ポスト・ポストカリプスの配達員 第二章『遭遇、シベリア郵便鉄道特急編』まとめ読み版
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1
ポスト・ポストカリプス世界に昇る月は、赤い。郵便ポストの赤色だ。
月にも郵便局があったのがまずかった。大郵嘯〈ポスタンピード〉は月でも発生したのだ。当時、月には幾つか恒常的に人が住む基地があったようだが(ポストはその基地に設置されていたものだ)全て通信途絶し、その安否は現在に至るまでも確認されていない。
真空や宇宙線、微小隕石にも耐えるように設計されていた頑丈さと、月の低重力環境が何らかの反応を起こし、地球の三倍の密度で生えたポスト群は月の質量を数%増やして、地球の自転と公転にすら影響を及ぼした。大郵嘯後の文明崩壊を加速させた一因とも言われている。
配達員〈サガワー〉に伝わる都市伝説として、ポストを開けたら月に繋がっていたとか、ポストから月の住人が這い出してくるのを見たとか、幾つかの噂が存在する。だがどれも眉唾ものだ。
そもそも、それがかつて『月』と呼ばれていた天体であることを知る者自体が、今は少ない。
その赤さと表面に刻まれた巨大な『〒』マークから、今では人々はそれを郵星〈POSTAR〉と呼ぶ。
俺は赤くて丸い郵星を見上げながらくしゃみをした。季節的には秋の入り口のはずだが、さすがにモスクワ近郊は夜になれば底冷えする。ポストは夜間に放熱を行うのでなおさらだ。
「ん……寒い? もう少しくっつこうか?」
配達員の青コートを共有していたナツキがうとうととした浅い眠りから目覚め、こちらに距離を寄せてきた。俺はさり気なさを装って同じだけ距離を取る。
「照れ屋だね! オトシゴロってやつ?」
『ヤマト様の心拍数と体温の上昇を検知。ナツキは魅力的な女性ですから仕方のない事です』
普通に気づかれて俺は溜息をつき、自分から肩を寄せた。300年前と現代でデリカシーの基準が違うのか、こいつらが特別変なのか。どちらかと言えば後者のような気がする。
焚き火のぱちぱちという音と、胡座をかいたまま眠るタグチのイビキを除けば、百万光年先の恒星が燃焼する音すら聞こえてきそうな夜だった。
ポスト・ポストカリプス世界では、昆虫を含めた野生動物の一切は絶滅している。代わりに我が物顔で地上や空を闊歩してるのは宅配ドローンや宅配ボックスたちだ。ポストカリプス前分明のテクノロジーで創られた自律型配送システム群は野生化し、独自の改良と進化・分化を遂げて今や生き残っている人類よりも繁栄を遂げている。昼間出会ったような肉食性の奴らは、食える肉が人類しか残っていないので積極的にこちらを襲ってくる。だが基本的に野生化配送システム群は夜間は充電しているので、辺りに気配は存在しなかった。
郵星の柔らかな光と焚き火の明かりに照らされたナツキの横顔はほんのりと赤く闇に浮かび上がり、〒型に赫く瞳を際立たせている。夜明けまでおよそ8時間。夜は長い。
昼間、黒山羊〈レターイーター〉を倒した後に調べたポストはそこそこの当たりだった。中にはレア級宅配物の旧文明サバイバルキットが一個小隊分入っていた。モスクワまでは凡そ50Kmの道のりなので飢え死にの心配はないだろう。
俺は再び郵星に視線をやる。全く想像できないことではあるが、かつてあの星は一ヶ月単位で満ち欠けをしていたという。明るさがそんなに頻繁に変わると夜が不便ではないのだろうか?
「変な月」
ナツキが隣でぽつりと言った。もう寝たものと思っていた俺は少し驚いて隣を見る。郵星を見上げていたナツキがこちらを見て、少し笑った。
「あんな所までポストが増えるなんて思ってもみなかったよ」
「今は月じゃなく郵星って呼ぶんだ」
「ゆーせい。なにそれウケる。……結局私が守りたかったものは一握りしか守れなかったなあ」
タグチの方を見ると、完璧に寝ていた。聞くなら今だろう。
「なあ――どうして青ポストの中にいたんだ? 俺の秘密を教えたし、答えてくれ」
「いいよ。約束だしね」
もったいぶっていた割には、ナツキはあっさりと答えた。
「ただし眠くなるまでね」
「なんじゃそりゃ」
「まあまあ。これからの楽しみというか、ヤマトくんの秘密を聞き出すには小出しにしたほうがお得だと気付いたのですよ」
「お前なあ……まあいいや」
「どこから話そうかな。最初から話すと長いしなあ……」
「眠くなる前に話せる長さで頼むぞ」
「じゃあ、途中からだ。私と、ローラ――ローラ・ヒル副団長が、ミネルヴァを追い詰めた時、ヤマトくん達が大郵嘯って呼んでるあの災害が起こったの――」
2
郵西暦2205年、12月25日。奇しくもこの世の全ての罪とスパムメールを背負い、天へと昇られた三位一体(投函・配達・受け取りを指す)の救世主が誕生した記念日。喜ばしきその日に、史上最悪の災害は発生した。
大郵嘯〈ポスタンピード〉――或いは聖書の黙示録に予言されているポストカリプス。自己増殖する郵便ポスト型瞬間移動装置によるグレイ・グーシナリオ。一般の見解では、それは戦争で日本と敵対していた国家によるポストの自己増殖システムに対する破壊工作により発生したクライシスだとされている。
だが実際は違う。
それは、一人の男によって引き起こされた人災だった。
ZGOOOOOOM…………!!
配達員〈ポストリュード〉上級郵聖騎士ローラ・ヒルが駆る白銀のアルティメット・カブ、『ガブリエル』の周りを公転していた11個の人工マグネターもこれで残り2つ。ガブリエルの表面を走るオレンジ色のエネルギーラインが苦しげに明滅する。人工マグネターの超強磁場に捕らわれた、ミネルヴァの放ったマイクロブラックホールたちがニュートリノの断末魔を上げて次々と蒸発した。
ガブリエルに相対するミネルヴァもまた酷い有様だ。収束した超電磁場フレイルによる幾度にも渡る攻撃で、フレームが剥離しそうになっているのを、重力制御で辛うじて抑えている。
ガブリエルとミネルヴァ――第二期カンポ騎士団の団長と副団長をそれぞれ務める最強の郵聖騎士たちのぶつかり合いに、ナツキは『トリスメギストス』の中で介入するタイミングを見出だせずに歯噛みしていた。
ローラとガブリエルは日本が唯一同盟を結ぶ国家、グレートブリテン及び北アメリカ連邦〈USBA〉軍からの出向者だ。アルティメット・カブのコンセプトが日本の物と異なるのはその為である。重力制御を主とする日本機に対して、重力制御に割くリソースを減らし、他の三つの基本相互作用を強化するというのが英米流だった。
ZZZZZMMMMMM……残った2機の人工マグネターがその自転速度を自壊寸前まで加速し加速し加速していく。同時にマグネターの周囲の磁場が捻じれ、ひしゃげ、凶弾の威力を極限まで高める。
先に仕掛けたのはミネルヴァだ! 必壊の攻撃の出鼻を挫く、ホワイトホールブレードによる閃制の居合い! 反宇宙より呼び込まれた反粒子流が、連鎖的対消滅シャワーを引き起こし、円錐状の軌道にあるもの全てをガンマ線光子に変えながら迫る!
ガブリエルは殺到する滅却の奔流を眼前に、撓みきったマグネターの磁場を――解き放つ! 基本相互作用制御によりうねり、しなる磁場は宇宙最強の鞭と化し、ガンマ線光子はおろか反粒子をも絡めとりながら螺旋を描き、ミネルヴァへの逆襲をかける!
だが次の瞬間――ミネルヴァが、消えた。少なくとも同じ重力ポテンシャルの底にいるガブリエルからはそうとしか見えなかったであろう。少し離れた観測者であるナツキだからこそ、それを把握できた。
重力波の波長に合わせた運足と量子テレポーテーションを合わせた、相対論を裏切った人類が得た武の極北。魔術的とすら言える超科学的歩法、即ち縮地である!
『ローラ!!』
ナツキの全帯域の叫びは虚しく戦闘ノイズに呑まれ、魔法の様にガブリエルの背後に出現したミネルヴァはエンジンとコックピットを諸共に一閃斬撃――動作をキャンセルし全力離脱。
目の前からミネルヴァが消えたのを認識した瞬間、ガブリエルが残った人工マグネター2機を衝突させ、超新星爆発を引き起こしたのだ。制御されていない、剥き出しの爆燃現象は強制的に戦いを仕切り直しさせる。
だがこれでガブリエルの武器である人工マグネターは残りゼロ。
『ローラ。お前では俺には勝てない。そこで立っているナツキを加えようがな。降伏して俺と共に来い。こんなところで戦力を消耗している場合ではないと、お前なら分かるはずだ』
ミネルヴァの配達員、マエシマ・ヒソカがオープンチャンネルで呼びかけた。ナツキの腹の底に昏い怒りが沸き立つ。『アイリス』も『アラハバキ』も配達員ごと斬って捨てた男が今更何を言うのか。
『私には分かりかねますわ、団長閣下。仲間を殺して、その演算装置を奪うことを正当化するに足る理由なんて、分かりたくもないですけれど』
ローラがにべもなく返した。ナツキはコックピットの中で獰猛に笑う。ローラはまだ闘志を失っていない。そしてヒソカは、この私を――カネヤ・ナツキとトリスメギストスを酷く見くびっている。それが間違いだと、教育してやる。
『ナツキ。今度は二人がかりで行きますよ』
『了解です、副団長』
ナツキは内息を深める。重力子がトライの機体中を循環するのを肌で感じる。
『貴様らは分かっていない。何故〝突破した者達〟がこの宇宙からも〒空間からも消えたのか。何故月が二つあるのか。何故〝鍵の掛かった銀のポスト〟がこの帝都の奥深くに隠されているのか――』
ヒソカはぶつぶつと呟きながら、ホワイトホールブレードの出力を上げてゆく。
『ごちゃごちゃうるさい! 第二ラウンド開始だ!』
ナツキは叫ぶと、ガブリエルと呼吸を併せて前後から飛びかかった!
3
ガブリエルとトライの完全に同期した前後同時攻撃――ローラは斜めに振り下ろす手刀、ナツキは崩拳――がおよそ120Gもの加速度で放たれる! 両者共に先端の速度は音を遥かに超え、空気は断熱圧縮で眩く煌めき、その瞬間のみを切り取るならば絵画的とも言える絢爛たる有様!
迎え撃つミネルヴァは、ガブリエルの攻撃を弓手に持つ流体金属状の剣の鞘を用いて背後で受け、正面のナツキには馬手にドアノブを回すように握ったホワイトホールブレードを捻じりながら突き出した。刀身である事象の地平面から吹き出す反粒子! 重力制御で大半を逸らすが、僅かな〝飛沫〟がトライの装甲を確実に削り取っていく。
重力制御された戦場は、普通はもっと〝静か〟なものだ。通常兵器しか持ち合わせていない相手ならば、アルティメット・カブは音も熱もなく圧し潰し、押し止め、崩壊せしめる。だがアルティメット・カブ同士の戦いならば、お互いの機体の制御AIが演算戦を行い、どちらの重力制御が優越されるかを水面下で激しく競い合う。打ち消し合った重力制御の結果として顕れるのは、空間の末摩を断つが如き軋みと、正しき法則を己が手に取り戻した大地の引力による咆哮! 狂奔! 絶叫!
