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なんでもおまんこ 夫との馴れ初めと故・谷川俊太郎への思い

 偉大なる詩人、谷川俊太郎が11月13日に逝去された。老獪な視点で捉えた世界の在り方を美しい言葉にし、それでいて幼い少年のようなまなざしを忘れない彼の書くものを私は愛していた。

 私が職もお金もなく貧困に苦しんでいた時代、当時「無職の師匠」と呼んでいた男の人と本屋に行ったことがある。そこに並んでいた「シャガールと木の葉」という一冊の詩集に私は感銘を受けたが、本一冊に1300円を払う余裕は当時の私にはなく、「いつか生活に余裕ができたら買います」と言って本屋を後にした。

 シェアハウスに戻って寝ていると、私の部屋の扉を誰かがノックした。のそのそと起き上がって扉を開けると、さっきまで本屋にいた無職の師匠が立っていた。

「これ、就職祝い」

 彼が手に持っていたのは、私が欲しかった谷川俊太郎の詩集だった。

 その後住み込みで働くことになるホテルでの長時間に渡る深夜労働の休憩中、何度もその本を読んでは救われた。
 そんな思い出も相まって、谷川俊太郎は私にとって特別な作家のひとりだ。

 遠く天に旅立った谷川俊太郎への思いと、先日結婚した夫との馴れ初めについて書きたい。



 夫とは五島列島のシェアハウスで出会った。当時私の住んでいた東京のシェアハウスとその家のオーナーが知り合いで、東京に来ていたオーナーに誘われ、一ヵ月間五島に滞在することになったのだ。

『到着する日俺は出張でいないから、管理人のNくんに詳しいことは教えてもらってね』

 博多港からのフェリーで朝方に到着したものの、シェアハウスには人気がない。指定された部屋に荷物を置き、建物の探索がてら床掃除をしていると、隣の部屋の引き戸が開き、ディズニー映画「モアナ」に出てくるマウイのような男が出てきた。

「今日から滞在するゲストさんですよね?こんな早く着くと思ってなかったので、出迎えもできずにすみません」
「あ、もしかして管理人のNさんですか?今日からお世話になる○○です。一カ月間よろしくお願いします」

 とても丁寧に対応してくれた彼は、日に焼けた肌にマンバンヘア、一般的な成人男性の倍以上の体躯を持つ大柄な男性だった。

 その日からNさんと、シェアハウスの住人2人との共同生活が始まった。
 私はあまり自分から観光をすることはなかったが、住人にご飯を振舞ったり、オーナーの知り合いのお店で働かせてもらったり、ゲストハウスも兼ねるその家でアテンド業務もしているNさんに連れられて海でSUPをしたりと充実した日々を過ごした。

Nさんに作ってあげたパンケーキ


「今日××でバイトだったっけ?よかったら俺送ってくよ」

 滞在も中盤になった朝、Nさんに声をかけられた。その日私は朝9時からカフェのお手伝いをする予定で、Nさんが車で送ってくれることになったのだ。

 私はその時既にNさんのことが好きになっていた。元々私は肩幅が広く、内臓が強そうで、声のでかい男に目がなかった。カフェの厨房で洗い物をしている最中、私の目は血走り卑猥な妄想が脳裏を駆け巡っていた。

 Nさんは仕事終わりに迎えにきてくれた。私は血走った目のまま、Nさんに言った。

「Nさん、お墓参りに行きましょう!」

 Nさん本人は福岡出身だったが、祖父はこの島の出身らしい。Nさんの祖父の墓が近所にあり、「人生に迷った時はよくじいちゃんのお墓に行く」という話を聞いていたため、彼の大切な場所に私も行きたくなったのだ。

「女の子に墓参り行こうって言われたのなんて初めてだよ。俺のじいちゃんの墓なんか見て楽しい?」

 半分困惑しているNさんと共に、祖父のお墓のある教会までドライブをした。私はNさんのルーツを知ることができるワクワクで胸がいっぱいだった。

 道中、色々な話で盛り上がった。人に話すにはハードルが高く、こうしてnoteで吐き出すしかないような話もNさんは笑って聞いてくれたため、どんどん話したいことが出てきて、会話は尽きることがなかった。

▼車内で話したエピソード


 彼の祖父が眠る教会に着くと、白い外壁が傾きかけた日を反射して輝いていた。墓石は十字架の形をしており、日本文化とキリスト教のモチーフが合わさった独特の存在感を放っていた。

「私、二年前にここに来たことがあります」

 二年前、大学の卒業旅行でこの教会に来たことを思い出した。ここから見える海と、このお墓にも見覚えがある。
 粋な偶然に驚きながら祖父の墓に手を合わせると、不思議と見守られているような、「おかえり」という声が聞こえてくるような気がした。

 喫煙者であった祖父と楽しい時間を過ごせればいいと、三人で煙草を吸おうと提案した。巻いた煙草を一本お供えして、一本をふたりで交互に吸った。

 手を合わせた後、まだ帰るのは惜しいとオレンジロードに行くことになった。
 本州の最西端、日本で最後に夕日が沈む場所。遮る物のないオレンジロードは時期外れだったこともあり人気が無く、波音と風のざわめきだけが海を覆っていた。

「ここに来ると、水平線がちょっとだけカーブしてて、地球を感じるんだよね」

 Nさんの言う通り、見渡す限りの水平線はほんの少しだけ孤を描いているように見えた。

 キャンプチェアを広げ、ふたりで海を見つめた。雲を突き抜け、真っ直ぐに水平線に落ちていく夕日が海と空を赤く染め上げる。
 地球を全身で感じる心地良さ。ふと、一遍の詩が浮かんで、私はNさんに尋ねた。

「私の一番好きな谷川俊太郎の詩を朗読してもいいですか?」

 そして、波音と風と鈴虫の声が響く中、私は詩を朗読した。


なんでもおまんこ   谷川俊太郎

なんでもおまんこなんだよ
あっちに見えてるうぶ毛の生えた丘だってそうだよ
やれたらやりてえんだよ
おれ空に背がとどくほどでっかくなれねえかな
すっぱだかの巨人だよ
でもそうなったら空とやっちゃうかもしれねえな

(中略)

どうしてくれるんだよお
おれのからだ
おれの気持ち
溶けてなくなっちゃいそうだよ
おれ地面掘るよ
土の匂いだよ
水もじゅくじゅく湧いてくるよ
おれに土かけてくれよお
草も葉っぱも虫もいっしょくたによお
でもこれじゃまるで死んだみたいだなあ
笑っちゃうよ
おれ死にてえのかなあ

 詩を読み終える頃には、もう夕日は沈んでいた。ふと振り返ると後ろは満月で、五島列島という場所が、私とNさんの出会いを祝福してくれているように思えた。



 そんなわけで、Nさんと結婚することになった。結婚に至るまで他にも紆余曲折はあったが、それはまた別の場所で語りたい。

 谷川俊太郎は、「すべての澱を脱ぎ捨てた透明な心で生きれば、世界はまぐわいをしているように幸福で満ちている」ということを私に教えてくれた。

 生まれ育った場所も価値観も全く違うふたりがこれから一緒になるからこそ、理解できないことや許せないことも生まれてくるだろう。そんなことがあったとしても、自分の価値観だけで拒絶せず、谷川のようなピュアな心で受け止めていきたい。



「なんでもおまんこ」全文が掲載されている谷川俊太郎詩選集はこちら。

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