電信柱とジキタリス 後編+あとがき
4
「そして、彼女も死んだ」
そう言って、彼は口を閉ざした。
白い病室の中。私と彼はお互いに沈黙した。
――彼にはまだ語れることはあるはずだ。私は、彼に問いを発した。
「彼は、そして彼女は、何故死んだの?」
しかし、私の問いに彼は首をゆるゆると振るだけだ。私はなおも強く懇願した。
「教えて、父さん。何故、拓也さんと可奈――私の夫と妹は死んでしまったの?」
「僕は君の父親ではないよ。親権は君たちの母親に取り上げられてしまったからね。他人さ」
「お母さんは、もう死んでしまったわ。そして夫と妹も」
父は、警察官としての職務に忙殺されるあまりに、家族を捨てた。こうやって直接話をするのは、もう何年振りになるだろうか。彼は私が精神科の病院に入院していることも知らなかったのだ。父は職業上の義務でここまで来て、ついでに私に先の話を語ってくれた。
父は、言った。
「僕が語ることは、全て憶測に過ぎない。それでも構わないのかい?」
頷く私に、父は天井を見上げ、細い溜め息を吐いて語り出した。
「君の夫が、拓也君が何故失踪したのか、それは分からない。ただ君たちの元から出奔した後は、上手く警察の目をかわしながら全国各地を放浪していたらしい。そして日銭を稼ぐ手段として、彼はパントマイムの技術を身につけた。そして、各地の街でつけられたあだ名が――」
――電信柱。
ひたすらに立ち続けるのが職務。ひたすらに待ち続けるのが仕事。
「君たち姉妹が、設備の整った精神科の病院があるこの街に越して来たのが偶然ならば、拓也君がこの街に訪れたのも偶然なのだろう。だけど可奈が君の病院の近くの駅前で彼を見かけたのは必然だ。
死んだ彼女がどう思っていたのかは、親を止めてしまった僕には分からない。しかし彼女が、君を入院するまで追いつめた彼に対して何らかの復讐を抱こうとしたのは事実だ。彼女は彼に近づいた。ジキタリスの毒が入ったペットボトルを持って。拓也君は、可奈の顔を忘れていた。否、彼は意図的に過去の全てを忘れ去っていたんだ。きっと、放浪生活に邪魔なものは、全て捨て去ったのだろう」
父は淡々と語る。
「ジキタリスには有毒成分である、ジギトキシンが含まれている。劇薬で毒性が強い。ちなみに、これらの成分は彼の死体が握っていたペットボトルから検出されている」
私は、ただ聞き続けた。
「毒の入っていない物を目の前で飲んだりして、彼女は彼を信じ込ませようとしたのだろう。しかし、ホームレス生活を長らく送ってきた彼は、他人からもらう飲食物に迂闊に手を出そうとしなかった。搦め手ではらちが開かないと判断した彼女は、自身と彼の繋がりを語って聞かせた。その様子を目撃していた人は大勢いる。そして――結末は知っての通りだ」
私は黙った。
「君も疲れただろう。今日は――」
父の言葉を遮り、私は言った。
「父さん、私は警察を馬鹿にしていないわ」
父は少し怪訝な顔をする。
「警察が、気付いていないはずがない」
父は沈黙した。
「優しい父さん。でも、私は大丈夫よ。大丈夫なの。できれば、父さんの口から聞きたかったけれど、貴方は優しすぎるから無理でしょうね。いいわ。私が貴方にかわって全てを語る」
「だが――」
父の言葉を再度抑えて、私はゆるゆると語り出す。
「拓也さんが失踪した理由はね、私知ってるの。知ってて、でも信じられなくて、ううん、信じたくなくて、私は逃げたの。心の中に」
父は、無表情だった。
「拓也さんは、可奈を愛していた。そして、可奈も拓也さんを愛していたのよ。だから彼は私たちの前から姿を消した」
私も、恐らく無表情なのだろう。
「可奈が渡したペットボトルにはね、毒は入ってなかったと思うわ。好きな人を殺そうとする子じゃないもの」
私たちは姉妹だ。お互いのことは、誰よりも知っている。
「拓也さんが、駅前から消えて何処に行っていたのかは、お父さんも知ってるでしょう?」
父は頷いた。
「彼はこの病院に来ていた。服装と名を変えて、君に面会していた」
「そう、彼は私のところに来てくれたの。ジキタリスの花束を持って。私は彼に言ってあげたわ。あなたをずっと待ち続けていた人の元へ言ってあげてと」
父は、初めて悲しそうな顔をした。聡い人だ。気付いたのだろう、私が何をしたのか。
「あの人、この病院を探すために駆けずり回っていたんでしょうね。喉が渇いてそうだったから、ペットボトルを渡してあげたの」
夜遅く、面会時間を遥かに過ぎていた。彼は半ば不法侵入の形でここまでやって来た。そして、私からもらったペットボトルと、私が可奈に渡してあげてと言った花束を抱えて、慌てて外に消えた。この病室では飲食禁止よ、待ち合わせの場所で飲んでね。そう言うと、彼は笑いながら実に素直に従った。
「彼はいつもの場所に向かった」
夏の夜中を、息せき切って。
「辿り着いて、彼は喉の渇きを覚えた」
電信柱でなくなった彼は、何の躊躇いもなくペットボトルの蓋を開け、中身を飲み干した。
「そして、ジキタリスの毒で、死んだ」
父がぼそりと言った。
「そう。私が彼を殺したの」
「…………」
「可奈は、父さんに似て聡い子だったわ。見覚えのあるペットボトルと、見覚えのある花束を見て、彼女は何もかもに気がついた。そのペットボトルは可奈が私に持ってきてくれたものだもの。
そして私が、病気の振りをしていただけということにも連鎖的に気付いた。私が、彼が帰ってきたら必ず復讐してやろうと決めていたことに――復讐心の中に逃げ込んでいたことに、ね」
「そして――彼女も死んだ。……彼女の最後は絶望に溢れていたのだろうか?」
「ええ、きっと。でも、幸せだったと思うわ。妹たちは、ようやく抱き合うことができたのだもの」
私は笑顔で答えた。
5
できれば、聞かせてくれるかな?