今戦っている場所――帝都は霞が関に存在する郵政省庁舎の、カンポ騎士団本部の地下施設が震え、天井と床に多数の裂け目が発生する。この地下施設は耐核爆撃にも耐えられる造りだが、戦闘の余波は徐々に無視できないダメージを与えつつあった。
空気が固体とも思える速度の中、それを割りながらトライは軽く跳ねてからの三日月蹴りを浴びせにかかる。同時にガブリエルは地面を這うほどすれすれまでしゃがみこんで水面蹴りを放ち、攻め立てる。
中段と下段、躱すならば上へと飛ぶしか無い。だがミネルヴァはそちらへは逃げなかった。足を、捨てた。
更にはナツキの蹴りすら避けず、最も装甲の厚いコックピット部の横で受け止める。足先に纏わせていたダークエネルギーの陽炎が装甲を吹き飛ばし、コックピットのキャノピーにヒビが入る。
ナツキは、ほぼ至近距離でヒソカと目が合った。今の衝撃で頭部から出血しているヒソカはしかし何の動揺も示さず、狂信的とまで言えるほどの冷静さでこちらを見つめ返している……。
膝関節から下を蹴り裂かれたミネルヴァは、しかし倒れ臥すことはなかった。ホワイトホールブレードを床に突き刺し――出力を全開にする。
『……っ!?』
ナツキはもちろん、ローラも咄嗟のことに反応が一瞬遅れ――
CRAAAAAASH!!!!!
戦闘で脆くなっていた床が広範囲に渡り崩落し、三機のアルティメット・カブは地下の闇へと落ちていった。
『ナツキ、気づきましたか。意識の途絶は48.9秒です』
トライの声。周囲は暗黒。サーチライトで照らしても直ぐ側の闇に飲み込まれ、落下の衝撃で故障したのか暗視モードも上手く働かない。ただ、レーダーでの計測によるとこの空間が非常識なまでに広いことが分かった。その広さ、直径凡そ……
「3470Km……!? 本部の地下にこんな空間があるなんて聞いたこともないんだけど」
『私がアクセス可能などのデータライブラリにも載っていません』
周囲はほぼ真空。重力制御もされているようで、僅か0.165Gしかない。
「ミネルヴァとガブリエルは……?」
『8Km先に重力制御反応があります』
スラスターを吹かし、移動する。大量の埃のような物が舞うのが探索灯に照らされて見えた。
『重力異常と磁気異常を検知』
トライの警告。僅か数秒で到達したナツキは、そこに異様な光景を見た。
絡み合うように倒れこんだガブリエルとミネルヴァ。その二機がまるで芥子粒に見えるかのような巨大な、あれは――。
「なに、あれ……」
『私には銀色のポストのように見えます。サイズ測定結果出ました。厚み方向に1Km、幅は4Km、高さは9Kmです』
そう、それは巨大な、途方も無く巨大な、銀色の郵便ポストだった!
投函口があり、表面には「〒」マークがある、見た目は極普通のポスト。全体が仄かに発光している。不気味なのはその巨大さと、取り出し口に何重にも取り付けられた多数の南京錠だ。絶対に中身を取り出させない――いや、あれはまるで絶対に中身を〝外に出さない〟ためにつけられているかのような……。
『副団長、無事ですか!』
ミネルヴァに対して警戒を向けたまま、ガブリエルに呼びかける。返事がない。まさか、二人とも落下で……?
『ナツキ。団長と副団長を発見しました』
コックピットにトライの視界がオーバーラップする。そこには、簡易全環境服を着たローラとヒソカが、機体の外に出て並んで巨大ポストを見上げている姿が映っていた。
……どうしてこちらに返事をしない?
『副団長、いったいなにがあったんですか。これは、なんなんですか』
ローラと、ヒソカがゆっくりと振り返る。
ナツキは悲鳴を押し殺した。
二人の顔に浮かぶ、全く同じ表情。
諦観の、笑顔。
『ナツキ。もういいの。全部、分かったの』
ローラからの通信。
『な、何が分かったんですか。なんで、そんな顔を――』
『かつて一つだった月。それがある時期を境に急に二つに増えた。世界中の誰も、そのことに違和感を覚えなかった』
ヒソカが会話に割り込んできた。
『うるさいな! 今は副団長と話してるんだ! 黙っててもらえる!?』
だがナツキの言葉を無視して、ヒソカは続ける。ひょっとしたら、ナツキに向けて喋ってすらいないのかもしれない。
『何故人類は有史以前から郵便事業を行ってきたのか。世界中の古代宗教のシンボルに「〒」マークが使われていたのは何故なのか。どうしてK-Pg境界の地層から大量のハガキが見つかるのか……その答えが、これだ』
ヒソカは、巨大な鍵のかかった白銀のポストを指差す。
ポストが、激しく揺れた。
『……!?』
バン! バン!とポストの内側から何者かが激しく叩いている。南京錠がガチャガチャと揺れた。
『〝奴ら〟が出てくる門にして、奴らを封じ込める鍵。モノリス・ポストだよ』
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『奴ら? モノリス・ポスト? 何を言ってるの?』
ナツキの声は上擦る。なんだろう――あれは、あれの中身が、恐い。人が闇を恐れるように、死を恐れるように、宛先不明の手紙を恐れるように――根源的かつ窮極的な、それは恐怖の具体だった。
『驚くのも無理はない。だが歴史の真実を直視するべきだ。このポストに遺された〝彼ら〟――〝突破した者達〈ポスト・ヒューマン〉〟の声に耳を傾ければ、すぐに分かる』
ヒソカは、世界樹かと見紛う太さのモノリス・ポストのに手を触れる。ドクン。巨大な鼓動が一つ響き、取り出し口を揺らしていた内側の〝何か〟が静かになった。
『月が二つになったのも、ポスト・ヒューマン達の遺した徴〈サイン〉だ。〝奴ら〟の復活が近いことを知らせている。
〝奴ら〟は、月から来る』
『つ、月が二つになったなんてそんなバカな事が……』
『事実だ。今我々が立っているこの空間こそ、その二つ目の月――位相をずらして〒空間上に再現された地球の衛星なのだからな。〝奴ら〟を月ごと滅ぼした後のアフターケアといったところか』
『ここが、月……!?』
ナツキは辺りを見渡す。暗闇はあまりにも深く、視界はほぼゼロだった。
『事実かと思われます。観測で得られた諸データは月面上のそれとほぼ一致しています。重力異常のパターンからして、ここは南極エイトケン盆地の永久影のどこかだと推測します』
トライが淡々と告げる。
『月の南極に埋もれていた巨大な金属塊の存在は、既に昔から知れらていた。その正体が巨大なポストであると判明したのはつい最近の事だがな』
ナツキに聞かせているのか、それとも隣で薄っすらと笑むローラに語りかけているのか、或いは単なる独り言か。ヒソカは感情の起伏を見せずに喋り続ける。
『〒空間に到達し、ポスト・ヒューマンの様々な遺産を手に入れた人類は、この第二の月も発見し、驚愕と歓喜の中調査を開始した。そして――禁忌に触れた』
モノリス・ポストはただ荘厳に、聳え立つ。
『奴らを月に閉じ込めておくための仕掛け。誰も回収せず、どこにも配達されない荷物として放置しておくための処方。そうした目的のために創造された反ポスト。それを、人は訳の分からぬままに掘り出し、覚えたての猿の様に弄くり回し――猿よりましな知能を持っていたのが災いし、その機能の一部を解除してしまった』
バン! バンバンバンバンバン! 再び内側からの激しい打擲音。気のせいだろうか――先程より叩く音数が増えている。あの中に、複数、居る。
『我らはポスト・ヒューマンの力を手に入れた者達の務めとして、奴らと戦わねばならない。ポスト・ヒューマンたちですら封印するだけで倒すことが出来なかった相手だ。戦力のコマは多いほうがいい』
『矛盾しているぞ! じゃあなんで騎士団のみんなを――殺したんだ!』
『俺にあっさり殺されるようでは、奴らの相手は務まらない。演算機関と重力制御機関を俺が有効活用したほうが勝率が上がる。だがナツキとローラ、お前たちは中々強い。俺とともに奴らと戦え』
なんて、身勝手な――! 弱いから殺した? 俺とともに戦え!?
『誰が、お前の言うことなんて聞くものか!』
『ローラは賛同してくれた』
空っぽの笑顔のローラは、ただ頷いた。
『――嘘だ! 大体、さっきから奴ら奴らって――一体何と戦うっていうんだよ!』
『決まっている』
完全に諦めて、心折れた者の声で、しかし表情だけは静かなまま、ヒソカは答えた。
『〝不罪通知〈アブセンシアン〉〟。ポスト・ヒューマン達はそのように呼んでいた』
響きだけで鳥肌が立つような、呪いを引き寄せるような――それこそが絶対なる『敵』の呼び名であった。
『ナツキ。お前もモノリス・ポストに触れろ。そしてポスト・ヒューマン達の遺志を聞け』
副団長――ローラは相変わらず。ナツキは無力感に呑まれかける。このまま〝あちら側〟に行ってしまったほうが、楽なのでは? 二人を相手にして自分が勝てるわけがない。諦めてしまっても責める者はこの場には――
『ナツキ。団長の――いえ、元団長の言葉に耳を傾けてはいけません。私がアクセス可能などの深度のデータベースにも〝不罪通知〈アブセンシアン〉〟なる項目は存在しません』
トライは機体のFCSをハックすると、ヒソカにぴたりと標準を合わせた。
『引き金を引いて、それでおしまいです。何故だか知りませんがアルティメット・カブから降りている今しかチャンスはありません。死んでいった仲間の仇を、ナツキ』
叱咤するようなトライの声に、ナツキは我に返る。そうだ、奴は敵。取り敢えず排除してから副団長のことは考えればいい。
ナツキは、引き金を――
『ガブリエル』
ローラが名前を呼んだ瞬間、それまで完全に機能停止していた配送機ガブリエルは急激に作動状態へと移行、オレンジ色のパワーラインの残光の尾を引きながらトライに全力で体当たりを仕掛けてきた。
『なっ――!?』
完全に組み付かれた。重力制御で振りほどこうにも距離が近すぎてうまくガブリエルだけを排除できない。ガブリエルはそのままスラスターを全力噴射。相対論的ジェットの眩い光が偽の月の永久影を照らし出す。
頭上には、ナツキ達が落ちてきたと思しき穴――テレポートする際の〒空間ゲートが存在していた。そこへ向けてガブリエルはトライを抱えたまま上昇していく。
『離せ、このっ』
『ナツキ。このままここから離れて。手遅れになる前に』
『――副団長!?』
目の前のガブリエルからローラの――正気そのものの声が聴こえてきた。トライが視界をズームする。今や遥か下方。超巨大郵便ポストの根本で揉み合うローラとヒソカ。ミネルヴァに搭乗しようとするのを邪魔しているのか。
『演技だったんですか? じゃあそう言ってくださいよ心臓に悪いんだから……』
ナツキは安堵のあまり涙が溢れそうになるのを慌てて抑えた。だが、その喜びを打ち消すようなことをローラは言った。
『いいえ、残念ながらあれは演技ではないわ。もう時間がないからよく聞いて、ナツキ。私は、ミーム汚染された』
――ミーム汚染?
『あのモノリス・ポストに触れることで感染する。ミームに侵襲される瞬間に気付いてガブリエルのインカンに自我を退避させたけど、遅かった。私の肉体はもうミームに乗っ取られている。そして、ガブリエルと一緒にいる私も徐々に汚染が始まっている。今は汚染された部分を次々と物理的にパージして凌いでるけど、計算資源がどんどん減っていってるから〝私〟を維持できなくなるのも、もうすぐ』
『あの、副団長、何を言って』
『口を挟まないで。仕掛けられたミームは単純、〝不罪通知〈アブセンシアン〉〟と何を犠牲にしてでも戦おうとするようになる。未来予知が可能なポスト・ヒューマンが、自分たちの後に現れる愚かな後追い人に仕掛けた罠』
二機は空間の穴を突破、郵政庁舎の地下施設に戻ってくる。だがそれでもまだガブリエルは噴射を停止せず、天井をぶち破ってゆく。
『団長は完全にミームに呑まれている。もう肉体の死すら意味がなく、意志そのものが実体化して動いているような状態。だから貴女がさっき撃っても無駄だったの』
地上の庁舎に到達。建物を破壊しながら外に飛び出す。
だが――なにか様子がおかしい。
『ヒソカは今、完全にポスト・ヒューマンの遺志そのものになっている。だから、遺産を動かすのも訳がないってわけ。貴女に撃たれそうになった時、死ぬ可能性は限りなく低いけど万が一でも自分が遺志を遂行出来なくなった場合の予備プラン――切り札を発動させた』
破壊された庁舎――その表面が、赤い。
ポストが……生えている!!
