メディアから見えない力 若林さん
年末になり、テレビはいつもより華やかでうるさい情報をこちらの感情を無視して押し付けてくる。
そんなことに季節を感じる自分
世間では先日のM-1が素晴らしかったと話題になる。2連覇を達成した令和ロマンを讃えるものが多い一方で、審査員の講評をする記事が私の目の前を通り過ぎる。
目についた人物がいた。
若林正恭さん。
自分にとって若林さんは不思議な人だ。
メディアの中心となる人は常にこちらにも納得させられるような情報も間接的にくっついている。
コメント
ツッコミ
司会(まわし?というか)
なんとなく見ていると、感心している自分がいて、そんな感心はいつぞやその人をテレビ越しに見る機会が増えるたびに、自分の観察眼はそれなりにあるという妄想自己満足に浸っている。
若林さんにはそれを感じた事がない。
私が見ていなかっただけかも知らない。
でも、2008年に彼を知ってから、
気づいたら日曜芸人
気づいたら一本グランプリ
気づいたらあちこちオードリー
そして、ラジオまで聴き浸っている自分がいる。
でも、何を待っているのか自分でも分からない。
でも、彼が発する何かを私は待っている。
100カメで東京ドームライブを見る。
スタッフの息づかいが届いてくる。
ある映像編集スタッフの口調が気になった。
サトミツさんが春日さんに詰め寄る様子が気になる。
イシイさんが春日さん面倒と嘆く様子が気になった。
若林さんの周りにいる人の力強さが伝わってくる。
私は、脳の中で真っ黒な世界をつくり、若林さんをその世界に1人置いた。すると、若林さんの方を見ている見たこともないたくさんのスタッフ次々にその周りに現れ始める。その1人1人が彼に強い眼差しをもち、応援しているのだ。
テレビだけでは伝わらない。彼の何かが周りに伝わるのだろう。近くの人には伝わり、私には伝わらない力。
100カメは2人の漫才にハハハと笑うスタッフを写し始めた。
私は見逃さなかった。
春日に詰め寄ったサトミツさんは、漫才中ハハハと笑うスタッフのとなりで泣いていたことを。
若林正恭さん
言語化できない彼の魅力を言語化する事が私のこれからの楽しみになりそうである。