ててやるためにもがきたい、なんて人は一握りで、僕みたいな人はTwitter (X)の文字数制限なしバージョンみたいに、例えばX (Twitter)の名称をTwitter (X)に戻せ!イーロンマスクを駆逐しろ!などつらつらとどうでもいいことを書き連ねればいいと思う。この営みに客観的な評価や、意味は何一つない。
一方で、やっぱり僕がnoteを始めたのには理由がある。最近言葉がうまく出てこないと感じるようになったことだ。普段日常的に会話をしすぎて、「あれ」とか、「それ」でも会話が成り立つ以外の人と話す時や、自分の考えを系統だてて話す必要がある場面で顕著だ。例えば、就活、例えば、研究発表。こういう場面で僕はいつも自分の脳の普段空っぽな部分が熱を帯びるのを感じ、しかし脳は空っぽのまま言葉が空回りして泣きそうになる。
「言語」を大事にしたい。「思考」を大事にしたい。それは論文や教科書を読むよりもっと本質的で知の営みであって、ヒトを人間たらしめている根幹の技能である。ただ情報を感知するだけなら、いぬでも猫でもできる。肝心なのは、その情報を自分の言葉で外界に吐き出す行為だ。そして、僕はその行為が他人より不得手だということを日々痛感している。
まだ、投稿頻度は遅いし、文章の推敲も中途半端だし、他の人が読めば何を書いているのかわからない部分もきっとある。でも、この積み重ねが習慣となり、能力となり、僕を僕たらしめ、巡り巡って誰かを助けることがありますように。
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