トライの全周囲視覚が今世界に起こりつつある事を伝えてくる。
『ポストのテレポート網を封鎖して不罪通知の通り道を消す。そしてポストの無限増殖の結果による地球恒星化で、月諸共不罪通知を灼き滅ぼす』
赤い。
赤い。
赤い。
帝都が、日本が、世界が。ポストに埋め尽くされていく。まるでスパムメールだ。数億? 数兆? 数京? 単位など最早無意味と思えるほどのポストポストポストポストポスト!! 建物の表面に、海の底に、森の合間に、ポストが増殖していく。
その終末黙示録的光景はまさに、ポストカリプス――!
『なんとか、肉体の方の私が地球恒星化なんて馬鹿げた行為は止めてみせるわ。でも多分ヒソカを倒すことは出来ないから、それはナツキに託す』
『そんな――私に託すって!』
『貴女もミームの欠片を受信した可能性がある。だから貴女を冷凍処置して、徹底的に除染する。青ポストの中がいいわね。あそこはこういう緊急事態の場合でもスタンドアロンで接続可能だから』
ガブリエルが、トライを手放した。トライはすぐさま自力で重力制御し空を飛ぶが、ガブリエルは墜ちてゆく。
『トライ! ガブリエルを拾って!』
『出来ません。現在私は一時的な副団長権限下にあり、貴女を青ポストまで連れて行くことが第一優先事項となっています』
『そんな……!』
『いいの。もうこうやってことばを喋るだけでせいいっぱいだから』
重力制御もままならず、ガブリエルは翼をもがれた天使の様に墜落し、すぐにポストの津波に呑まれて見えなくなった。
通信だけが、辛うじて届く。
『なつき。かなしまないで。いつものあなたのままでいて。げんきにわらっていて。そんなあなたが、いちばんすてきで、つよいから』
『ローラ! ローラ! 返事をして! トライ、今すぐ引き返せ!』
『あなたが、めをさますじょうけんをせっていしておくわ。よくきいてね。
それは――』
「それは――なんだよ」
急に黙ってしまったナツキに思わず訊き返す。これまで一切口を挟めずただ圧倒されて聞き入ってしまっていた。
だがナツキから返事はなく、横を見ればこっくりこっくりと船を漕いでいた。こいつ――。
「トライ、続きを話せるか?」
『ナツキの許可無しではできかねます』
「そうか……」
俺は郵星を見上げる。どう見ても、それは一つにしか見えない。二つの月? モノリス・ポスト? 不罪通知? どれも信じ難い。
だが俺が秘密を差し出す代わりに、ナツキが喋ってくれたこの話がホラだとは、俺にはどうしても思えなかった。
「……また、秘密と引き換えに今度訊いてみるか」
俺は呟くと、ナツキと肩をくっつけたまま眠りに落ちた。
『あなたが、めをさますじょうけんをせっていしておくわ。よくきいてね。
それは、まだいきのこっているほかのきしだんのだれかがあなたをみつけたときよ。
なかまといっしょに、ひそかをたおして』
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文化とは、人類という無垢の布地についた頑固な染みのようなものだ。洗って薄くなっても、消え去ることはない。数京個のポストに呑み込まれ、文明が一度崩壊したポスト・ポストカリプス世界。世界は均され、漂白化されたように見えたが、各地に根強くかつての文明の名残がある。
ここはモスクワ。300年前まではソヴィエト・ロシア二重帝国の首都だった街だ。現代では東欧どころかユーラシア最大級の都市であり、大陸横断の貴重な移動手段、『シベリア郵便鉄道』の始発点でもある。
「おお! あれこそはAPOLLON本部が入居するクレムリン宮殿! サハラ支部勤務だったので、一目見たいと思っていたのだ!」
かつて長らくロシアの執政庁として広く知れ渡っていたクレムリン宮殿は、名前だけはそのままだが今は全てポストの赤色に染まっている。赤の広場が文字通りの場所になったのは、少しも面白くない歴史の皮肉であった。
ポスト・ポストカリプス世界で最も身近に存在する建材と言えばそれはもちろんポストである。人々はポストで家を造り、ポストに囲まれながら生まれ、死ぬ。人類はポストによって存亡の淵に追い込まれたが、ポストから齎される恵みで破滅の一歩手前で踏み止まっている。
どの家も赤いが、一部の好事家や金持ちは貴重な塗料を消費して家を塗りわけており、街の風景にささやかな彩りというものを加えていた。遠くに見える段々畑は、スーパーカブ畑だ。
「APOLLON本部なんて行かねえぞ俺は。配達員〈サガワー〉の営業所に向かう」
撤去人〈ユウパッカー〉が所属するAPOLLONは超国家的組織だが、配達員もまた国家に依存しない組織である。と言っても撤去人ほどガチガチの規則や法に縛られているわけではなく、緩い相互扶助を目的とした組合のような物であるが。
かつてのモスクワがどのような街並みだったのか最早知りようもないが、現在は碁盤上に整備され、目抜き通りは幅広く、撤去人たちの努力により地面にポストは一本も生えていない。行き交う人々とスーパーカブの群れ。撤去人共は気に食わないが、歩きやすいのは実際助かる。
「ああ? モスクワのような大都会にも貴様ら配達員のしみったれた営業所があるのか?」
「大都会だからあるに決まってんだろ少しは考えて物を喋れよこのモヒカン」
ピリピリしたやり取りをかわしながら、営業所に向かって歩く。結局タグチはぶつぶつ言いながらも俺達に付いてくるようだった。ナツキは鼻歌交じりで周囲の光景を物珍しそうに眺めている。
「ねえねえヤマトくん。なんだかいい匂いがするね」
「ああ。屋台街か。誰かさんが朝に残った食料全部食っちまったせいで飯抜きだったしちょっと食べていくか?」
俺は半眼でタグチを睨みながら提案した。やったーと無邪気に喜ぶナツキ。子供か。一方俺の当てこすりにタグチは目を剥いて反論してきた。
「吾輩が開けたポストから出てきた食料を吾輩が食べて何が悪い! 貴様ら配達員のルールではポストを開けた物が中身を独占できるのだろうが」
「まあそうだが、貴様らには人権がないとかほざいておいてよく言うぜ……。あとそのルールは中身から出てきたものをきちんと処理することって但し書きもつくからな?」
俺は目についたロシア料理屋台で、ピロシキを二つと少し考えてからビールを二杯注文した。代金を払う。ちなみにポスト・ポストカリプス世界の共通通貨は、切手の形をしている。詳細な原理は不明だが、これを適当な紙に貼ってポストの中に入れると、中から額面に見合っているのか見合っていないのか曖昧な物資が出てくるのだ。ただ切手自体もポストの中からしか見つからないので結局全てポストに依存していることになる。
「お昼からお酒! いいね!」
ナツキは嬉しそうだ。
「あれ? でも未成年が飲んでいいの?」
「いやがっつり成年だから。初めて会った時も俺のことを少年呼ばわりしてたけどそんなに子供っぽく見えるか俺?」
「うん。すごい童顔」
かなりショックだった。確かにこれまでも遠回しに人から指摘されることがあったがこうも真正面から、しかも異性に言われるとは……。タグチは横でガハハと笑いながら自分の分のピロシキを注文していた。朝あんだけ食ったのにまだ食うのかこいつ。
「あいよ! 奥さんと仲良く食べな!」
屋台のおばちゃんが差し出してきたのは顔の半分くらいはありそうなバカでかいピロシキだった。そしてビールは缶に入ったもので、銀地に黒で『曙光』を意味するポストカリプス前の表音文字が書かれている。ポストの中から良く見つかる、かつての日本で最も親しまれていたというビールである。
「えっ――これがこの時代のビールなの……?」
奥さんだって! とケラケラ笑っていたナツキは缶ビールを見て物凄く複雑な顔をした。
『ポストの中の物資を利用している文明ですからこういうこともあるのでしょう』
何故かトライが慰めるようなことを言った。何か地酒的な物を期待していたのだろうか? だとしたら悪いことをしたかもしれない。
ともあれ熱々の肉汁迸るピロシキは中々の美味だった。歩き食いするにはデカすぎるのが難点だったが。中の具材も勿論ポストから採集されたものだが、意外とポストの中身というのは地域差みたいなものが存在し、別の場所では中々お目にかからない物もあったりする。だからこそ俺達配達員が重宝される訳だ。モスクワが現在も栄えているのは周囲のポストから採れる物資の種類の豊富さが一因でもある。
「肉汁あっつぁ!!」
タグチが思いっきり吹き出した肉汁で口の中を灼かれているのを、ナツキが指を指して爆笑している様をうんざりと眺めながらしばらく歩くと、配達員の営業所に到着した。配達員の営業所は真っ青に塗られているので、どこの街に行ってもまず見つけるのに苦労することはない。
「そういえばここに何しに来たの?」
「シベリア郵便鉄道に乗るのにはもちろん金がかかるからな。軍資金の調達と、後は銃弾とかの補給……スーパーカブも買っておきたいし。あとはナツキ、お前の服もだ」
今は俺のコートを着せているからそんなに目立ってはいないが、病人服のままなのはいい加減辛いものがあるだろう。
「換金出来るもの、あるの? はっ、まさか私を売るつもり?」
んな訳あるか。
「貴様――婦女子の売買など吾輩の目の前で行ったらどうなるか分かっておろうな!?」
「お前は黙れ」
営業所の中は雑然としており、青いコートの配達員たちが忙しそうに行き交っていた。役所と雑貨屋を足して割ったような雰囲気だ。俺は二人を待たせると、受付に向かった。
「配達員、ヤマトだ。認証用シグサガワーはこれ」
「お預かりします。少々お待ち下さい」
受付嬢はそう言ったが、少々ではない時間待たされた。配達員の組合は外部には秘伝としている独自の方法で、一部の野生化配送システムネットワークの馴致や再家畜化に成功しており、それを利用した世界的通信網を所持している。APOLLONやその他の実力ある国家とも対等に渡り合えている理由はこれが大きい。ただ家畜化された配送システムは野生のものと違って怠けるようになるのでレスポンスは絶望的に遅く、今回も銃のシリアルナンバーと紐付けられた俺のIDを検索するだけで時計の針が結構な角度を移動した。
「お待たせしました配達員ヤマト・タケル様――おや? 三日前に西サハラ営業所で登録されていますね。なにかの間違いでしょうか」
「いや、間違いじゃない。色々あって三日でモスクワに着けたんだ」
「まさか、ポストを使ったテレポートを行ったのですか? よくご無事で」
「運が良かったよ。それで移動する際に色々失くしちまったから金を借りたい。後補給も」
「ヤマト様はBランク配達員なので審査無しで組合の基金から借り入れが可能です」
俺は細々としたやり取りを受付嬢と交わす。だから気付けなかった。
暇を持て余したナツキが営業所の外に出たことに。それを遠くから眺める者がいたことに。
「おやおや。おやおやおやおや。あれに見えるは郵聖騎士カネヤ・ナツキちゃんじゃないか。1200四半期ぶりといったところか? 今まで何処で何をしていたのやら。懐かしいし挨拶でもしに行こうか、メリクリウス」
『血生臭いやり取りは勘弁ですよ、パトリック』
「やだなあ。ちょっとあそこで銃を乱射してみてナツキちゃんがどんな顔をするか見てみたいってだけじゃないか」
『はあ。まあ止めはしませんよ』
「冗談だよ! もちろん冗談さ! やだなあまるで僕がサイコパスみたいじゃないかそれじゃあ! ただおっかない団長と副団長から逃げ回るのにも飽きたし、久々に団員との旧交を暖めたいだけだよ僕は!」
『そうですか。じゃあ行きますか?』
「ああ。派手に行こう!」
金髪碧眼のその優男、パトリック・シェリルは晴れやかに笑うと、モスグリーンの迷彩柄のアルティメット・カブ『メリクリウス』に乗り込み、重力制御を開始した――!
