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【ぼーっとアート】塩田千春《つながる輪》

どうも。いかたこです。

ぼーっと眺めるから、見えることがある。
ぼーっとアートは、好きな美術作品について、感想や考察をひたすら書くシリーズです。

※この記事の内容は個人的な感想であり、美術や歴史的な根拠は一切ありません!

今回の作品は、塩田千春《つながる輪》です。
写真は展覧会「塩田千春 つながる私」で撮影したものです。

それでは、ぼーっと眺めていきましょう。

《つながる輪》

「つながり」について記されたたくさんのメッセージと赤い糸による《つながる輪》

「塩田千春 つながる私」 公式図録

 赤い糸は、まるで体内を流れる血液のよう。つながりの記憶(メッセージ)は、円を描くように配置され、大きく独特な存在感を放っている。
 生命に不可欠な血は、「命の象徴」と言えるもの。もし、記憶が血に刻まれているとしたら……。赤血球は酸素を運び、白血球は外敵から体を守る。記憶はきっと、血液に乗って体内を巡り、その人の存在を主張し続けている。

 記憶を分かち合うこと
 血を分かち合うこと
 そして
 存在を確かめ合うこと

 それが「つながる」ことなのかもしれない。

 私たちはこの世界に存在している。でも、それはあまりにも不確かだ。「我思う、故に我在り」とは言うけれど、それだけで真っ直ぐ歩けるほど、私は強くない(みんなはどう?)。だから、他者と記憶を共有し、お互いの存在を確立するのだと思う。誰かと記憶を分かち合うことで、私たちの存在はより色濃く、はっきりとしたものになる。思い出を他人と補完し合うことで、鮮明にしていくみたいなこと。

 他者とつながることで存在を確かめる。それなら、もし自分とつながることができたら、それは生き方において、自由を手に入れたことになるのかもしれない。誰かに依存せず、自分で自分の存在を証明できるなら……。
 けれど、それはやっぱり孤独だ。吐いた空気で呼吸を続けるように、息が詰まっていく。それは本当に自由なのだろうか?

《つながる輪》

 他者とつながりやすくなった現代社会。他人を感じたい、自分を認めてほしい。これらの欲求は、どこか人間臭く、あまり見せたくないものだ。
 私は、塩田千春さんの作品から、生き物らしさ、人間らしさを感じる。目を背けたくなる、生きることと死ぬこと、そして人間の本能。それでも、つながりたいという思いは、こんなにも美しく感動に溢れているのだ。《つながる輪》は、私たちをそう肯定していると思いたい。

さて、今回のぼーっとアートはここまでです。
それでは、また。

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