君が彼を殺した理由を。
君が彼女を殺した理由を。
いいわ。
でも、これは貴方にとって、とても辛いお話。
それでも構わないの?
構わない。
僕は親を止めたけど、しかし聞く義務がある。
権利がないから、無理にとは言わないけれど。
貴方には義務などない。
辛いものを全て抱え込む必要など存在しない。
だけど、お願いだものね。貴方に語って聞かせるわ。
ある、ジキタリスのお話を。
お父さん、私は貴方のことが好きでした。娘としてでなく、女として。
元々好きだったジキタリスの、花言葉を知った時、私は更にこの花が好きになりました。
――胸の思い、不誠実、きみはただ美しいだけ。
貴方は、母をとても愛していた。例えどれだけ仕事が忙しかろうと、母を労るのだけは忘れませんでした。
――例え母がその労りに気付けずに、浮気を繰り返そうとも、貴方は母を愛し続けた。
だけど、貴方の愛は不器用でした。母に届くことは決してなかった。離婚を言い渡された時も、親権を奪われた時も、貴方は唯々諾々と従った。母はそれが気に食わなかったのに。
でも父さん、貴方が家族から離れたがったのは別の理由。母もその理由に気付いていた。
貴方は、母でなく、私を愛していたんですね。
娘としてでなく、女として。
貴方が家を去る前夜、私を女として抱いてくれた時は、本当に嬉しく、そして哀しかった。私は、母も愛していたから。身勝手だけれど、お母さんが可哀相だと思いました。
そして貴方は去って行った。
貴方が家を出て、三年後です。母が死んだのは。
――そうです。行方不明ではありません。書類ではそうなっていますが、彼女は死んだのです。
私が、殺しました。
胸の思い、不誠実、君はただ美しいだけ。
――そう、私はただ美しいだけの花になりたかった。
胸の思いも、不誠実さも、汚いモノを全て持たない、狐の手袋のような優しいものになりたかった。貴方が行ってから、毎日そんな風に考えていた私を、母は責め立てた。
父娘で犯し合うなんて獣の所業だ。
あの男は鬼畜だ。
そしてその娘である貴様はそれ以下だ。
このメス豚め外道め。
母は、見ていたのです。
母は心を病んでしまっていた。私が装ったとのは逆に、内に篭るのではなく、外にその自分には耐えられない気持ちを発散していた。私はそれに耐え続けた。父は母よりも私を愛してくれている。その思いだけにすがって。花のようにただ無抵抗に。
だけど、彼女の気持ちが、私だけでなく、可奈にまでその牙を剥いた時、私は、ジキタリスである私は、自身の毒で以って彼女を殺しました。彼女は今も庭の隅に埋まっています。
ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんごめんおかあさんごめんごめんなさいごめんなさいおかあさんごめんなさいごめんなさい…………。
……大丈夫です。続けます。
結婚をしたのは、今から四年前です。
びっくりしたでしょう。拓也さんは貴方にそっくりだったから。
私の駄目なところは、諦めきれないところです。それが、何より一番の悲劇の材料なのに。
拓也さんは、花である私ではなく、人間の可奈をより深く愛してしまった。そして、可奈は拓也さんに、幼い頃に消えた父の面影を見た。
そして拓也さんが消えた時、私は貴方を再び失ったかのような絶望感に襲われた。
私を、可奈はどんな思いで世話をしてくれたのでしょうか。
あまり、知りたくない気がします。
……。そうです、その通りです。貴方は本当に聡明ですね。貴方の娘であることを私は誇りに思います。
私のやったのは、彼に対する復讐なんかじゃない。
私は、可奈にあの人を取られるのが嫌だった。だから、先に彼を奪ってやったんです。ただの、嫉妬です。
ふふふ、支離滅裂ですね。ああ、私は病んだふりをしているうちに、本当の狂気に捕まってしまったのかもしれません。
ええ。
彼女が彼を見つけた時に死を選ぶことも私には分かっていた。彼女と彼が結ばれる道は――例えそれがどれほど外れた道であろうとも――もはやそれしか残されていなかったから。
私には全て分かっていたんです。
私たちは、二人きりの姉妹ですから。
お父さん、私は貴方を愛しています。そう、今でも。
貴方は、貴方はどうなのですか?