6
ナツキはモスクワの街に入った時から、既にその粘着くような視線と乾いた殺気には気付いていた。トライによる機械的支援がなくとも分かる。それは300年前、戦場で訓練場で――或いは基地の廊下ですれ違う際にすら散々感じ取ってきた馴染みある気配だったからだ。
こちらが気付いていることに悟られないように振る舞っていたが、ますます強くなるその気配に対してついに我慢の限界が訪れた。ヤマトが込み入った手続きをしている間に、配達員〈サガワー〉営業所からこっそりと抜けだす。タグチはベンチで居眠りをしていた。
殺気の方向を、強く睨み返す。すぐに来るという、確信に近い予感があった。
果たしてその時。空の彼方で何かが光った――瞬間、周囲がまるで溶けたガラス越しに見たように、歪んでいた!
「おい、なんだこれ!? お前、なんか変だぞ!?」
「いやあんたこそ変に……!?」
「俺はなんともねえぞ!」
通りの歩行人やスーパーカブ搭乗者たちが困惑の声を上げる。周囲に迅速に広がる混乱。それもそうだろう。彼らはお互い同士が歪んで見えるが、自身はなんの異常もないと思っているのだから。彼らの視神経、水晶体、眼球――いや空間そのものが、まるで巨大なゼリーに棒を突きこんだかのようにグチャグチャに潰れているのだから。
空間膨張砲〈ハッブルディープカノン〉。配送機〈プレリュード〉メリクリウスに搭載されている、超絶の威力を持った〝銃〟。やはり、やつだ。パトリック・シェリル。あの戦争犯罪者。騎士団の汚点。快楽殺人者。変態。下着ドロ。脇が臭い。
『やだなあ! 後半三つは言いがかりだと思うよ!』
空から、声。
「気持ち悪すぎて思わず口に出しちゃった」
『んんーっ! それだよ! その憎まれ口が恋しかった! 久しぶりだねえ、ナツキちゃん!』
モスグリーンの巨大なスーパーカブが、上空50m程の高さに浮遊していた。周囲の歪みに捕らえられた人々が更なる困惑の呻きを上げる。
『いやあこの1200四半期というもの、このポスト・ポストカリプス世界で君の姿を求めない日は無かった!』
「ずっと起きてたのに、その頭の中身は治らなかったんだね」
『ふふふ。おっかない人たちと鬼ごっこをしてたからね!』
「ところで、この周りの人たちなんだけど――開放してあげてくれない? 私と話したいだけなんでしょ、おまえ」
『開放? 開放ね。いいよお、勿論! ――そら!』
キュゴンッ!
異音。
突風とそれに伴う高音――膨張し歪んだ空間が急激に復元する際に空気が立てた物だ。
「――おまえ」
『なるほどお! そんな顔するんだ、無関係で無実な無辜の民が何の意味もなく目の前でクソみたいな男に虐殺された時、ナツキちゃんはそんな顔をするんだねえ! また君のことが一つ知れて僕は嬉しいよ!』
空間の膨張速度は宇宙の物差したる光速に縛られないことを利用した、超光速の空間の膨張と復元が齎す回避不能の必終の一撃。巻き込まれた人々は復元の際の衝撃で素粒子レベルまでバラバラになり超光速粒子流となって地球から飛び去っていった。いずれどこかの惑星でガンマ線バーストとして観測されるかもしれない。1Km先まで抉れた地面と建物だけが後に残った。この破壊による混乱は特に起こらなかった。目撃者は皆死んだからだ。
『あれれ? 怒ったのにアルティメット・カブを出さないのかい? 久しぶりに手合わせをお願いしたかったのに、どうしたっていうんだい?』
じゅる、じゅる、じゅる。
およそ金属とは思えない奇っ怪な液体音! それはメリクリウスが人型に変形する際に立てる音だ! その機体表面の迷彩模様が不気味に蠢き、野放図に各所を走る白金色のパワーラインは刻々とその濃度を変える。
やがてカブの装甲やパーツが溶け合い、一塊のモスグリーン色の球体へと変態する。その様はまるで蛹か卵だ。球体表面に走るヒビに沿って『卵』が破れると――中から手足を丸めた配送機モードのアルティメット・カブが現れた。
『何人も、騎士団の庇護下において差別されることがない、と。うん差別することなく消してあげたんだよ、僕は。こんな変な世界で生きるのって大変そうだし』
メリクリウスは重力制御により音も無くモスクワの市街地に降り立つ。白いモノアイの中央に黒い『〒』マーク。その右手には空間膨張砲。爬虫類の皮膚の様に濡れて光る装甲。機体表面を毒々しく這いずり回る迷彩模様。
アルティメット・カブ『メリクリウス』は、カンポ騎士団の中にあって異なる機体だ。カンポ騎士団の――少なくともナツキは信じて戦ってきた――敵は、テレポートの際に障害となる『手紙の悪魔〈メーラーデーモン〉』と呼ばれる化物達だ。通常兵器では殲滅不可能な上級の悪魔達を相手にしていた。だがメリクリウスだけは違う。主として対人戦争に投入され、日本と同盟国たるUSBAの敵を屠っていた。故に、対人用の装備が豊富にある。
『まあだトリスメギストスを呼ばないのかい? それとも――呼べないのかな?』
銃口をナツキにピタリと合わせ、悪魔はまるで笑むかのようにモノアイを細めた。
――キュゴンッ!
その凄まじい破壊音は当然営業所の中にまで響き渡った。中にいた配達員達は全員一旦伏せた後、顔を見合わせると銃を構えて外に飛び出していく。
「おおお!? 何事だ!?」
ベンチから転げ落ちたタグチが慌てて起き上がるが、そこは腐っても撤去人、緊急事態を感じ取ると軍人らしい顔つきとなって皆に続いて外に駆けていった。俺も受付から自分のシグサガワーをもぎ取ると、装弾されているのを確かめて外に、
「おい、タグチ! 出口付近で立ち止まってんじゃねえ!」
出ようとして、硬くて広い背中にぶつかった。だがタグチは返事をしない。辺りを見渡すと異様な破壊痕。そしてタグチと同じように立ち尽くす配達員たち。彼らの視線の先には――
「ナツキ!?」
巨大な人型アルティメット・カブと、生身の徒手空拳で戦うナツキの姿があった!
「おいおいおい何やってんだよあいつ!?」
繰り出される圧倒的大質量の掴み、殴り、蹴り! それら全てを最小限のステップで躱し、半身になって避け、上体を逸らしてやり過ごす! それはまるで人が華麗に飛び回る蝶を捕まえようと躍起になるような、あるいは羽虫を鬱陶しがってはたき落とそうとしているかのような様であった! これこそがテイシン・カラテ奥義、反重力の型である!
『まさか、まさか、まさかだよナツキちゃあん! 僕の重力制御圏を逆に利用して高速移動するなんて! やっぱり君はすばらっしい!!』
ねっとりとした喋りの男の声が響く。あのアルティメット・カブの配達員〈ポストリュード〉らしい。仲間割れに次ぐ仲間割れだな、おい!
「おいあんたら、何をぼさっと見てるんだ! 市民の避難とかナツキの――あの女の子への援護射撃とかしろよ!」
俺の言葉に、圧倒的理不尽を目撃して自失していた配達員達は我に返ると、行動を開始した。
「やめて! 早くここから逃げて!! メリクリウスとパトリックに勝てる訳ない!」
ナツキが敵の攻撃を必死に捌きながら叫ぶ。
「逃げられるわけ、ねえだろうが!」
俺は周りの配達員達と呼吸を合わせ、圧倒的格差の敵――メリクリウスに対して連続射撃を開始した!
「「「ハンコオネガイシマース!!!」」」
BRATAT! BRATAT! BRATAT! BRATATATATAT!!!
空中に赤い線となるほどに収束された安定超ウラン元素弾頭弾が秒間数百発叩きつけられる! 並のバケモノなら即死し、撤去人共のハイエースすら耐え切ることは厳しい圧倒的火力の奔流!
だが――!
『やだなあ。久しぶりにナツキちゃんと遊んでるのに無粋だよそれは』
弾はことごとくメリクリウスの周囲に展開する強重力場に捕らえられ、その背後へとすり抜けていってしまう! やはり重力制御できるような超常の相手に、ただの銃では……!
『君たち。ナツキちゃんのナイス表情を引き出す素材になってくれたまえ』
メリクリウスが、手に持つ禍々しき形状の筒をこちらに向ける。いかん、死んだ。これは死んだ。
長年の配達員としての勘が逃れられない終わりを直感させたその時、俺の視界の端に唐突に『〒』マークが浮かび上がった! それがターゲットサイトだと、何故か俺は即座に理解していた。そして理解と同時に引き金を躊躇なく引き絞る!
BLAME!
放たれたのはたった一発の弾丸。しかも明後日の方向へと飛んで行く。だがそれは過たずターゲットサイトに命中し――何もない筈の空間上で唐突に軌道変更して更に加速、メリクリウスの重力エンジンのメインパワーラインに突き刺さった!
メリクリウスの強重力場の〝穴〟を穿ったのだ!
『……なっ!?』
「えっ、ヤマトくん!?」
ナツキとパトリックの驚愕の声。もちろんその程度で揺らぐアルティメット・カブではない。だが全身を駆け巡るエネルギーパワーラインが一瞬点滅し、空間膨張砲の狙いが僅かに逸れた!
キュゴンッ!
俺達の僅か30センチ隣を破壊的空間渦動収縮の力が通り過ぎ、射線上にあったもの全てを無に還す!
「今のは、一体……」
撃った俺自身訳が分からず呆然と呟く。
『……まぐれ射撃で調子に乗ってんじゃねえぞカス虫があああああああああああああ!!!!』
吠え猛るパトリック、そして重力エンジン! ダークエネルギーの陽炎が瞬間的にメリクリウスを包み込む!
バシャバシャバシャ! メリクリウスの液体状装甲を突き破り、ハリネズミのごとく小型の空間膨張砲の砲塔が数十基展開した! その全てに白金色のエネルギーラインが接続され明らかに発射完全スタンバイ体勢!
その次の刹那、複数の事が同時に起こった!
順に見ていこう! まず遠距離から大質量弾頭が次々とメリクリウス周辺に着弾、爆発、破砕、道路陥没!
「ペリカン勲章保持者の吾輩が声をかければ本部戦力を動かすことも余裕よお! 見たか配達員ども! 見たか謎の巨大スーパーカブ! これが我ら撤去人の力だあ!」
クレムリン宮殿の方角! アルティメット・カブに負けないほど巨大な多砲塔戦車、グレート・ハイエースが全砲門から大口径榴弾を発射したのだ! 完全に意識外からのサドンアタックと崩れた足場に、さしものメリクリウスも動きが取れなくなる。
次! 俺は着弾とほぼ同時に連続する爆発の中足も千切れよと全力スプリントすると、ナツキを抱きかかえ逃走を計る!
『なにナツキちゃんに手を出してんだこのダボが!!!!』
背後からメリクリウスの腕が迫る圧力!
