街 Another 魂をつなぐもの

 講義室には今日も戸田涼平の凛とした声が響く。

「…身体、つまり肉体だね、それから心、これは魂だ。これをそれぞれ乖離させることによって、我々は自由になれる。君たちが『人間とはいかなるものか』についてまとめたワークシート、あれらから導き出した方法だ。誰だってこの街に、留まり続けたいわけじゃないだろう?
 肉体の死と魂の死を同義にしてはならない。君たちは自由を望んだ。今すぐにそれを叶えられるのがこの方法なんだ」

 坂井はその姿を側から見ていた。近頃の戸田はどうも不安定だ。以前こんなことは言うような人間ではなかった。
学生たちは熱心だが、坂井自身は一歩引いたところで見ていた。けれど、自分には遠野ほど戸田に関われることはない。第一よく知らないのだ、無理もない。
 最近の戸田はどちらかというとサークルメンバーの声に耳を傾け、それらから自分なりの答えを導き出している。とにかく研究ばかりだった最初期とは訳が違う。

「戸田さん」
一人の学生が手を挙げる。
「私は永遠の命が欲しいのです。どんな形でも構いません」
戸田が答える。
「まず、それは肉体的には不可能だ。身体はいつか機能を停止するものだからね。けれど魂としてならーー魂の形を取っていれば、それは可能になる。そのためには肉体の死が必要なるけれどね」
「ではやはり、肉体と魂の切り離しが必要ということですか?」
「それもそうだがそれだけじゃないーー僕たちには“魂をつなぐもの“が必要なんだ」
「“魂をつなぐもの”…?」
「そうだ、何でもいい。君たちそれぞれに、それはあるものだ。これがあれば、僕たちはいつだって自由になれるよ」

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サークル活動が終わって

「…戸田さん」坂井は戸田にそっと話しかけた。

「何だい」
「先ほど言っていた、“魂をつなぐもの”って何なんですか?今までそんな言葉、聞いたことなくて…」
「…最近思うんだよ、これまでは肉体と魂の乖離だけで、僕たちは永遠になれるし、どこへだって行けるとーー。けれど違うことに気がついた。魂をつなぐものーー例えば人が肉体的な死を迎えた時、その人のことをいつまでも覚えていておく、みたいな、そんな感じかな。いわゆる生命を別の形で記憶しておくんだ。勿論魂の存在は永遠だよ、でも…」

ここで戸田は言葉に詰まった。暫くの沈黙の後、
「魂とつながれた何かは永遠ではない。その刹那的な存在意義が、僕には最も人間らしく愛おしいものだと思う」
そう答えた。

「戸田さんにとっての“魂をつなぐもの”って
何なんですか」

坂井は愚問と思いつつも、そう尋ねた。
すると戸田は暗くなり始めた窓の外を見て、

「…遠野の体調は大丈夫かな」そう呟いた。

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戸田はアパートに帰って来た。相変わらず本だらけの部屋で、一人物思いに耽る。

部屋を見遣る。小さなテーブルの上にコップが乗っている。

ーーコップは魂をつなぐものになり得るか?

答えはノーだった。形あるものいつかは壊れる。もしかしたら一緒に棺に入れられておしまいかもしれない。例えばで考えていく。本は、服は、壁は、天井は。考えていくうちに、自分自身と自分の考えが離れていくのが分かった。最近戸田はよくこういう状態に陥る。街を考えるために人間を考えた結果、行き着いた先はどこもいわゆる「死」と呼ばれる何かになる。

「止めだ、止め」

戸田は口に出してそう言った。辺りに散らばった自分の考えを自分の中に戻していく。いつかこうやって戻れなくなる日が来る。狂う、と言えば聞こえはいいかもしれないが、
果たしてその時自分はまだ自分でいるのか?

学生たちに偉そうに言って、一番分かっていないのはこの僕だーー

戸田はそう思っていた。それでも考え続ける。メンバーのために、そして自分自身のために。

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次の日 サークル

「みんな、聞いて欲しい」
戸田が口を開いた。メンバーたちは戸田の方をじっと見る。

「昨日、魂をつなぐものについて話したと思う。けれど、一人一人が異なる存在を見つけるのは結構難しい。それで考えた。僕たちがお互いにつなぐものとなるんだ。つまりは僕たちが広く世の中に知られる存在となって、魂をこの世に遺す。それが例え悪名であっても、僕は構わないと思っているよ。そしてそれを誰か、たった一人で良いーー覚えていてもらうんだ。記録してもらってもいい。結果としてそれが僕たちの魂をつなぐものになり得るんだ」

戸田の脳裏に、遠野の存在が浮かんだ。

ーーそう、彼ならきっと、僕たちの魂をつないでくれる。

「勿論、他の方法を探したいという者はそれで構わない。引き続き研究を続けてくれ」

メンバーは思い思いに考えているようだった。相談したり、紙に何か書き付けたりーー
戸田は少しだけ懐かしさを感じていた。かつての、最初期のサークルの姿に戻ったようで嬉しかった。

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遠野が復学したという知らせを受け取ったのは、それから間も無くのことだった。

会いに来た遠野に、戸田はわざと素っ気なく応対した。サークルのことを客寄せパンダだと喋ってみせ、こんなサークルへは戻ってこなくて良い、と言った。

ーー遠野まで今のサークルに染まってしまったら、僕たちの魂をつなぐものが居なくなるーー

遠野との面会を終えた戸田の元に、坂井がやって来た。

「どうでした?」
「…坂井君、君が遠野を呼び出したんだろう?でも大丈夫さ、もう遠野はサークルへ顔を出さないだろう」
「えっ…?」
「もし次に遠野がやって来たとき、その時が僕たちの終わりのときだよ」
「そんな…」
「これは遠野には絶対に言わないこと。もし何か尋ねられたらその時はーー」

戸田は少し言葉を切って、そして微笑んだ。
「…そうだ、坂井君、君にも魂をつなぐものになってもらおうかな」

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坂井望夢の独白

 …結局、戸田さんに請われて僕は生き残った。遠野さんには嘘をついてしまったけれど、後悔はしていない。事実、戸田さんは本当は遠野さんに戻って来てもらいたかったはずだと、今でも僕は信じている。
 
 戸田涼平という人間は、世間で評価されている人物とは全く違っていたと僕は思う。これは一番近くで彼を見ていた僕の個人的な感想に過ぎないが、誰よりも感情的で、誰よりも先に身体が動いて、そして誰よりもそれを隠すのが上手い人間だったと、そう思う。

 実際、戸田さんはかなり早くから自分を見失っていた。皆を引っ張るリーダーの存在を果たしながら、誰よりもその重さにあえいでいた。サークルは大きくなり過ぎ、自分に反発してくれるメンバーさえいなかった。まるで一国の王として振る舞える状態を、誰よりも持て余していた。それが彼を狂わせたのだと、僕は思う。

 それでもこれは僕の、やはり個人的見解に過ぎない。つまり、戸田さんの本当の思いを知ることは、もう絶対に叶わないのだ。ただ確実に言えることは一つーー戸田さんは人を、街を、そして自分自身を変えたかった。あるいはそれらから抜け出したかったのだろう。

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戸田涼平の眠る墓に、誰かがやって来ていた。その人物は手を合わせると、

「あなたのこと忘れませんから、絶対に」

そうしっかりとした声で告げ、一礼してその場を去っていった。

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