2024年9月21日 自分と会話
このところ、自分と対話する機会が増えたと思う。通学や買い物に出かける際、これまではイヤホンでラジオや音楽を聴いていたが、最近は自分自身を見つめ直す時間に使うようになった。自分自身をもう一人の自分に客観視させる時間だ。あるいは、もう一人の自分に自分がカウンセリングを受けるような感覚だ。こういうことができるようになったのは、大学のカウンセリングに行き始めたからだと思う。いや、それまでももっと昔に自分は脳の中で会話していたように思う。中学生や、高校生の時だったか、その時には自分は理想の自分と対話していた。だから、いつまで経っても現状は改善しなかったし、そいつは理想論ばかり振りかざしてきて、少し嫌になっていたかもしれない。
大学のカウンセリングの先生は自分の話をしっかり聴いてくれる。なぜ、僕はそう思うのか、他の可能性はないのか、それは本当に正しいことか、今の自分に必要なことか。先生と同様に、今僕の中にいるもう一人の僕も先生を見習って、僕自身の言葉を引き出してくれる。だから、理想論を振りかざしてこないし、話をきちんと聞くし、僕もそんな自分と話すことがだんだん楽しくなってきた。だから、これまではひたすら歩くだけで退屈だった時間にラジオや音楽を聞かなくても良くなった。
カウンセリングの先生も、僕の中にいる僕自身という話し相手も、どちらも間違うことだってあるかもしれない。数少ないアドバイスはいつも冷静だが、最適ではないこともきっとあるはずだ。それでも彼らはアドバイスよりも多く、僕自身に選択を促してくれる。僕はそれを主体的に選ぶ。これまで僕が話してきた理想の自分は、実は周囲の外圧、こうあるべきという風潮が作り出したものであって、そんなものを相手に内省を繰り返しても、それは本当の意味で内省ではないのだ、と気づいたのはつい最近のことだ。
最近の僕はいつでも僕自身と会話している。お腹が空いた時は、自分の本能の部分を操る僕自身が僕をより健康的で安価な選択へ導く。ここ最近までは、気がついたらラーメンを腹一杯食べて、昼食後は満腹感でずっと頭がぼーっとしていた。緊張している時は、緊張しているな、と思うし、寝れていない時は、寝れていないな、と思う。自分自身を客観視できるようになったことで、いい意味で僕は僕のことを他人事として捉えられるようになりつつあると感じている。
僕が僕らしくあるために、好きなものを好きと素直に言えるだけでなく、その理由を言語化し、一般化し、更なる可能性に目をむけ、限られた時間を回り道に費やさないようにする足掛かりとする必要があると考えている。そのために、適切な内省が必要であり、適切な内省とはつまり、自分の話を傾聴する自己を自分自身の中に持つことなのではないか、と思った。この自己は決して僕の敵にはならず、味方になりすぎず、理想を押し付けず、僕の本心や理想を引き出す良き聞き手である必要がある。
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