「ヤマトくん下ろして! 君が死んじゃうよ!」
『いえ、その必要はありません』
トライが冷静に言った。
「そうだ下ろせるわけねえだろ!」
『〝鬼〟が来たようですから』
「「え?」」
俺とナツキは揃って間抜けな声を上げた。
最後に起こった、決定的な事象。
『あ? クソ、もう追いつかれたのかよお!?』
それは、空から出し抜けに顕れた、もう一機の黒銀のアルティメット・カブ。
「あれは――?」
訝しむ俺の耳元で、ナツキが「そんな……」と小さく震えた声を出す。
「『ガブリエル』……!」
堕した天使は、11の下僕を従えながら、静かにモスクワに降臨した。
7
アイザック・ニュートンが優れた科学者として、観察と数式から万有引力の法則を発見し、己の著作「プリンキピア」にまとめたことは広く知られている。
だが彼は同時に優れた錬金術師でもあった。彼は錬金術で作り出した薬品を用いた瞑想、そして自作望遠鏡による月の観測から、もう一つの重大な発見を成し遂げていた。ニュートンはそれを「裏プリンキピア」に著したが、その事実は今日では隠蔽・忘却され歴史の闇へと葬られてしまっている。
それは「全ての物体は郵便をする力を持つ」という法則。郵便的特異点を迎えた種族ですら操れなかった電・弱・強・重に次ぐ、第五の力。彼方より来たりし者たちが消費し、欲する物。人類の遺伝子に刻み込まれた郵便番号の根源。
名を「万郵便力」という。
「ガブリエル……あれが……? だが確か聞いた話だと色が……」
「そう、アルティメット・カブ『ガブリエル』は白銀の機体――だった。でもあの曲線が多用されたシルエットと、なによりあの11個の人工マグネター。間違いない、あれは、ガブリエルだよ」
ナツキの白い肌から更に血の気が引いてゆく。更にナツキは僅かに震えだした。
「降ろして、ヤマトくん」
そんな気弱げな様子とは裏腹に断固たる口調で、ナツキは言った。
「副団長と、話さなきゃ」
「却下だ」
俺は深呼吸と同時に血液分配モジュールを最適化し、身体中の隅々にまで新鮮な酸素を取り込むとスプリントの速度を一段と上げる。グレート・ハイエースによる空爆のごとき砲撃は未だ継続中であり、この爆煙に紛れて離脱を図るつもりだった。
「この前聞いた話が嘘でなければ、あれはもうナツキの知ってる副団長ではなくなってる」
『ナツキ、ヤマト様の言っていることが正しいです。ガブリエルからの敵味方識別郵便番号は発信されておらず、さらに言えば重力制御すら行っていません』
「えっ? でも今、空から……」
『インカン状態の私では計測不能な、なんらかの力によるものと思われます。ただいま解析中です』
当然この時の俺達はまだ知らない。あのダーク・ガブリエルを動かしているエネルギーの正体を。郵子力を、知らない。だがそれが超常の何かであることだけは、明白だった。
「――っと!」
キュゴンッ! 俺が跳躍する寸前まで居た地面を、歪曲空間が射抜いた。
『おやおや。逃げるのはいただけないなあ』
ダーク・ガブリエルを無視してあくまでナツキに狙いを定めるパトリック。ストーカーかよこいつは。
『まあせっかくナツキちゃんに会えたんだし、連れて行くよねやっぱり。副団長は恐いから逃げるけども』
言葉だけは飄々としているが、声の響きには焦りが見て取れた。やはりダーク・ガブリエルに対して最大限の警戒を払っているようだ。だが、肝心のダーク・ガブリエルは空中に静止したまま動かない――いや。
「なんだ、あれ――」
ダーク・ガブリエルの周囲の空間が、〝食われていく〟。他の表現方法が思いつかない。咀嚼されるようにランダムな輪郭を見せながら、〝黒い光〟が拡がっていく……。
『解析結果、出ました』
トライだけがひたすら冷静だった。俺はそれに救われ、足を再度動かし始める。
『あの黒光は、〝真の真空〟です。全く別の物理定数による新しい宇宙です』
――真空の相転移!? だがそれを発生させるにはブラックホールをも超えるエネルギー源が必要な上、発生した真の真空は光速で広がるはずだ。確かに拡大を続けてはいるが、その速度はオーロラが広がるようにゆったりとしていた。
空間膨張砲による歪曲をも黒光は飲み込んでいくのを見て、ようやくパトリックも俺達を追いかけるどころではないと気付いたようだった。
『副団長、あなたどうしちゃったんですか? あのふざけた大郵嘯以降、団長にも会ったんですよ僕。彼も結構変わっちゃってましたけど、あなたほどじゃあなかったなあ』
全身からハリネズミのように砲塔が迫り出し、さらにその砲塔から砲塔が迫り出し――フラクタルな数百もの空間膨張砲全てにエネルギーラインが接続さていく。
『団長は人間をやめてましたけど、あなたはそもそも人間じゃないですよね?』
ダーク・ガブリエルは、応えない。ただ静かにモノアイをメリクリウスに向けると――全ての人工マグネターを発射した!
迎え撃つメリクリウス! 全ての空間膨張砲から超光速の衝撃波を放つと、背中にマウントされていた巨大火器をアクティベートし、躊躇なく発射した!
あれこそが配送機メリクリウスの主砲、『鉄砲〈ステラコアカノン〉』! 巨大恒星の核融合の最終生成物である鉄を発射する単純な武器だが、その温度実に――一億度! プラズマ化した鉄は大気を灼き焦がしながら、歪曲した空間を縫うように迸った!
だが。
『――馬鹿な!?』
如何な破壊力を有していたとしても、それは〝この宇宙〟の中での事だ。異なる法則を持つ、別の宇宙である真の真空に触れた途端、プラズマ鉄は黒い粒子となって散った。
11個の人工マグネター群とダーク・ガブリエルは、メリクリウスを中心にそれぞれを頂点とする正二十面体を形成すると、お互いを超磁力線で結びつける。そして、
『おいおいおい。ふざけんなよ』
正二十面体の檻の中に、黒光が充ち始めた。
『副団長ォ! あなたは何を望んでんだ!? ただの処刑ならこんな回りくどいことする必要ねえだろうが! クソッ、メリクリウス! メリクリウス! どうした! 動け!』
パトリックは喚くが、ダーク・ガブリエルは一切反応を返さない。粛々と黒光により侵襲を続け――メリクリウスがエンジンブロックとコックピットを残すのみとなったところでぴたりと停めた。
パトリックは最早声も出せないようだった。随分とこぢんまりとしてしまったメリクリウスを、ダーク・ガブリエルは――丸ごと呑み込んだ。そんな機能は、機構は、存在しないはずなのに――ダーク・ガブリエルの頭部がバックリと裂け、生じた〝口〟にメリクリウスを取り込んだのだ。
「なに――あれ……」
ナツキが絶句している。俺はそちらを見ている余裕などなく、ただ一ミリでもあの化物から離れるために足を動かした。筋肉痛確定だな、これは。もし俺に明日が存在するならばだが。
『メリクリウスからの敵味方識別郵便番号ロスト。――ダーク・ガブリエル、離脱していきます』
トライの報告に俺はつんのめりそうになって、慌てて背後を振り向く。
11個の人工マグネターが今度は円環を作ると……そこに郵便ポストの中とよく似た景色が生じた。あれは――テレポートする際に通り抜ける、〒空間だ。だがあり得ない――郵便ポストの形をした物以外でのテレポートは理論上不可能なはずなのに。
ダーク・ガブリエルは悠々とその門を潜り抜け、姿を消した。人工マグネターも空間ごと〝裏返って〟後を追う。
結局、ダーク・ガブリエルはこちらを――ナツキの方に視線一つ寄越すことはなかった。
黒光も、徐々に薄れて消えていく。真空相転移を維持するエネルギー源を失い、再び宇宙が準安定状態に戻ったのだ。
「ローラ――一体何が、どうして」
あとに残されたのは、無惨に破壊されたモスクワの街並みと、呆然と立ち尽くすナツキだけだった。
8
メリクリウスとダーク・ガブリエルの襲撃から5日が経過した。攻撃を受けたモスクワの街区は急速に再建されつつある。破壊痕を放っておくと、そこから大量のポストが生えてきて街が飲み込まれてしまうので作業は迅速に行わなければならないのだ。
砲撃のクレーター内に既に顔を見せているポストの芽を丁寧に手で摘み取る。ポストの芽は未分化で無垢なマテリアルであり、利用価値が高いので機能を殺してから一夜干しにする。しかし何度も芽のうちに刈り取ると、ポスト側も深層学習により危険な高電圧ポストや毒ポスト、更には発狂ポスト等を生やして対抗してくるので注意が必要である。
芽を摘み取り、均した地面にハガキを敷き詰めてその上からアスファルトやコンクリートで舗装していく。ハガキ埋める理由は、原因は不明だがこうするとポストの成長を抑制できるからだ。『ハガキはポストの中にあるもの』と定義されているので、ハガキの上では成長が出来ないのではないかと推測されている。ちなみにハガキ自体もエピック級の資源なので、人類の生息可能域はこの300年間それほど増えてはいない。世界は未だに、ポストの物だ。
俺の隣を、痛酷な顔で写真が印刷されたビラを持って歩く市民が通り過ぎる。今回の襲撃の被害者の家族だろう。俺に責任があるわけではないのだが、見ていられなくなり黙々と瓦礫撤去の作業に戻った。モスクワの配達員〈サガワー〉たちも復興のボランティアに従事しているので俺も参加中なのだ。タグチはAPOLLONの方で撤去人〈ユウパッカー〉主導による復興に携わっている。
ナツキは、ホテルで待機している。自分も復興作業に関わりたいと申し出てくれたが、あのサイコ野郎がナツキを名指しで呼んで襲い掛かっているのは多数の市民により目撃されており、余計なトラブルに巻き込まれかねないと判断したからだ。
『ヤマト様。お仕事中に申し訳ございません』
急にトライの声が脳裏に木霊する。サハラで使用していた郵便用重力波通信ではなく、指向性超音波と共振による骨伝導交信だ。今の俺にはそれが分かる。あの『〒』型のターゲットマークによる射撃を行って以来、トライの操る超科学技術を〝思い出す〟ようになってきていた。
当然俺からは返事をすることは出来ないので、そのまま手を動かす。
『ナツキがホテルから脱走しました。私を所持していませんが、概念住所によって現在地は把握できています。メリクリウスとダーク・ガブリエルが激突した現場へ向かっているようです。残り300メートル』
「マジか」
そろそろ限界だとは思っていた。5日もの間ほぼ缶詰だし、犠牲者が出たのは自分のせいだと思いつめてもいたし、同行する俺はろくに慰めるようなことも言えないし。いっそ顔を隠して作業に従事させたほうが良かったか、等と後悔しても始まらない。俺は現場の監督に一言声をかけ仕事を抜けると、トライのナビに従ってナツキの方もとに急いで向かう。
が、一歩遅かったようだ。
「お前のせいでなあっ! 俺の兄貴がなあのバケモノに殺られたんだぞっ!! 分かってんのかおい!?」
怒声。それに続いて複数の罵声。まずいな、囲まれている。俺は路地の角を曲がり現場に到着する。ナツキが、6人の男に詰られていた。想定より多い。俺はコートの内側に吊ってあるシグサガワーの重みを意識する。
「おい、あんまり刺激するとあのバケモノがまた呼び出すんじゃ……」
囲んでいた男の一人が、激高しているリーダー格と思しき男にやんわりと言った。メリクリウス達をナツキが呼び出したことになってんのか。
「ああ!? 呼べんのか!? なら呼んでみろよガキィ……!」
興奮して支離滅裂だ。なにかあれば暴力にも訴えそうな剣幕だった。ナツキはただ俯いて雑言の中立ち尽くすだけ。長い髪に邪魔されて表情は見えないが、僅かに肩が震えていた。
「おいおっさん達、それくらいにしといたらどうだ? 相手は女の子一人じゃねえか」
声をかけた俺を、男どもがじろりと睨む。戦力評価モジュールが一人ひとりの脅威度をタグ付けしていく。俺のように複数箇所に身体改造を施したり高度な機能を持ったモジュール群を埋め込んだりしているやつはゼロだった。それでもこの数に襲われたら銃を抜かねば切り抜けられないだろう。
「ああ? 関係ないやつは引っ込んでろよ! こいつはなあ、あのバケモノ共を呼び寄せた魔女なんだよ……!」
「おい待てよ。あの配達員、確かこの白い女を助けてたやつじゃ……」
俺の顔も割れていた。これは予想外だ。出来れば血を流したくはないが……。ナツキの方を見ると、複雑な表情をしていた。
「おいナツキ、お前がこうやって面罵されてもなんの償いにもならないんだぞ。そもそも償う必要すらないんだからな、お前は」
俺は男たちを敢えて無視して呼びかける。
「なんで……来たの……」
ナツキが蚊の鳴くような声でぽつりと言った。想像以上に心折れてる感じだ。男たちはナツキを放置して俺を囲み始めた。
「お前は、ローラと約束したんだろ。どんな時でも笑顔でいるって」
俺の言葉にナツキは目を見開く。
「なにゴチャゴチャ言ってんのか知らねえけどよ、今すぐとっとと立ち去ってくれたら痛い目合わずに済むぞニーチャン」
男たちはめいめい壁に立てかけてあった角材を手に取ると凄んできた。俺はその場でぐっとしゃがむと、電位操作と血流操作で両足に最大限の力を溜めると――男たちの頭上を助走無しで飛び越えた! 治ったばかりの筋肉痛が再発するのは確定だぜこれは。
驚愕する男どもを後ろに、やはり驚いた顔をしているナツキの手を取ると、表通りに通じる狭い道へと一息に駆け込んだ。だが、
「通行止めだぞ」
迂闊だった。まだ仲間がいたのだ。路地の出口を塞ぐ格好で二人。女一人囲むのに八人も集めたのか――いや、それだけ怨みが深いってことなのかもしれない。身内を理不尽に失った男の気持ちも分かる。俺の脳裏に幼い頃の弟の笑顔が一瞬浮かんで沈んでいった。故にあまりこいつらを傷つけたくないが――
「ふざけた真似してんじゃねえぞガキ共!」
背後から追いついた男たちは、完全に怒り心頭な様子だった。手に持つ角材を振り上げようとする。俺がそれに反応して懐に手を入れたその時、大音声が割って入った。
「そこまでである!」
全員の視線が表通りの方に注がれる。逆光の大柄なシルエット。棘のついたアホみたいな服。そして何より目立つのはそのモヒカンだ。
「市民! そなた達の身内を喪った悲しみ、怒り、嘆き……計り知れぬ! だがそこな白い女性はあのバケモノ共と戦っていたとの目撃情報がある。其処な胡乱な配達員も女性を逃がそうとしていたと吾輩は聞いておる!」
モヒカン――タグチはそこまで一気に捲し立てると、バッと頭を下げた。
「撤去人中佐、タグチ・リヤがお願いする! どうかその者達を穏便に開放してくれぬか!」
男たちはざわついたが、やがて全員手に持つ武器を下ろし、バラバラとその場を離れていった。撤去人と事を構える命知らずは、ポスト・ポストカリプス世界にはそういない。リーダー格の男は最後まで俺とナツキをきつく睨みつけたままだったが、とにかく流血沙汰は回避された。
男たちが完全に去ったのを見届けると、タグチはふんと鼻息一発、いつもの傲岸不遜な態度に戻った。
「散々探しまわったぞお前たち! 余計なトラブルに巻き込まれおってからに!」
「その……すまない。助かった、感謝するよ」
俺は素直に礼を述べた。タグチは露骨に嬉しそうな顔をしたがすぐに表情筋を引き締める。
「勘違いするなよ配達員。吾輩は何も貴様を助けた訳ではない。ナツキには命を救ってもらった恩があるからそれを返したまでのこと」
「ありがとう、タグチくん」
ナツキもぺこりと頭を下げる。その声は心なしか元気を取り戻しているように思えた。
「それで、なんで俺達を探してたんだ? 事件の参考人としての証言は初日に散々しただろ」
丸一日徹底的な取り調べを受けたが一緒に戦った配達員たちの証言と、恐らくはタグチの口添えもあり無罪放免となったのだ。ナツキの正体と俺の出自は隠し通したが。
「ああ、うむ。お前たちは無罪となったが、厄の種であることは変わらないというのがAPOLLONの判断である。現にさっきも絡まれておったしな」
ぐうの音も出ない。
「それで、お前たちには穏便にモスクワから退去願うこととなった」
「国外追放か。元より目的地はヤマト朝廷だから別に罰でもなんでもないが……」
「うむ。それで吾輩が貴様らの監視役として同行することとなった!」
は?
