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いつか誰もが花を愛し歌を歌い、返事じゃない言葉を喋り出すのなら。

いつか誰もが花を愛し歌を歌い 返事じゃない言葉を喋り出すのなら
何千回ものなだらかに過ぎていく季節が 僕にとてもいとおしく思えてくる

小沢健二 『天使たちのシーン』

・日記第5回目です。2日間も更新をサボってしまった理由は、スケジュールというよりも、精神的な問題で、ここ2日は人のいないXの鍵垢でうわ言を繰り返したり、YouTubeでコアラの赤ちゃんの動画を見て過ごしていたりしていた。

・しかし趣味に没頭していると気持ちが楽になる、最近は筋トレに読者にnoteにイラストと、様々な趣味を並行できていて充実しているな、と感じていたんだけれど、どうもそれは心がダメにならない為の防衛機制だったみたいで、趣味に打ち込み過ぎている時は自分の精神状態を見つめ直した方がいい、と学んだ。

・自分がnoteで日記をつけ始めたことをキッカケに、noteを始めた人があらわれたみたいで、とても嬉しかった。よかったら下のリンクから目を通してあげて欲しい(先輩面)

・内容が充実しているのに、簡潔としていて読みやすい。最初からここまで質が良く気合いが入っていると継続が不安になるが、月1更新を目処にしているらしい。次の更新まで自分が書き続けているといいんだけど。

・名前と雰囲気だけを知っていた人の日々の事や想いを表現したものに触れて、自分の中にある “その人の印象” を構成する情報がとつぜん増えると、世界の一部、曖昧だった部分が瞬く間にクリアになる感覚を覚えて、そこに人生の醍醐味を感じる。

・なぜ自分は日記など書いているのだろう。続けば何かがあるという淡い、漠然とした前に進んだ実感を得る為だけに記事の更新を続けようとしている。具体的にどうなりたいかの展望など考えず。根拠なき希望に心を委ねて。ほんの一瞬よぎる “結果どうともならないんじゃないか” という思いが、身を震わせる。

・“結果どうともならないんじゃないか” と言うならば、人生自体だってそうだ。幸せを追い求め、一時の満足を得て、そして最後には土に還り全てが消えてしまう(ように思える)noteを書くことに意味がないように、人生そのものに意味なんてないのかもしれない。

・そんな思考の先にあるのは歓びどころか、悲しみさえない深い虚無感の穴だ。だから自分は、今ここに感じる歓び、悲しみ、飢え、充足感、それら一つ一つを虚しいものと、(考えなしに)切り捨ててしまわないように留意している。生まれてきた甲斐を失わないために。

・確かに「人生」というかぎられた、いつか失われてしまう枠の中でしか意味を成さないものだったとしても、人生をやめられぬ限りは、その人生の中にある諸処の価値たちにしがみつくしかないのだ。全てが無価値なら生きている意味もない、世界をそう値踏みした人間の生は長く続かないだろう。

・だから自分は、幸せや達成感を求める、悲しみや喪失を畏れる、食べる、眠る、人との繋がりを乞い願う、書く、それら諸処の事に価値のラベル付けを行う。美味しいものを食べると幸せ、人を喪うと哀しい、その悲喜交々には値打ちがある。あると信じる、生きるために。

・noteを書くことも、ビューが増えて嬉しい、いいねが貰えると嬉しい、自分のnoteが楽しみにされたり、果てには自分のnoteがキッカケで誰かもnoteを描き始めたり(嬉しすぎる!!!!!)、そんな“価値”と思えるものを返報と励みとして受け取って、頑張る。それでいいのかもしれない。

・ここまで読んでくれてありがとう!!、次はもっと気楽な内容を書けるといいな、あっそういや
“スキ!” や “フォロー” に感謝のメッセージが追加されました!自筆イラスト付きなので、よかったら評価してね(バリエーションも増やしてくつもり)


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