【ぼーっとアート】番外編。アートにハマったきっかけ。
どうも。いかたこです。
今回は、「ぼーっとアート」番外編です。私がアートにハマったきっかけをお話しします。
2年前の夏のことです。夏休みに入り時間を持て余していた私は、インスタグラムで流れてくる動画(投稿)をぼーっと眺めていました。見てはスクロール、見てはスクロールを繰り返していると、耳で聴く美術館さん(Aviさん)が、展覧会を紹介している動画にたどり着きました。(Aviさんは動画クリエイターの方です。)
あ、この動いてるのなんか見たことある。なんだっけ?
もちろん、「動いてるの」はAviさんのことではありません! 流石に他人のことを「動いてるの」なんて思わないので安心してください。Aviさんが紹介していたのは「テオ・ヤンセン展」という展覧会でした。「動いてるの」とは、テオ・ヤンセンの作品、ストランドビーストのことです。
テオ・ヤンセンのストランドビーストは、私が初めて見たいと思ったアート作品です。(ストランドビーストと書くと長いので、以降はSBと省略します。)
それまでの私は、アートの「ア」の字も知らない状態でした。絵画や彫刻の何が良いのか分からず、興味もない。美術館なんて自分には縁遠い場所だと思っていました。
何年も前に、父が金沢21世紀美術館に連れて行ってくれたことがありました。でも、当時の私はアートに一切興味がありませんでした。父が館内をいろいろと案内してくれたのですが、マジで意味分かんねーって思っていました。親に連れられて退屈そうな顔で美術館を回る。まさに帰ってきた反抗期といった感じです。あーあ、今行ったら楽しいんだろうなぁ。
そんな私が、テオ・ヤンセン展でSBを見たのをきっかけにアートにハマります。
あっ、そうそう。どうしてAviさんの動画で、SBに見覚えがあったのかですよね。紹介動画を見る少し前に、母が「今度お父さんとこれ見てくる」と、テオ・ヤンセン展を教えてくれていたんです。「テオ・ヤンセン」という名前は覚えていませんでしたが、やっぱりインパクトのある作品ですし、印象には残っていました。
ちなみに、父に金沢21世紀美術館に連れて行ってもらった、と書きましたが、私の両親は2人ともアートが好きなんです。何でかは知らないけど。それなのに、私は2年前までアートに興味がなかったんです。何でかは知らないけど。まあこのことは、我が家の七不思議に比べたら些細な疑問です。なので、今回は置いておきましょう。
CMで聞き覚えのある曲に興味を持つように、見覚えのあるアート作品に私も興味を持ちました。これは歴史的な瞬間です。大きな一歩です。Aviさんのテオ・ヤンセン展の説明を最後までしっかり聴きました。そして、動画を見終わってから母のもとへ行き、
「これって、この前行くって言ってたやつやんね。まだチケット買えるかなぁ?」
大きな一歩、2歩目です。
それにしても、クリエイターさんってすごいですね。Aviさんの説明がとても分かりやすくて魅力的で、アートを知らない私でも楽しめそうって思いましたもん。
さて、無事にチケットを購入して、会場へ。
この時はまだ、これからアートにハマるなんて想像していなくて、展覧会に行ってきたぜ! と今度友達に自慢しよーくらいの軽い気持ちでした。
会場にはたくさんのSBが展示されていました。どれも大迫力でかっこいいのですが、それだけではまだハマりません。また、実際にSBが動いている姿を見ることができました。こちらも大興奮ではあったのですが、それでもまだハマりません。
私がアートにハマったのは、SBの生き物らしさを、自分の頭で理解した瞬間でした。SBは風で動く作品にとどまりません。風を食べて動く「生命体」なのです。SBを見ていると不思議なことに、これ生き物やん、と思えてしまうんです。
SBは「風を食べて動く」と表現されます。書籍でも、紹介動画でもそのような言葉で説明されていました。でも、普通に考えて、それは比喩表現ですよね。SBはテオ・ヤンセンという芸術家が作ったアート作品です。だからこそ、実は生きているなんてことはないし、風を食べることもない。風で動く物体、機械のはずです。
そういえば昔、理科の実験か何かで、風で動く車を作ったことがあります。下敷きでいっぱい扇いで、友達と競争したこともあったなぁみたいな。私も展覧会に行くまでは、SBにそのようなイメージを持っていました。しかし、SBについて知っていくと、その生き物らしさに困惑しました。この感覚は一体どこから?
