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5人でいる意味

こんにちは、こんばんは。お疲れ様です。

ananのインタビューの勝利くんのところを読んだ記憶を反芻して、ひとつの思考実験をしてみたので書き留めておきます。

勝利くんがインタビューで答えていた「5人の方が続ける理由があった」という言葉、もしかしたら中島さんもそうだったのかもしれない。
それを前提にして、中島さんがSexy Zoneを辞めたことについて考えてみようと思います。

中島さんにも、5人のSexy Zoneを守りたいという気持ちがあった。そしてそれは最年長の彼にとって、自分の使命であると誰よりも強く感じていたのかもしれない。

これはSexy Zoneが5人だったころからずっと思っていたのですが、最年長としてのプライドとか責任感とか覚悟とか、そういうものを中島さんはずっと背負っていて、だからこそデビュー当時の多感な時期でも「セクシーセンキュー!」と何度も口にして、笑われたりからかわれたり馬鹿にされたりしてもずっと笑顔で「セクシー」という言葉を口にし続けていたのかもしれない、と。
それはSexy Zoneの名前が少しでも認知されるようにしてきたことで、それはSexy Zoneが大切で守りたいものだったからで、Sexy Zoneという場所が中島さんにとって帰る場所になるよう中島さん自身が自覚的に大事にして育てていこうとしていたからではないか、と思っていました。

5人でいるときには当たり前のようにそう思えたのに、どうしてか、中島さんがやめるとき、自分の中からその認識が抜けていました。まるで最初からなかったみたいに。

大事じゃないはずがない。好きじゃないはずがない。一緒にいたいと思っていないはずがないじゃないか。
だって中島さんは誰よりも前に出て、誰よりも矢面に立って、誰よりもSexy Zoneの名前を世間に広めた人だった。
少なくとも私はそう認識していました。それは今でも変わらないです。
ずっとずっと、12年間ずっと、手段を選ばず様々なことにチャレンジして話題を作っていたのは彼だったと、今でも思っています。

5人でいたかった。5人でいることに意味があった。5人でいられる場所を守りたかった。
もし中島さんもずっとそう思っていたのだとしたら、5人じゃなくなったとき、それまでに自分のしてきたことの意味とか覚悟とか、最年長としてのプライドとか責任感とか、そういうものが見えなくなってしまったのかなと思いました。
デビューして間もなく、3人と2人で活動させられた期間があったからこそ、もう一度「5人」であることを失うことの喪失感は計り知れなかったのかもしれない。
もしそうだとしたら、寂しいけれど、中島さんの決断も腑に落ちてしまって。
寂しい気持ちは増えたけれど、なんだかもう、どうしようもなかったんだな、と。これはもう、どうしようもない。
一人でやっていきたくなったわけではなく、もうSexy Zoneでいられなかったんだな、と、言葉だけではなく本当に腹の底まで落ちてくるようにわかってしまった。

この数か月の中島さんの活動を見ていると、生きる速度がはやすぎる、と感じていました。
Sexy Zoneはおそらく紆余曲折がありすぎて、アイドルの活動としては少しゆっくりで、中島さんのスピード感と違っていたのは明らかで、けれど中島さんみたいなスピード感で生きる人がSexy Zoneで12年やってきたという事実は、それだけで「5人でやりたかった」という覚悟に他ならない。
そして同時に、もしそうだとしたら、それが理由とは言えないだろうな、とも思うのでした。

正直、マリウスくんが卒業したことについてはすでに納得をしていたというか、別の夢があるのだ、と真摯に伝えてくれる姿に、いやだよ、なんて言えるわけもなく。
マリウスくんの未来に、アイドルという夢がなくなったのならどうしようもない、という気持ちがあったのですが、中島さんには、どうしてSexy Zoneのままじゃダメだったの、という気持ちがありました。
今もアイドルをやるなら、Sexy Zoneでいてよ。5人でいた過去をずっと残すために、4人のSexy Zoneを続けようよ、と思っていました。
寂しくて悲しかった。今もアイドルとして生きている彼が、4人ではなく1人でその生き方を続けることを選んだのはどうしてだろう、と。

でも、もしかして、もしかすると、そういうことだったのかもしれないと思って。
ぜんぶ推測でしかないけれど、そうだったとしても寂しいし悲しいけれど、どうして、という気持ちは溶けて、そうか、という気持ちです。

タイプロを追うことで自分の中にあったいろんなものが整理されてきて、少し不思議な感覚でした。

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