「タグチくんが一緒だと心強いな」
ナツキが嬉しそうに言う。待て待て待て。
「なんで付いてくるんだよ!」
「あのような胡乱巨大兵器の出現はAPOLLON創設以来初の大事件なれば、吾輩のような猛者が調査として関係者と思しきお前たちをしっかり見張るのも当然のこと」
なにか問題が? と言った顔でタグチは言う。
「また三人で旅が出来て嬉しい」
『四人ですよ、ナツキ』
「ぬお、トライ殿もおったのか。挨拶が遅れてしまい申し訳ない」
『お気になさらず。今はホテルで留守番をしております』
「そうか。では早速出立の支度を整えるぞ! シベリア郵便鉄道の切符はきちんとAPOLLONが用意したので安心めされよ」
「楽しい旅行になりそうだね、ヤマトくん」
ナツキがにっこり笑ったあと、耳打ちしてきた。
「――助けに来てくれて、嬉しかったよ」
俺はため息をつくと、お喋りしながら先を行く二人を追って歩き出した。
9
自己増殖した数京個のポストにより、文明が崩壊してよりおよそ300年。一時は存亡の淵に立たされた人類だったが、現在はある程度の安定性を保って市井の人々は暮らしている。ポスト・ポストカリプス世界がまがりなりにも存続出来ている要因は幾つかあるが、シベリア郵便鉄道の存在がその主な一つであることは論を俟たないであろう。
大郵嘯〈ポスタンピード〉後、全ての国家が即座に崩壊した訳ではなかった。ポストは主に地上で殖えたので、地下インフラは無事な場所が多かったからだ。だが地下街や地下塹壕に設置されたポストを基点としてじわじわと人類は追いつめられていった。――このままでは人類は遠からず絶滅する。明日を憂う終末論でも、過去を嗤う陰謀論でもなく、今現在の問題としてその危機に直面した生き残り国家達は、坐して沙汰を待つのを良しとせず、なりふり構わない協力を開始した。未だ国家としての体裁を保てているうちに。余力があるうちに。文明が衰退し、人々の知性が後退してしまわないうちに。
ユーラシア大陸中の国家群が歴史上後にも先にも唯一団結して執り行った大事業、それがシベリア郵便鉄道建設である。技術を、資材を、人員を惜しみなく投入し、30年もの歳月をかけて大陸の東西を一直線に結ぶ総延長一万Kmにも及ぶその大鉄道は完成した。その間ポストに呑まれ幾つもの国家が滅び去り、建設事業団は統廃合を繰り返し、後にAPOLLONと呼ばれる超国家組織へと発展していくこととなる。
ハガキを使ったポスト成長抑制方法はこの大工事の最中に経験則的に見出されたものだ。最初期は金属分解ナノマシンを散布したり、プラズマ共振兵器で崩壊させたり、果ては熱核兵器を持ち出してまで無限に続くポストの海を開拓していったというのだから、先人たちの不撓不屈の精神には頭が下がる思いである。
全26両編成のその長大な車列は、かつてのソビエト・ロシア二重帝国の国旗の色である赤白青に塗り分けられており、秋のモスクワの深い青空と、地に満ちるポストの一面の赤に挟まれてなお堂々とその威容を晒している。
「おっきいね~」
ナツキが気の抜けた声を上げる。
『私も大きいですが? 今はこんな姿ですけど』
「? 知ってるよ?」
トライが謎の対抗心を見せた。貨物車両と運転車両を除いた客車は全て2階建てであり、こじんまりした家ほどの大きさがある。アルティメット・カブも確かに巨大で太古の巨神像を思わせる迫力があったが、二機の常温核融合炉によって泥臭く地を這うこの巨体は別種の圧力を放っていた。ちなみに常温核融合炉の燃料は鉄より軽い元素ならなんでも構わないので、空気を取り込んで発電を行う。そしてその強力な電力で常温超伝導磁石を励起させて浮遊し、最高時速およそ800Kmでポストの間をかっ飛んでいくのだ。
「あれ、あそこだけなんか赤い」
ナツキが首を傾げながら見つめる先にあるのは郵便車両だ。中はポストカリプス前文明に存在したと言われる『ユービンキョク』と呼ばれる施設を模した内装になっている。この車両が必ず連結されているのがシベリア郵便鉄道と呼ばれる所以だった。
「――そうだ、聞きたいことがあるんだが」
前から疑問だったのだ。『ユービンキョク』が何をする場所なのか。300年前の人間であるナツキならその答えを知っているのではないか。
「え、郵便局知らないの?」
俺の質問にナツキは目を白黒させる。そんなに意外か?
「郵便局はね――」
「おーい! お前ら早く搭乗手続きしに来んか! チケットは手配してやったが他の作業までは知らんぞ吾輩は!」
「今行くよ―! ヤマトくんも急がないと!」
ナツキの歩幅に合わせて歩きながら、俺は重ねて訊ねた。
「なあ、だからユービンキョクってなんなんだよ」
「これは宿題にしておきます。期限までに自分で考えをまとめてくるように」
「はあ? なんだそりゃ」
それから何回か尋ねても「宿題」の一言でかわされてしまい、そこまで詳しく知りたかった訳でもないので俺はすぐに諦めた。
タグチに急がされたが、それから搭乗開始するまで一時間近く寒空の下で待たされた。理由は貨物の積み込みの遅延だ。シベリア郵便鉄道の主賓は貨物であり、人はあくまでオマケだ。物資の豊富なモスクワから地方へと生活必需品を送り、代わりにモスクワ周辺のポストからは取れない物資を持って返ってくるのがこの列車の至上命題である。
待っている間にタグチは缶ビールからアルコールを抽出して作り出されたウォトカもどきを飲んで顔を真っ赤にして出来上がっていた。酒臭い息を吐きかけながら大声で絡んでくるタグチに辟易した俺とナツキは、搭乗待ちの列を抜けてホーム内を少し探索することにした。大郵嘯後に建てられたモスクワ駅第一ホームは、限りある非ポスト資材を用いて可能な限り豪奢に見えるように造られており、その白麗な佇まいは300年の歴史を感じさせるものだった。ナツキはしきりに感心して眺めまわっている。丸っきりただの観光客にしか見えない。
「昔のほうが立派な建物が多かったんじゃないか?」
俺の言葉に、ナツキは分かってないなあこいつはという顔をして答える。
「分かってないなあヤマトくんは。そりゃ確かに積層建築都市とか発芽型DNA制御ビルディングとかの方がずっと複雑で大きかったけど、歴史の重みが違うよ重みが。私にとってここは300年後の未来なんだから、見るもの全部新鮮で楽しいよ」
俺からしたら逆で、ナツキの語る言葉は全て300年前の歴史的、いや神話的内容として聴こえるのだが、それを言ったらまた分かってないなあと返されそうなので黙っておいた。
そうやって二人でぶらぶらと歩いていると、いつの間にかホームの端にまで着いてしまった。ポストボタ山の上に建つモスクワ駅からは、市内の様子が一望できた。まだ破壊の爪痕生々しいが、そろそろ夕餉の時刻、街のそこかしこでは炊爨の煙が立ち上り、仕事帰りの人々の陽気な声が雑踏から聞こえてくる。
「ダーク・ガブリエル……また俺達の前に出てくるかな」
俺がぽつりと漏らしたその一言に、ナツキは一度俯き、だがすぐに顔を上げて陽気に言った。
「その時はまたヤマトくんに守ってもらうよ!」
「それは勘弁ねが――」
「それは勘弁願いたい?」
俺とナツキは黙りこんだ。突然、俺のセリフに被せて第三者の声が背後から聞こえてきたからだ。
「変わってないねえ、その性格」
俺はナツキを咄嗟に背中にかばいながら、後ろを振り返る。
そこには奇妙な男が立っていた。
何をどう表現すればいいのかすら分からない、まるで認識能力の落とし穴のような男だ。その穴は底無しで、認知という水が音もなく吸い込まれていく――。
いや、こいつは見覚えがある。
確か、名前は、
「あれー!? 僕のこと忘れちゃった? やだなあ、マナカだよ。マナカ・タダナオ!」
そうだった。何故こんな特徴的なやつを忘れていたのだろう。こいつはマナカ・タダナオ。俺の知り合いだ。
「なんだ、お前か……急に声をかけてくるから驚いたぞ」
「ごめんごめん。後ろの子は、ナツキちゃんって言うんだね。はじめまして」
人の良さそうな笑みを浮かべて、マナカは挨拶した。ナツキはボーッとマナカの顔を見つめていたが、どことなく困惑した感じでぺこりと頭を下げる。
「そろそろ列車が出発する時間だから呼びに来たんだよ、一緒に行こう」
「あれ、もうそんな時間か。悪いな、マナカ」
――?