なぜSBに生き物らしさを感じるのか、自分なりにいろいろ考えてみました。2つ思いつきました。
1つは、自然とともに存在しているということです。SBが歩く砂浜の環境は、必ずしもSBを守ってくれるものではありません。砂浜の風や海の水は、時に脅威にもなり得ます。だからこそ、SBは進化の過程で、それらに適応しなければなりませんでした。
例えば、SBの中には胃袋(ペットボトル)を持つものがあります。これによって、SBは風を蓄えておき、無風でも動くことができるようになりました。「風を食べて動く」と表現される理由です。一方で、SBは強風を受けると簡単に倒れてしまいます。それを防止するために、一部のSBには自ら杭を砂浜に打ち付け、体を固定する機能が備えられています。
その他にも、水没を避けるために水を感知するウレタンチューブや、異なるプラスチックチューブを組み合わせてできた「神経細胞」や「脳」があります。この辺りの仕組みは、文系の私には理解できませんでした。電気を使わずにそんなことできるの!?
このような環境への適応は、まるで生物の進化のようです。
また、SBには寿命があります。テオ・ヤンセンが終わりを宣告します。ですが、役目を全うしたSBの体の一部は、新たなSBに受け継がれることもあります。このような生命の繋がりからも、自然とともに存在していると感じることができますね。
もう1つは、物体としての不自由さがあるということです。SBの主な素材は、プラスチックチューブです。これを「細胞」として、結束バンドなどで繋げて形を作ります。(過去には木材などが素材として使われていたこともあるそうですが。)
もし、SBを機械として強くしたいのであれば、素材を変えるのが一番早いと思います。プラスチックチューブは、決して素材として頑丈ではないので。また、性能を向上させたいのであれば、電気を使ったほうがいいと思います。それでも、SBはこれからもプラスチックチューブで作られるでしょうし、モーターなどを付けることもないようです。限られた体で、環境に適応していきます。
これは、私たち生物も同じです。強くなりたいからと、体を鉄に変えることはできません。速く走りたいからと、モーターを体に埋め込むことはできません。工夫して環境に適応していくのです。このような物体としての不自由さが、とても生き物らしいと思います。
SBは生き物である。そう認識した時、作品の世界に一気に引き込まれました。
アートが生き物を生み出すなんてあり!? アートってこんなにも自由で何でもできるんだ。
この瞬間、私はアートによって自分の認識がゆらぐことの面白さに出会いました。それから、自分でも驚くほど、アートにハマったのです。
アートにハマってからは、よく美術館に行くようになりました。平均すると、月に1回は行っています。「アートって何が面白いの?」と聞かれたら(まだ聞かれたことはないけれど)、「自分の認識がゆらぐところ」と答えます。
アート作品を前にすると、心がざらざらしたり、ぐるぐるしたり、ぱらぱらしたり。普段はあまり生まれない感情が、体を満たしてくれます。もちろん、全ての作品に心が動くわけではありません。でも、心が動いた作品は、それからずっと好きであることが多いです。
そして、作品を見ながら、自分は一体、この作品のどのようなところに魅了されたのかを考えます。SBであれば、生き物らしさです。機械的であるのに、生き物っぽい。そのようなところが、面白いと思いました。そこからは、「生き物らしさ」とは何かを自分に問いかけて、考えを深めていきます。こうして考えたことは、芸術家の意図と近いこともあれば、全く違うこともあります。それでも、自分はそんなふうに物事を考えるのだと理解することができるし、新しい考えに触れて自分の世界を広げることができます。私にはこの時間がとても楽しいんです。
もちろん、アートにハマった理由には、少し邪なものもあります。美術館に行く自分イケてる! みたいな。そりゃありますよ、そりゃぁ。
でも、どんな趣味だって、どう見られるかは意識するでしょ? 映画が趣味ですと言って、好きな映画にマイナーな名作を挙げてみたり。ギターが趣味ですと言って、かっこいいフレーズを練習してみたり。きっとみんな、多かれ少なかれあるはずです。だから、アートにハマったきっかけに、かっこいいと思われたいという感情があることは、目をつぶってください。
それでは、最後までお付き合いいただきありがとうございました。