40歳になった(30代備忘録)

40歳になった。せっかくなので30代の10年を振り返っておこうかなーと思って筆をとった。(正確には、スマホに指を滑らせた)
ごく個人的な振り返りなので、年末ぐらいまでには消すと思う。

1.予測不可能

30代の10年を振り返って思うこと、ひとつめは、とてもありきたりだけど、「全ては予測不可能だ」ってことだ。
30歳のときの自分なんてもう思い出せないけど、前職で楽しくやっていて、婚姻中で、不妊治療を始めた頃だと思う。10年後に、小さな会社に転職してて、シングルマザーになっているなんて、夢にも思わなかっただろう。

前職には8年勤めたけれども、その8年間ずっと、会社の次の事業のための投資をするような部門にいた。あるときは直接的に新商品をテストする部署にいたり、あるときはもう少し経営よりの、将来を見据えてシナリオプランニングするような部署にいたりした。将来どんなことが起こったら、会社にどんな影響が出るか、というような仮定をたくさん作るような仕事もあった。
転職してしばらくしてコロナが流行った。社会は一気に変わった。びっくりした。あのたくさんの仮定シナリオよりも、こんなプリミティブなことで、社会が変わるんだ!と。コロナでこんなに社会が変わるなんて、誰も予想してなかっただろうね。

26歳で結婚した時に、20代で第1子を産んで、そのあと2人子どもを産んで、子ども3人の家庭をもつんだと、思ってた。不妊治療すると思ってなかったし、ようやく授かった子供が産まれて2ヶ月で元夫が家を出ていくと思ってなかったし、そのまま離婚して自分がシングルマザーになるとは思ってなかった。
ついでにいえば、ボードゲームを作ることになったのも、それがきっかけで転職したのも、妊娠時から描いてたイラストがつながって運良く育児コラムを連載できることになったのも、それで同人誌を作ることになったのも、乙女ゲームにハマって推しができたのも、全て予想できなかった出来事だ。

もしこれらの出来事が予測できてたら、なにか変わってたんだろうか?自分の選択がなにか違っていたら結果が違ってたのだろうかと、何万回、何億回考えた。答えは、わからない、ということがわかった。世の中には理解できないもの、予測不可能なものがあるということを理解したし、予測できるようになった。そしてそれらは塞翁が馬、だいたいつながってるってことも。

2.緊急事態宣言

30代の10年を振り返って思うこと、ふたつめは、「緊急事態宣言」だったということ。
コロナのじゃない。私の人生のだ。私の人生の緊急事態宣言は、妊娠した32歳の時から、子供が6歳になった今の今まで続いている。妊娠、出産、離婚、そして1人での育児と仕事の両立。もうこれは私の人生の中で一番大変な時期だと自覚して、あらゆることを自分に許している。もう、7年も。

経済的にも労力的にも、高齢の両親の世話になること。それぞれの家庭をもっている兄姉に遠慮せず頼ること。時短的な働き方をずっとさせてもらっていること。あらゆる手段をもって自分の機嫌をとり、嫌なことを極力避け、楽しく暮らすこと。誰にも頼らず1人で頑張ってる人もいるって?そんなこと知らない、私は私に与えられた環境を最大限使って生き抜いてるんだ、誰にも文句は言わせない。そんな感じで、どうにかこうにか、自分と子供を7年間生かしてきた。偉い、国民栄誉賞。

この人生の緊急事態宣言の間に、私に優しくしてくれた人には、恩がある。逆にこの期間に私に刃を向けた人とは、もう縁を切っていいと思っている。
この人生の緊急事態宣言の間に、自分はずいぶんワガママになった。やりたいことは諦めたくない。興味のないことはやりたくない。近年は周りに助けてもらいながら子連れ旅行にいったり、推し活したり、やり放題。家事は最低限しかしない生活だし、ママ友はほぼいない。

息子は来年から小学生。そろそろ、緊急事態宣言を解除してもいいのかもしれない、というところまできた。でも、気づいちゃった。このままでいいんじゃない?って。
もちろん、余裕が出てきたら自分のことだけじゃなく、周りに恩返ししていきたい。辛い時に支えてくれた人たちだ。自分の身の回りのこともちゃんと整えていきたい。両親もいつまでも元気じゃない。
でも、やりたいことは諦めたくないし、やりたくないことは避けたい。だってもう40。人生折り返し地点だ。これからどんどんワガママになっていくんだ。

3.パッション

みっつめは、パッションだ。私の人生において、進路選択はずっと、パッションだった。
進学先は、姉と同じだからとか、偏差値的にいけるからとか、なんとなくで選んだ。周りのみんなが行くから、大学院に進んだ。そして就活は、学んだことと全く関係ない業界ばかり受けた。死ぬほど教育投資をしてくれた親には、本当に申し訳ない。

就活で受けたのはたった6社だ。N社、O社、B社、T社、B社、K社。伏字を取ったら人生舐めてるのがわかるラインナップだ。業界も違う、自分の専門とも違う。ただ、そこが作っているものが好き、というだけで選んだ6社。ワクワクするものを作っているところがよかった。将来子供ができたときに、「お母さんはこれを作ってるんだよ」といえる仕事につきたかった。一社にだけ縁があって、新卒で入った。
32歳の時に、今の会社に転職した。もともと趣味でボードゲームが好きで、知っていた。たまたまTwitterでデザイナー募集してるのを見て、興味本位で応募した(デザイナーでもないのに)。会ってみたら面白そうな人たちだったから、転職を決めた。パッションすぎる。でももうすぐ今の会社も8年になって、一社目と並ぶ。

つい先日息子に、今日どんなお仕事をしたのか?聞かれた。「まず工場から送られてきたボードゲームのサンプルをチェックして、印刷とかに問題がないか見たよ。そのあと、今度アメリカであるイベントの準備をして、そのあと、新しく作るかもしれないゲームのテストプレイをして、最後に、ゲームを一緒に売る会社はどこがいいかっていう話し合いをみんなでしたんだ。」その日やったことを全部、答えた。
「どう思った?」恐る恐る聞いたら息子は、「全部面白そう!」と言った。私が働いている姿を見て、働くことが、面白そうと、思ってくれたんだ…!

ちょっと、感動した。私が仕事を選んだときに思い描いていた未来が、ここにあった。私の軽率な、パッションだけでがむしゃらに歩いてきた道が、過去の自分自身に認められたような気がした。全然思い描いていた未来じゃなくて、10年前、20年前の自分に申し訳ないとばかり思ってたけど、これは胸を張って報告できることができてしまった。

10年・・・

今は正直、10年後にどうなっているかなんて、考えたくもない。だって、予測不可能だから。まだまだ緊急事態だから。
自分が息子に、自分がされたような教育機会を与えられるとは到底思えない。ちゃんと学校に通えているだろうか?両親は年老いて、世話されるより世話が必要になっているだろう。私は仕事を続けられているんだろうか?なんていうか、不安しかない。
でも、なんとなく、この怒涛の30代を乗り越えられてきたので、なんかもう何が起こっても平気かな、みたいな胆力はある。

私の人生に大きなドラマと、息子の存在を、ありがとう、30代。

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