なんだろう。何か、違和感が。
横を見る。知り合いのマナカが当然のようについてきている。
そうだった。俺達は4人でヤマト朝廷まで行く約束をしていたのだ。
何もおかしなことはない。耳元で何かうるさい声が聴こえる気がするが、ここ最近の疲れから来る幻聴だろう。シベリア郵便鉄道の客車、それもAPOLLONが取ってくれた一等客車はホテル並みの設備が整っている寝台列車だ。ゆっくり休めばこの違和感も消え失せるだろう。
マナカ・タダナオは、俺とナツキを眺めながら、笑顔を深めた。
10
モスクワから既に二時間以上走っているというのに、コンパートメントの窓から見える景色は一面憂鬱なポストの原だった。かつて存在したとされるシベリアの広大なタイガは全てポストに置き換わってしまっている。遠くに赤黒く霞んで見えるのはシベリアンポスト山脈。鉄道を開通する際に撤去されたポストの残骸の上にポストが生え、自然崩落してはまたポストが生え……という工程が二百年以上に渡り繰り返された結果、シベリア郵便鉄道と並行するように1000メートル級の山脈が出現してしまった。
「はいアガリー」
さっきからやっている、ナツキから教えて貰ったポストカリプス前文明のカード遊戯、ババ抜きはナツキの圧勝が続いていた。
「このゲームには何か必勝法でも存在するのか……?」
俺は唸りながら再び配られたカードを手に取る。タグチは早々に酔って眠ってしまったので、俺とナツキとマナカの三人で遊び耽っていた。
「あったとしても教えなーい」
一等客室は三メートル四方という列車のサイズから考えれば破格の広さで、中の調度も高級品とまではいかないが整っている。2階建ての車両をぶちぬいているので天井は高いが、建材に練りこまれた発光素子と増光素子が照明を賄っているため部屋の中に影はない。
「ナツキはそういうところは昔から変わってないねえ」
とマナカ言った。俺はこいつにも負け続けており最下位を独走中である。
「ん……? 二人ってさっきが初対面じゃなかったか?」
「ああ――そうだったね。なんだか初めて会った気がしなくってさ」
曖昧な顔に曖昧な笑顔を浮かべたマナカから、俺はカードを引き抜く。げえ、ジョーカー!
俺がジョーカーをナツキに引かせようと一枚だけさり気なく突き出したその時、列車が短いトンネルに突入し、気圧差で耳鳴りが発生した。耳鳴りどころか、まるで頭の中で誰かが怒鳴っているかのような感じだ。横を見るとナツキも頭を抑えていた。
「おや、二人とも大丈夫? なにか飲み物でも買ってこようか?」
耳鳴りが酷くてよく聞こえないが、俺はとりあえず頷いた。
「じゃあちょっとこれを借りるよ」
マナカはナツキの首からぶら下げている物をひょいと取ると、そのまま客室から出て行く。ますます強くなる耳鳴りに俺は頭を抑えてうずくまることしか出来ず、ナツキがマナカの後を追おうと立ち上がっては座る、その混乱している様もどういうことか理解する余裕はなかった。
マナカ・タダナオは、〝この世〟の人間ではない。
全人類がその二重螺旋に宿す郵便番号、概念住所を世界で唯一持たない存在である。概念住所を持たないということは、あらゆる郵便――即ち情報のやりとりから無視されるということだ。事実、生物学的なマナカの母親は自身が妊娠した事実にすら気付かずに臨月を迎え、出産した。幼少期をどうやって生き延びたのかマナカ本人にすらその記憶はないが、物心ついた時には既に郵政省の研究所で育てられていた。
〝突破した者達〟のテクノロジーを解析し、それを再現するだけの能力を持った郵政省ですら、マナカの正体を把握出来なかった。何故、万人が持つ郵便番号が遺伝子に刻まれていないのか。何故、それでも生きていられるのか。そこに関わっている力とは何か――。
調査が終わる前に第四次環太平洋限定無制限戦争が勃発し、マナカはその特性を買われて諜報員として戦いの裏で暗躍した。だが郵政省は途中から敵性国よりも、謎の敵との戦いに重きを置くようになっていく。ポストを用いたテレポートをする際に襲い掛かってくる存在、『手紙の悪魔〈メーラーデーモン〉』である。そしてその謎の敵すらマナカを無視した。故に彼はカンポ騎士団の郵聖騎士として叙任され、アルティメット・カブ『ツァラトゥストラ』の配達員〈ポストリュード〉となった。
「久しいね、トリスメギストス。なんでそんな姿になってるんだい?」
マナカは手に持つインカンに話しかける。
『ナツキ達にかけた暗示をとっとと解け、このユウレイ野郎!』
電磁波、重力波、音波、念波、ニュートリノ、あらゆる波長で最大出力の警告音を鳴らしながらトライが言った。ナツキやヤマトの頭痛の正体はこれである。
「口の悪さは直ったはずじゃなかったの? あとうるさいから少し声落としてくれないかな」
マナカが顔を――顔、と呼んでいいのかも分からない曖昧模糊な物をしかめながら言う。
情報を発しても何も返してこない存在は、一般的には虚無として扱われる。だがマナカ自身には意識が備わっており、その虚無から情報を発してくる。すると人の意識はどうなるか。虚無の中に確かに存在する〝何か〟を、この世の物とは違うレイヤーに立つそれを理解しようとして、自らの認識を歪め出す。自分が理解できる存在を一から想像して、それをマナカという虚無に被せることによって深淵に飲まれることを避ける。いわば精神の自衛作用だ。
「だから別に俺が暗示をかけてる訳じゃないんだよ。不可抗力ってやつでさ」
『ツァラトゥストラの演算能力を借りれば仮初の〝皮〟を被れたはずだ。そうせずに近づいてきたということは貴様は俺達に対して何らかの害意があるとしか見なせん』
現在機体を失ったAIであることが幸いして、トライはその〝不可抗力〟を受けなかった。トライから見た――いや〝見えない〟マナカは喋る時だけ水面に顔を出す魚のように感じられる。黙ると――情報の発信を止めると、水面は波一つ立てずに凪ぐのだ。
「ああ、ツァラトゥストラ。あれはもうない」
『……なんだと?』
「俺もあのポストカリプスが起こった時に休眠についたんだ。ただ概念住所を持たない俺は〒空間に入ることが出来ないから地殻の中でね。で、しばらく経ってからツァラトゥストラの警告で目を覚ましたんだけど、目の前に黒いガブリエルがいてさ」
『ダーク・ガブリエルと接触したのか!?』
「うん。それで俺は相変わらず無視されたんだけどツァラトゥストラだけは持って行かれちゃったよ」
ツァラトゥストラはマナカの特性に合わせた隠密性特化型機体だ。その休眠モードを見つけ出すとは、普通のアルティメット・カブには――あのミネルヴァにすら不可能なはずだった。サハラでトライ達がミネルヴァに襲撃されたのは重力エンジンを派手に吹かしてしまったのが原因だ。
そこまで考えて、トライは気付く。モスクワでメリクリウスに襲われた理由は、まさか。
「そうだよ、俺がパトリックにナツキちゃんたちの情報を流してあげたの」
『――貴方は、何がしたいのですか。何を目的に動いているのですか』
「お? 冷静になった? 俺の目的なんて昔から一つさ」
マナカは変わらぬ調子でそれを口にした。
「この、何もかもが『郵便』と紐付けられた狂った宇宙から逃げ出して、俺本来の居場所に戻ることだ。
郵西暦から郵の字を取り払った、本来の世界線にね」
11
『……発言の真偽不明。回答を保留します』
「あれ、信じてない? データベースに載ってないから? 俺がここで嘘をつくメリットがないことくらい分かるだろ」
人型の虚無は嗤う。
『人類と郵便は切っても切れない関係です』
「そうだよ。本来の歴史でもそうだった。でも遺伝子や物理法則にまで影響を与えるようなものじゃなかったのさ。それが何故こんなことになったか。トリスメギストス、君なら分かるだろ」
顔のない顔にどこか愉しげな表情を浮かべたままマナカは言った。
『ポスト・ヒューマンですか』
「半分正解」
『……不罪通知〈アブセンシアン〉』
「そう、正解だよ! 俺たちが戦っていたメーラーデーモンの親玉達さ」
『マナカはどこでそれを知ったのですか? 貴方もミーム汚染されている?』
「いや、こんな体質だからね。覗き見し放題なんだ。郵政省も色々対策はしてたみたいだけど」
『何者なのですか、アブセンシアンとは』
「君たちはもう会ってるだろ? そのためにパトリックをぶつけたんだから」
『すみません、話が見えてこないのですが』
「察しが悪いなあ。いや、認めたくないのかな。あのダーク・ガブリエルがアブセンシアンだということを」
しばらくうずくまっていると頭痛は自然と収まった。
「あれ!?」
ナツキが悲鳴を上げ、泣きそうな顔で全身をまさぐったあと、床に這いつくばり調度品の下を覗き込み始めた。
「どうした?」
ついには未だ爆睡中のタグチの服の中まで調べようとしだしたのを見かねて俺は訊ねた。
「あ、ヤマトくんトライ見かけなかった!?」
「トライ……?」
そう言えばナツキの首からぶら下がっていたインカンが存在しない。
「そういえばさっき持って行ってたぞ」
「誰が!?」
「え……いや誰だろう……誰かいたよな、さっきまで? 三人でババ抜きやってた形跡あるし」
「これはタグチくんとやってたんだよ?」
あれ、そうだったか?
「じゃあトライはどこ行ったんだ」
「だから探してるの!」
その時部屋の入り口をノックする音がし、続いてドアが開き乗務員の格好をした男が入ってきた。
「失礼します、お客様。お部屋の前にこちらの品物が落ちておりました」
手には銀色をしたインカン。捺印面には三つ巴の印章。
「トライ! 良かったぁ。なんで外にいたの?」
『まあ、色々ありまして。少し外の空気を吸おうかなと』
「お前自分で動けたのか……?」
それより呼吸してるのか?
