#025:01「心の彷徨: 自らの深淵に迷い込んで」
さて30日間ChatGPTのお題に答えていこうシリーズ、第一回目。
これまた深いテーマをいただきました。
心の彷徨・・ですか。私の心はいつも彷徨ってますね。マインドフルネスならぬ、マインドワンダリングです。うろうろです。ふらふらです。ふわふわ、ゆらゆら、かもしれません。煙のようです。その昔、米米クラブというバンドのボーカルに、カールスモーキー石井という人がいらっしゃったのですが、正に「明治カール・軽い・煙」がピッタリな私の心です。
そんな軽くふわりと上空に飛んで消えていきそうな私の心のなので、深淵に迷い込むというか、深いところに落ち込むのはあまり好きではないですね。重い、ずーん、沈むという状況は苦手です。そういう性格だからか、やっぱり深みを覗き込んだり、ましてや足を踏み入れるなんてのは、避けたいことの1つです。鍾乳洞ならともかく、自分の奥底を見るなんて、怖くないですか?
なぜ深淵に迷い込んでしまうんでしょうか。
迷い込まずに、またそのままずぶずぶと沈み込むのでなければ、蛍光性のマーカーで印をつけて歩き、帰り道がわかるようにするとかそういう手はあるはずなのに、なぜわざわざ迷い込む。深淵とは迷い込むための仕掛けなのか。迷い込みたいのか。
迷い込みたい・・これはあるかもしれない。
自分の心の中にある、山のような思い出をためつすがめつ眺めながら歩けば、そりゃあ帰り道もわからなくなり、迷い込みもするだろうなぁ。手を取られ、足を取られ、気を取られて、もしかしたらしゃがみ込んで動かなくなるかもしれない。きっと心は怖いんだ。少なくとも私においては光り輝く場所でないように思う。
・・と、こんな感じで思いつくまま書くことならできそうだ。
第一回目はまずはこんなところで。
どっとはらーい。