街 その3
遠野恭介は墓参りをしにとある霊園へ行っていた。
秋の高い高い空。どこまでも抜けるような青色の。時折風がびゅう、と吹いて、遠野の着ている薄手のコートの裾をはためかせる。
とある墓石の前で足を止め、持参した花を生ける。線香に火をつけ、手を合わせた。
「またこの季節がやって来たよ、戸田」
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「え…休学、ですか?」
大学を休んで大きな病院にやって来ていた遠野は、思わずそう声を上げた。
「うーん、ちょっとね。検査の結果が良くなくて」
目の前に座る医師は渋面を作る。最近体調が芳しくなかった遠野だったが、この間ついに大学内で倒れてしまったのだ。精密検査の結果を聞きに、今日は病院を訪れていた。
「薬を何種類か試して、合うものを見つけていきましょう。それまで少しお休みした方がいいよ」
医師は優しく諭した。
「…分かりました。ありがとうございます」
遠野はうなだれた。せっかく戸田とのサークルが軌道に乗ってきて、最近は入部してくれる学生も増えたというのに。これならもう少しで正式なサークルとして活動できるだろうと、期待に胸を膨らませていたのにーー
そのままバスに乗って大学に戻り、事務局へ相談に行った。
「そう…休学になるんだねぇ」
サークルを作りに行った時と同じ職員さんが対応してくれて、心底残念そうに呟いた。
「具体的な手続きはまたね、今日はゆっくり休むといいよ。あまり無理しないように」
「はい、ありがとうございます」
戸田は今頃サークルだろうか、邪魔しないでおこうと思った。メンバーは皆戸田のことを信頼している。遠野はというとサークルの管理や事務なんかを担当していて、どちらかというと影の存在だった。皆が盛り上がっている中に自分が行って、休学する旨を伝えたところで、意味があるとは思えなかった。
そのままアパートへと帰る。戸田には夜になってからメッセージを送っておいた。
『休学することになったよ。迷惑をかけることになるね、ごめん。サークルで僕の代わりに事務や管理を担当してくれる人を探しておいて欲しい。行ける日を見つけて引き継ぎするから』
メッセージを送ると、疲れがドッと出た。
ベッドに横になり、ため息をつく。決して強くはなかった身体だが、ここに来て休学だなんてことになるとは。戸田のアパートで休ませてもらったときのことを思い出す。彼はもしかしたら気づいていたかもしれない。遠野の健康状態が思わしくないことを、いつかこんな風になってしまうということを。
戸田からメッセージが返ってきた。
『休学するのか。心配だね。サークルのことは何も気にしないで良い。もっともっと力をつけて、誰もが認めるサークルになってみせるよ。ただ一つだけ、君と一緒に卒業したかった』
そう書かれていた。学内で倒れたとき、介抱してくれたのは戸田だった。冷静に確実に、遠野を助けてくれたのだった。
「一緒に卒業したかった、か…」
勿論遠野も同じ思いだった。けれど実際文章にして書き送られると、なんとも言えない重みがあった。
遠野はそのままとろとろ眠ってしまった。
サークルの夢を見た。戸田がメンバーに力説しているところ、大学図書館で文献を探し回った時のことーー
サークルの名前を中々覚えてもらえず、大抵の学生たちからは「戸田サークル」という微妙な名前で呼ばれているらしい。初めてそれを知った時、戸田は何とも言えない顔をしていた。それを見て遠野は笑ったのだった。
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戸田と遠野の通っている大学は「北威大学」
という。川南町という閑静な土地(戸田曰く微妙な田舎)にまるでランドマークのようにそびえ立つ私立大学だ。大学を中心に市は成り立っていて、雇用も多く生み出している。
けれど街としてのレベルは高いとは言えず、隣町である兎垣市まで行かないと、碌なものは何もない。やたら早く閉まるスーパーマーケットと、若者がたむろするコンビニ、そしてパチンコ店や釣具屋、これが川南町の姿だった。
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霊園の入り口で、一人の男性が誰かを待っていた。
「遠野さん、遅いなー」
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線香からは白檀の匂いがする。白い筋になって秋の空へ吸い込まれていく。
遠野は墓石の端にある墓碑を撫でる。
「戸田涼平 二十歳」
思い出したくないのに、思い出せずにはいられない。人生の中で最も濃かった、あの日々のことを。そして今も抜け出せない、いや、永久に抜け出せる日などやってはこないのだ。
…そろそろ行かなければならない。連れが入り口で待ちくたびれているはずである。
「…じゃあね、戸田」
小さく呟いて墓に背を向ける。備えたばかりの青色のリンドウだけが、その背を見送っていた。