貴方が愛した妻を殺し、貴方に似た夫を殺し、私に似た――でも決定的に違う妹を殺した私を、貴方は愛してくれますか?
………………。
そう、ですか。
貴方のその答えを聞けて、私はとても安心しました。
――これですか? ええ。ジキタリスの毒が入った水です。
毒は――二人を殺した分も全て――主治医の先生に、いいことをしてあげたら、持ってきてくれました。……私の入院代も、病院の方々にいいことをして払っていましたから。
いいんです、もう、そんなことは。
貴方が私を止められないのは知っています。貴方は職業意識も強いけれど、家族の幸せを願う気持ちはもっと強い。
向こうで家族の誰かに出会えないことを私は願います。
私が行く場所は、きっと地獄でしょうから。
さようなら。お元気で。
――ごめんなさい。
0d
そして彼女も死んだ。ジキタリスの毒で。
残されたのは、僕だけだった。
これは実際に起きた、悲しいお話だ。
貴方はその後どうしたの?
彼女の後を追ったの?
死んだ彼女の罪を告発したの?
いいや。僕は何もしなかった。その後普通に生きた。
新しく妻を娶り、孫まで出来た。
そして死んでここに来た。君は僕のことを軽蔑する?
いいえ。貴方が幸せだったのならそれでいい。
むしろ、軽蔑されるのは私のほうかしら。
悲劇の引鉄は、私が引いたようだから。
こんな言い方はおこがましいけれど、君は既に十分な苦しみを味わった。
娘に殺されるというのは、凡そ最悪の死に方だろうから。
僕は君が羨ましい。僕こそ娘に殺されたかった。
残念だけど、それは永遠に叶わないわ。
ここは、地獄だもの。
天国には、本当に純粋な人達しか行けないの。
電信柱もジキタリスも、その両方を愛した妹も――
みんな天国に行ったのよ。
A Pole and Digitalis ~Because I Miss You~ is the End.
あとがき
というわけで「電信柱とジキタリス」でした。いかがだったでしょうか。
noteに載せてる僕の小説とはかなり毛色が違うのでドン引きされる可能性もかなり高いとのデータマン(IQ300)による分析結果が出ましたが、敢えてアップしてみました。というのも今の僕のnoteのラインナップが「完結長編1本と連載中の長編一本」しかなく、後は逆噴射小説大賞投稿作だけなのです。なんか手頃にサクッと読めて完結している作品が欲しいなと思って……思って……。果たしてこれはサクッと読めるのだろうか。
当作は古の昔、僕が作家でごはん!という小説投稿サイトで一時期活動していた時に書かれた作品で、幾つか投稿した作品の中では一番賛否含めての評価が多かった記憶があります。
書いたのは、ライトノベル作家のおかゆまさき先生が述べておられた「一行小説」にハマっていてよく分からない一文を量産していた時のことでした。生まれては消えていく一行の文章の群れの中で、「彼は恋する電信柱だった」というセンテンスは個人的にかなり会心の出来だな、と思ってその続きを執筆したのでした。
ちなみに頂いた批評の中で記憶に残っているのは「前半の空気は好きだが後半がちょっと」「後半が野島伸司」「全然違う作品を接合したみたいな感じ」といった主に後半のアレに対するものでした。なんて的確な批評なんだ。実際、前半はほぼ手癖でほいほいと書けたのですが後半が思いつかず、京極夏彦の「魍魎の匣」を読んでこれだ! となって書き上げたのです。ちなみに途中で挟まる会話? パートは小林泰三の「海を見る人」からパクリました。
10年以上前に書かれた小説ですが、読み返すと若さとか熱とかを特に感じず、あの頃から自分は何も進歩していないなと半分愕然半分納得する作品でした。昔からラノベ作家になりてえなあと言ってるのにこういうのを書く、そういうとこやぞ。
あなたの心に一拍でもいい、何か響きや動きを残せたら、これに勝る喜びはありません。ここまでお読み下さりありがとうございました。