「そろそろお食事の時間ですので、よろしければ食堂車までお越しください」
俺達がほっとしていると乗務員は笑顔……のような表情でそう言って退室した。
「トライどうしたの? ずっと乗務員さんの方見てたけど」
ナツキが首を傾げた。視線とか分かるのか。
『いえ。それよりもタグチさんをそろそろ起こして食堂車に行きましょう。ビュッフェ形式で中々美味しそうでしたよ』
トライの言う通り、食事は中々の物だった。もちろんポストの中身から取り出したものである以上、軍用レーションや保存食等が主なのだが限りなく「料理」に見えるような努力が施されていた。ポスト・ポストカリプス世界にはスーパーカブ以外の畑は存在しないし、家畜も絶滅したので生鮮食材という概念は存在しない。
「うむ。酒にあう味だったな」
「まだ飲むのかよ……」
食堂車で更に酒を買い込んだタグチを見て俺は呆れた。窓の外はもう暗い。秋のシベリアの日照時間は短い。所々光って見えるのは発光ポストだ。赤、白、緑、青。様々な色が楽しめる。ナツキはその不可思議な光景に夢中になってさっきから窓に張り付いていた。
トライはじっと黙って、先程のマナカとの会話をどうナツキに伝えようかと思い悩んだ。
『……やはり、そうでしたか』
「ヒソカ団長とも俺は会ってるから、あの大郵嘯で何が起こったのかは大まかに知ってるよ。ローラの肉体は地球恒星化を阻止して、ローラの精神とガブリエルは君たちを逃がした」
『……』
「君たちが知ってるのはここまでだと思うけど、その先があったんだよ。ローラがポストの無限増殖を停めた方法が不味かった。ポスト・ヒューマンテクノロジーに対抗するために、彼女は禁断の力を用いた」
『――モノリス・ポスト』
「そう、あれの封印を少し――ほんの一瞬だけ解いたんだ。そこから溢れた万郵便力は世界を書き換えた」
『万郵便力――? 世界を書き換えた?』
「この宇宙に本来はない、あってはならない物が存在するとどうなるか。宇宙は、物理法則は強い。本来なら存在を禁止された物は物理法則に押し潰されて消える。だが万郵便力は別の宇宙の確固たる法則だ。法則と法則が喰らいあって、宇宙は破れ、再編された。因果律は壊れた。
あの大郵嘯がきっかけで、全ての歴史が書き換えられたんだ。ある意味あれこそが、ビッグバンだった」
『私が確認不可能なのをいいことにデタラメを述べている可能性を排除しきれません』
「だから、騙してなんになるのさ。こうやって話してるのも俺の目的のためなんだから」
『では、私が信じたていで話を進めてください』
「慎重なやつだなあ。まあいいや。それで、俺はその改変に取り残されちゃったわけ。だからこの世界を戻して、元の世界線に帰りたいんだ」
『しかし貴方はこの世界で生まれたのでは?』
「そうだよ、小さい頃の記憶もある」
『矛盾しています』
「因果が壊れたって言っただろ。結果が原因なんだ。この改変を元に戻す方法は一つしか無い」
『むしろ一つだけで済むのですか、そこまで複雑な改変が』
「ああ、宇宙は強い。侵蝕している物を取り除けば修復力が働く」
『それはつまり、万郵便力の排除という訳ですか』
「そうだ。ダーク・ガブリエルを倒すことで、この世界は元に戻る。やっと本題に入れるな。
君達で、ダーク・ガブリエルを倒して宇宙を救って欲しいんだ」
12
シベリア郵便鉄道は、車体表面はナノマシン制御により自動で気流を最適化し、揺れも低級AI制御によってサスペンションが全て吸収している。リニア駆動なのでレールの継ぎ目を乗り越える振動などもなく、故に時速800Km近くで走る超高速列車に乗っているという実感はまるで分かない。ポストカリプス前文明の技術の名残である。
俺はこの鉄道に乗るのは人生で二度目だが、もう少し「列車の旅」感を演出してもいいのではないかと、以前と全く同じ感想を抱いた。
「ふあ……」
俺はあくびを噛み殺す。昨夜は中々寝かせてもらえなかった。ナツキに教えて貰ったカード遊戯の「七並べ」をずっとやっていたからだ。ナツキがババ抜きに続いて圧勝したが、意外な事にタグチも中々強く俺はまた最下位を一人独占して罰ゲームの酒の一気飲みや隠し芸披露などをさせられた。
明るくなっても窓の外は相変わらずポストの赤と雪の白。遠くに霞むシベリアンポスト山脈。勝景という言葉はポスト・ポストカリプス世界では死語である。奇景ではあるのかもしれないが。
大郵嘯によって元々人口密度の低かったシベリアは完全に無人地帯となった。未駆除のポストから湧出する怪物や肉食性配送システム群、あるいは剣呑な発狂ポストが徘徊するポストのツンドラは通常のスーパーカブによる移動では危険すぎ、シベリア郵便鉄道が唯一の移動手段と化していた。この鉄道がなければ、俺もヤマト朝廷から逃げ出すことなど出来なかっただろう。
変わらない憂鬱な景色のせいか――あるいは故郷が近づいてきているからか、俺の気分は優れなかった。
「おはよう、ヤマトくん」
床に転がって眠るタグチを跨ぎながら、ナツキが眠そうな声で挨拶をしてきた。
「おはよう、ナツキ。朝食を食べたらもう少しで終点だぞ」
「え、もう!? 鉄道の旅ってもう少しのんびりしてるんじゃ……」
「途中停車の駅もないし、夜間はずっと最高時速でぶっ飛ばし続けてたからな。一万キロの行程も15時間程度だ」
「何日か車中泊するかと思ってたよ」
「それなら荷物もっと持ち込むだろ。おい、タグチお前も起きろ」
足先でタグチの脇腹を軽く蹴ると、唸り声を上げながらむくりと起き上がった。
「むう……なんだもう着いたのか?」
酒焼けした声で辺りを見回していたタグチは俺の顔を見ると吹き出した。
「ぶふっ……いやすまぬ。昨日のお前のあの踊りを思い返すとどうしても……」
俺は黙って脇腹を再度蹴り上げた。だがタグチの強靭な筋肉は衝撃を苦もなく受け止めてしまう。
「さて、飯だったか。今朝は何が出るか愉しみであるな!」
タグチがボキボキと音を鳴らしながら柔軟を始めた瞬間の出来事だった。突然ドアがロックされ、窓も不透過処理が施され真っ黒になったのだ。
CRAAAASSSHHHH!!!!
続いて衝撃!
「うおおおおおお!?」
屈伸の体勢から踏ん張ろうとしたが堪えきれずタグチはベッドの角に後頭部を激しくぶつけ、床をのたうち回った。俺は即座にナツキを抱えテーブルの下に避難する。
室内灯が赤と青に明滅し、非常ベルが鳴り響く。明らかに緊急事態!
『ただ今当列車は発狂ポスト群による攻撃下にあります。姿勢を低くし、決して窓の外を見ないでください。象徴災害〈シグノ・ハザード〉に曝露する恐れがあります』
流石シベリア郵便鉄道の乗務員というべきか、アナウンスの声には些かの動揺も見られない。恐らく日常茶飯事なのだろう。
「な、なに発狂ポストって……」
珍しくナツキが怯えた声を出す。まあ確かに初めて聞いたら不安になるかもな。
『発狂ポストなるものの詳細は不明ですが、象徴災害兵器は戦時中にも存在し、郵政省も運用していました。唯我論的攻撃兵器です』
トライが淀みなく解説した。
「よく分かんないよぅ……」
「簡単に言えば『見たら狂う』だ。まあチラ見くらいじゃそれほどでもないんだが」
「いや分からないのは、動くポストってあるの? ってことなんだけど……」
『実際に襲われているのですから、存在するのでしょう。人類の臨機応変さを発揮してください、ナツキ』
トライが冷静に指摘した。
「トライは臨機応変すぎると思うな」
「うむ、戦闘ならば我輩も何か役に立てるかもしれんな。ちょっと乗務員にかけあってみるか」
頭をぶつけたダメージから回復したタグチが部屋の外に出ていこうとするのを俺は足払いをかけて止める。後頭部を床に強打し、タグチはまたのたうち回った。
「何をするか貴様ァッ!!」
「お前は話を聞いてなかったのか? 見たら狂うポスト相手なんだぞ。大砲撃ってはいお終いじゃ済まないんだ。プロに任せて大人しくしておくのもプロの仕事だろ」
「ぬぅ……」
プロという言葉が効いたのかタグチは大人しく床に臥せって頭を守る姿勢を取る。
「シベリア郵便鉄道の死亡事故確率は大体12%程度だから安心しろ」
「むしろそれを聞いて不安が高まったんだけど」
『10回乗れば凡そ72%の確率で遭遇し、30回乗れば99%死亡しますね』
「煽らないで欲しいなあ、不安」
そんなのんびりしたやり取りをしている間も間欠的に振動が列車を襲う。そして再度車内放送。だが先ほどとは声が違った。
『もしもーし。あれもうこれ繋がってる? あはは。いやあ、面白いもの見えたから俺だけ独占するの勿体無いし君たちにも見せてあげようと思って。左手をご覧くださーい』
なんだこのふざけた内容の放送は。
だが俺たちは困惑しながらも言われた通り、何故か不透過処理が解かれている窓から左手を――トライが『何を考えてやがるあいつ!』と叫んでいる――見た。
宇宙が何故広いかを考えたことはあるだろうか。人の頭は何故一つしかないのかと疑問を抱いたことはないだろうか。何故自分だけが特別なのだろうと思ったことは? そのポストはそれらの疑問に答え得る真理だった。真理が飛び回りながら投函口から時折砲弾をこちらに向けて放っている。三本の人間そっくりな足を高速で動かしながら時速800Kmにぴったりと並走している。真理は複数存在し、統率された動きをしながらこちらを見返している。凝視。あれは。ポストが。真理。俺。ナツキ。タグチ。放送が語る『いやそんなに怒るなよトライ。悪かった悪かった。ただあと少しでいいモノが見れ――』
世界が唐突に戻ってきた。俺は床に激しく嘔吐する。朝食前で良かった。涙目で横を見るとナツキもぐったりとしていた。タグチは白目を剥いて気絶している。
『皆さん、正気に戻りましたか?』
「なんだ、今のは――」
『認識災害野郎が象徴災害攻撃を仕掛けてきたと言ったところでしょうか。気付けのために副交感神経を少し弄らせていただきました。ご了承下さい』
「どういうことだ」
『判断を保留していた私の落ち度です。ナツキ、マナカ・タダナオです。カンポ騎士団の。彼がこの列車に乗っていて――乗る前に既に術中に掛かっていたのです』
「マナカくんが……!?」
さっぱり事情が飲み込めない俺に、トライはモスクワ駅のホームでのマナカとの出会いから、ヤツが語ったという「目的」までを詳細に説明してくれた。
「さっぱり信用できねえ」
話を聞き終えた俺の素直な感想だった。
「あのダーク・ガブリエルを倒したら宇宙が元通りになる? そんな証拠も何も存在しないし、そんなことで宇宙がどうのといった事態になるとも思えないぞ」
「――マナカくんもダーク・ガブリエルを倒したいと思ってる、ってことなんだよね。あの……無敵の彼が」
無敵か。確かに『認識できない』相手なんてどうしようもないから無敵である。
「ダーク・ガブリエルは、パトリックを連れ去ったがナツキの事は無視した。わざわざ藪をつついて蛇を出す必要もないと思うぞ。予定通りなんとかしてヤタガラスを起動させてトライの機体を再生するのを第一目標にしよう」
そもそもダーク・ガブリエルを倒せる気がしない、というのは口に出さないでおいた。
「そうだね――あんまりマナカくんとはお話したことないから、彼の考えてることはよく分からな……」
ZOOOM! ZOOOOGM!! ZZZGGGGOOOOOM!!!
炸裂音! 破壊音! 破裂音!
背景ノイズとして聴覚モジュールで選択消去していた先ほどまでの戦闘音とは比べ物にならないその音に、一瞬俺は身体が浮いたと錯覚した。だが錯覚ではなかった。車体がビリビリと震え、速度が明らかに落ちている!
「忙しすぎるだろ! 今度は何だ!?」
窓の不透過処理再び全て解かれていた。そこからちらりと見える景色が――流れていない。列車が停止している!
「くそっ……。トライ! また俺がおかしくなったら正気に戻してくれよな!」
『お安いご用です、ヤマト様』
俺は意を決して、窓の外を――覗く!
「なっ――」
そして、声を失った。
発狂ポストの攻撃とは明らかに異なる様子の俺を見て、ナツキも窓の外をそろりと覗う。
「なにあれ!?」
そこに見えた物は、空中に浮かぶ黒鉄の艦船。
そしてその下の地面に穿たれた多数の巨大なクレーター。発狂ポスト達は一匹も見当たらない。空の『アレ』が、先程の極大破壊音を伴う攻撃で全て駆逐したのは明白だった。
『データベース照合完了。船体に多少の改装が加えられていますが、郵西暦2200年代に日本環太平洋連合艦隊旗艦として登録されていた戦艦と一致します』
「俺は、あれを知ってるよ。良く知ってる」
トライの説明を引き継いで、俺は呆然と言った。
見間違う筈もない。陽光を受けて聳える主砲の五十四円切手砲。ハリネズミのように生えた対空収入印紙。超巨大常温核融合炉の煙突。船底の常温超電導制御装置。
「あれは万能戦艦大和。現在の所属はヤマト朝廷軍の総旗艦だ」
ピガガーピー!!!
ハウリングを起こしながら、宙に浮かぶ大和が外部放送をオンにした。
『我々は神聖ヤマト朝廷軍である。シベリア郵便鉄道に告げる。
貴車に搭乗している、ヤマト・タケルという男を当方に引き渡せ。
我々は謀反人の捕縛、処刑の為ならAPOLLONとの争いも辞さない。
繰り返す。大逆犯、ヤマト・タケルをこちらに引き渡せ』
【第二章:遭遇、シベリア郵便鉄道特急編終わり】
【第三章:覚醒、ヤマト朝廷騒乱編へと続く】
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