言葉にしてきてよかった
どうも。伊田錦です。
僕はたぶん、「意味」や「価値」や「役割」を重視しているのかもしれない。
「自分がいる意味ってなんだろう。」
「自分にはどんな価値があるんだろう。」
「自分にはどんな役割があるだろう。」
なんとなく、そう感じたり考えたりすることは、昔からある。
だから、自分がいる意味や自分の価値が感じられない環境はしんどかったんだ。
前にも話したが、高校時代、30人とか40人くらいの集団の中で、居心地が悪かった。
「このクラスから自分1人いなくなっても、問題ないだろう。」
「僕がこの場にいる意味ってなんだろう。」
もちろん、自分から関係を築くのを怠った僕が悪いのだが。
僕は“居場所をつくりたい”と話したことがあるが。
意味や価値や役割を感じられるような、居場所が欲しかった。
だから、つくりたいんだ。
だから、「意味がない。」「価値がない。」「無駄だ。」
そんな言葉に反応するんだ。
そんなわけない。
それだけじゃない。
意味はある。
価値はある。
可能性はある。
そう言いたいんだ。
そう言うことで、一番救われるのは自分なんだ。
僕のnoteに書いてある言葉たちは。
全部、僕が欲しかった言葉たちだ。
たぶん、このnoteの活動を通して、一番居場所を感じているのは、僕自身だ。
誰かとつながるために。
僕はここにいると示すために。
正直、「noteやめようかな。」とか「もっと意識高く有益な情報を書くほうがいいのかな。」とか、いろいろたくさん考えた。
他人ともたくさん比べたし、落ち込んだりもした。
でも、気づくこともあって。
僕が最初に書いたこの記事から、
最新のこの記事まで、
すべての記事が見られていて。
すべての記事にスキがついているということ。
これってすごい。
つながれている。
届いている。
そんな気がした。
本当は、もっとつながりたい。
もっと実感したい。
いつか、自分に言いたい。
生きることは怖くない。って言いたい。
人とつながることは怖くない。って言いたい。
意味も価値も居場所もあるんだと。言いたい。
身体も心も引きこもっている自分を。
少しずつ、動かしたい。
めちゃくちゃ怖いけど。
寂しくなって独りで泣くよりは、マシかもしれない。
家族以外と、もう何年もまともに会話してない気がする。
まずは、もう少し暖かくなってから、散歩に出てみようかな。
では。また。いつか。