月下夜想機譚~二人ぼっちの絶滅戦争~
1999年7月。恐怖の大王は少しだけ降臨する場所を間違えた。地球から僅か38万Km離れた所に墜ちたそれは自己増殖を繰り返し、彼の地の光景を一変させた。
以来月は夜空の半分を占める程に拡散希薄化し、地球から暗夜という物を奪い去った。僕が生まれる数年前の出来事だ。
薄く、半ば透けている月から恐怖の大王の眷属がやってくる。破種船と呼ばれる月の石で出来た突入体に乗って、毎夜人類の褥を脅かす。事変初期の混乱で崩壊し、宗教的統一国家として生まれ変わったNJE〈ニューエルサレムオブユーロピア〉は奴らの事を天罰体〈ネメシス〉と呼称している。
ネメシスは、朝日を浴びると溶けて消える(宇宙空間で消滅しないのは破種船に護られているかららしい)。だが日没後から払暁までの間、奴らはその名に恥じない働きをする――即ち、虐殺を。人類は白夜の中、ネメシスを迎え撃つ。僕はそんな国連夜戦軍の東日本州管轄戦域に所属する下っ端の義体化不夜兵〈ヒュブリス〉の一人。2019年現在、人類は南北アメリカ大陸を失地し(文字通りの意味だ)そのリソースを主に旧東欧部と極東に集めて抵抗している。
僕が〝あれ〟に出会ったのは旧帝都の山地でだった。朝日がいち早く当たる高所は、ネメシスに対して人類が僅かでも優位を保てる立地であり、重点警戒がなされていた。
夜空の半分を埋める月の光があるので、高度な暗視装置等いらない。ネメシスは熱も出さないので音が頼りだが、夜間の山地というのは驚くほど多様な生物のざわめきで満たされている。
だから反応が遅れた。
それは、同僚を音も無く食らった。
僕の片腕を容易く千切った。
「ひゅっ……」
肺から出たのは悲鳴にすらならない呼気。
優しい、と言ってもいい月光の中、それは僕の腕を咥えたまま振り返る。
美しい、と思った。
背中から生える紅い結晶と肉が癒着した翼の様なネメシス特有の器官。
〝それ〟は白い裸体を晒した、少女の姿をしていた。
【続く】